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後輩と幼馴染  作者: ヒヤ
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第19話  中間試験明け

 勝率は四割といったところだろうか。ここまでの状況を見た感じだと明らかに僕の方が劣勢だったが、まだ挽回するチャンスはある。そのために温存しておいた手があるのだ。勝ち負けは最後の最後までわからない。僕はまだあきらめてはいない。どんなに絶望的な状況でも奇跡は起こるのだ。

 室内の空気は湿っていて重い。僕は額に浮かんだ汗を拭い、唾を飲み込んだ。卓上に晒されることになる一枚の紙の内容のみがこの勝負の結末を知っている。ただ一人を除いて室内のすべての者がその紙に書かれた文字が自らの目の前に晒されるその瞬間を今か今かと固唾を呑んで待ち望んでいた。

 そして短い掛け声とともについにその瞬間が訪れた。

 もらった。僕は心の中でガッツポーズをした。

「八切! 十のフォーカード! 革命っ!」

「はい、六を四枚で革命返し。先輩は残り手札二枚ですから返せませんよね? 七を出してあがりです」

 春名が両手のひらをこちらに向けてひらひらと手札がないことをアピールすると、おおー、と周囲から小さな歓声が湧いた。

「まだまだですね。十が一枚も出てなかったからそろそろくるかなーって思ってたら案の定です」

 余裕の笑みを浮かべてそう言ってのける春名に再び歓声が送られた。

「……でもそう言うお前も貧民だけどな」

「どうであれ、勝ちは勝ちですよ?」

 春名はこちらに意味深な笑みを向けた。

「大ヒンミト先輩、早くカード切ってくださいよー」

「大ヒンミト先輩、遅いですよー」

 富豪のエタイと平民の七瀬だった。

 さっき僕が平民になったときに春名が「ヒラミト先輩」と呼んだのに二人がウケたのがきっかけで、僕が貧民になれば「ヒンミト先輩」、大貧民だと「大ヒンミト先輩」呼ばわりをしてその度に二人で大ウケしていた。ちなみに彼らは「大ヒンミト」を「ダイ」と「ヒンミト」の間で区切って「ダイ」を微妙に強調して読み、「ヒラミト」を「ヒラ」と「ミト」の間で区切って読んだ。いちいち正確に発音してくるので余計に腹が立った。

「……次は絶対富豪か大富豪になってやる」

 貧しさと屈辱をばねに這い上がろうと僕は復習を心に誓った。

「次もいいカードをよろしく。大ヒンミト君」

 大富豪のワライブクロ先輩がその細い目をさらに細めて微笑みかけてきた。

 放課後の図書準備室でこうして円卓を囲んで大富豪なんかに興じているのはそもそもこの人の提案がきっかけだった。


 中間試験を午前中に終えた僕は午後から久々の部活だとはりきっていた東雲と教室で昼を食べた後、いつものように図書準備室に立ち寄った。そこにはここ数週間まるで顔も合わせなかったワライブクロ先輩がなんやかんやと騒がしい一年生三人組の相手をしていた。この三人が揃っているのも久しく見なかったように思う。話題はやはり終わったばかりの中間試験のことだ。

 七瀬が今回はよくできたと言うと、エタイはそれ前回も言ってたと呆れ顔で、春名が七瀬がよくできたという程度なんかたかが知れてると鼻で笑うと、ワライブクロ先輩がなにをと息巻いた七瀬を笑顔で宥める。そんな感じだ。ミト先輩はいつも通りですよね? と後輩一同の期待の視線に僕がいつものパターンかよ、と曖昧な笑みを浮かべたところでワライブクロ先輩が、そうだ、トランプしませんか、と唐突に思いついたような声を出した。なんでトランプ? というエタイの疑問を置き去りに、ノリのいい他二人の後輩の賛成の声でトランプをすることはあっという間に決定してしまった。ちょうど五人いるのだから大富豪でしょうと競技の決定にも時間はかからなかった。決定ですねと、とワライブクロ先輩は鞄からシンプルな柄の紙のトランプを取り出した。なぜ彼がそんなものを持ち歩いているのかは誰にもわからなかったが、そんなことに今更突っ込むような者はいなかった。

 やれやれと僕は文庫本を机に置いてワライブクロ先輩が配ったカードを手に取ったのだった。

 ゲームは思った以上に白熱した。笑袋兄弟が予想外の強さを発揮し、七瀬が安定して平民の位置を陣取り、強敵だと思われた春名がいまいちな成績だった。春名がいまいちふるわないのには理由があった。

 ここ図書準備室の円卓にはメンバーそれぞれにお気に入りの席がある。それぞれがだいたいその定位置に座るのだが、今日は佐藤と神名川の二人が不在により人口密度が偏ったため、大富豪を始める際に笑袋兄弟の間に挟まれて座っていた春名が神名川の席に移動した。それで時計回りに僕、七瀬、ワライブクロ先輩、エタイ、春名の順番になった。春名は僕の前の順番ということで、勝負を放棄して僕を妨害してくるのだった。次第に僕の闘争本能に火が付き、二人の間で白熱した戦いが繰り広げられた。主に貧民と大貧民の椅子を巡る低次元な争いだったわけだけれど。

「ミト先輩。次の勝負、賭けませんか?」

 大貧民の春名がカードを切りながら僕にそんな話を持ちかけてきた。

「受けようじゃないか。で、なに賭けるんだ?」

「ボクが負けたら一週間従順な後輩になりますよ。先輩の言うことに絶対口答えしません」

「うわ、気持ち悪っ。でも悪くないな、それ。てかそれを自分で提案するってどうよ」

「ボクが勝ったら、ミト先輩に一つお願いしたいことがあります」

 一枚のカードが春名の手元を離れて卓上を滑り、僕の前で停止した。続けて七瀬、ワライブクロ先輩と順々にカードを配って行く。僕は手に取ったカードの数字を見ることなく、なんだ? と尋ねた。

「まぁ、それは後で言いますよ。大したことじゃないですから、心配しなくていいですよ」

 不安がないわけではなかったが、それほど酷いことをさせて喜ぶような奴でもないと思い了承した。春名が配った最後のカードを手に取り、すべての手札を見渡した。ふっと思わず唇の端が歪むのを自覚した。


 隠し持っていた革命も見事に返り討ちに遭い、賭けは僕の敗けだった。それからしばらく春名はその話には触れることなく、僕らはゲームを続けた。終わってからなにを言い渡されるのだろうと僕が考えている内に春名は着々と地位を上げ、気がつくと三回連続で大富豪という黄金時代を迎えていた。春名の連勝数はさらに伸び、六、七回目の連覇というところで、えー、と一同の倦んだ声がハモった。そのとき春名がふいに、はいっと元気に手を上げた。はい、春名、とすかさず七瀬が当ててやると、春名がその場に立ち上がった。

「大富豪の権限の下にここに一つの命令を下します」

 おおー、とわけもわからず僕以外の三人が冗談半分に囃したてる。みんな大富豪にも少し飽きていた頃だったのだろう。

「今日これからミト先輩と七瀬がデートします」

 いきなり名指しされポカンとした七瀬と歓声を上げる笑袋兄弟の様子とが対照的だった。僕は春名を睨みつけたが彼はそれを無視して僕の後ろを通り抜けて七瀬の横に立った。

「七瀬はそれでいいよな?」

 確認を取るような訊き方だった。

「べ、別にいいけど……」

 戸惑ったような七瀬の返事を聞き流しながら、春名は今度は僕の方を振り返った。

「じゃあ、決定ですね?」

 暗にミト先輩に拒否権はありませんからね、と念押しするものだろう。僕は仕方がなく頷いた。まぁ、どうせ七瀬と試験が終わったら帰る約束をしてたわけだし、たいした違いはないだろう。

「あ、一緒に帰るだけとかはダメですよ? それじゃいつも通りでつまんないですから。街に出て映画見るなり買い物するなり楽しんでくればいいと思いますよ?」

 楽しんでるんだか気を遣ってるんだかなげやりなんだか測りかねるセリフだった。七瀬はなにか言い返さないのかと隣を振り返ると、彼女は心もち頬を赤く染めて俯いていた。いつもは僕に家まで送ってけだの積極的なくせに、こうやって殊更人に指摘されることには耐性がないのだろうか。あるいはデートという慣れない響きのせいか。

「まぁ、大富豪の命令だから仕方がない。春名のわがままに付き合ってやろうか」

 僕がそうフォローを入れてやると七瀬が、そうですねぇ、と誤魔化すように笑いながら顔を上げた。

「どうせ行くんなら楽しんできなよ」

 珍しくエタイがナイスなアシストを見せた。

「うん、どうせ、だしね」

 七瀬は「どうせ」を強調して答えた。あはは、と七瀬が照れたように笑った。

「二人ともラブラブだねぇ」

 ワライブクロ先輩の暢気な声に室内の空気が一気に凍りついた。七瀬が顔を赤らめて俯くのとエタイが兄の頭をひっぱたくのはほぼ同時だった。ワライブクロ先輩が文句を言い、兄弟喧嘩が始まった。

「だってラブラブだろ!?」

「いや、今微妙な関係なんだからちょっとは察しなよ!」

「微妙な関係ってなんだよ? 別に好きあうことは悪いことじゃないんだから隠さなくても……」

「兄貴は乙女心がわかってないんだよ!」

 状況は悪化する一方だった。ここまでくるとこの兄弟どちらがより悪いかの判断は難しかった。七瀬はますます恥ずかしそうに身を縮こませるばかりだ。

 僕が処置なしと諦めていると、横にいた春名が耳打ちしてきた。

「デートの様子、後でボクに教えてくださいね」

「……お願いは一つじゃなかったのか?」

「あれ? さっきのがそのお願いだとはボク一言も言ってませんよね? 大富豪のわがままにミト先輩が自主的に従っただけでしょう?」

 僕は大きな溜息を吐いた。

「じゃ、報告よろしくです」

 春名は言いたいことを言うとさっさと自分の席に戻って行ってしまった。

 俯く七瀬の横では恥ずかしい兄弟の口喧嘩が続き、さらにその横では我関せずといった様子の春名がなぜかトランプタワーを作り始めていた。

 ……めんどくさ。

 僕は黙って立ち上がり鞄を手に取ると、隣の七瀬の腕を掴んで半ば強引に立たせた。まだぼんやりした表情の七瀬に彼女の鞄を持たせ、僕は彼女の腕を引いて準備室を抜け出した。ドアを閉めるときに、グッドラック、と親指を立てた春名と目が合ったので、僕は勢いよくドアを閉めてやった。

「ど、どうしたんですか? ミト先輩」

 部屋を出ると、困惑したような目で七瀬が僕を見ていた。

「……行こうか。デート」

「はいっ?」

 声が思いっきり裏返った。僕はちょっと意地悪してみたい気分になった。

「行かないの?」

「いえ、行きます! 行きますよぉ!」

 七瀬ははりきって勝手に先を歩いて行ってしまった。

 佐藤の顔が頭に浮かばなくもなかったが、気にしないことにした。今日ぐらい七瀬と遊んでやったって、そんなに怒られはしないだろう。なんにしろ僕の心はもう決まっているのだ。試験の結果はまだ出ていないけれど、手応えでだいたいの予想はつく。佐藤と会うのは明後日、土曜日の夕方だ。

 なんの思惑かはわからないが春名がくれたせっかくの機会だ。今日はなにも考えずに楽しもう。

 気がつくと思いのほか遠くにいた七瀬を、僕は小走りで追いかけた。

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