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後輩と幼馴染  作者: ヒヤ
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第17話  彷徨う心

 校門前に立っていた佐藤は僕が現れるとすぐに気付き、先に声をかけてきた。

 朝に比べずっと雲が増えたせいか、まだ日没までいくらかの時間を残しているというのに辺りはもう薄暗く、その中に灰色の校舎が浮かび上がっていた。うら寂しい風景だった。佐藤はそんな場所に一人で待っていた。道路に面した校門の前の壁にもたれ、両手で鞄を身体の前に持つ彼女の姿はいつになくしおらしかった。

「歩きたい気分だわ」

「どこまで?」

「どこまででも。あてもなく、気の向くままに」

「まるで人生みたいだね」

「馬鹿」

 佐藤は背を向けて歩き出した。僕もそれに続く。

「どうして男の子はそんな風にいつまでも夢見ることができるのかしらね……」

 それからは無言だった。

 駅はとっくに通り過ぎ、辺りはすっかり暗くなった。寒いし、足はだるいし、どこへ向かっているのか、またどこにいるのかもわからなかった。しかし佐藤はそんなことなどはまるで気にした様子もなく、知りもしない道を躊躇なくずんずん歩いた。どちらからともなく、僕らの手はつながれていた。佐藤の手は冷たくも温かくもなかった。ただ思っていたよりも小さな手だった。

 新しいマンションや古い民家の入り混じる住宅地の中に小さな公園を見つけて、少し休もうと提案しすると、そうね、と素気ない返事が返ってきた。

 ベンチに座ると佐藤は深く息を吐いた。口には出さないが、やはり疲れたのだろう。

「なにか飲む?」

「ええ」

 公園の入り口付近の自動販売機で買ったホットのミルクティを渡してやると、そっちがいい、と僕のレモンティに手を伸ばした。今日はそういう気分なのよ、とこちらの顔も見ずに言った。

 遠くに踏み切りの甲高い音が聞こえた。じっとしていると寒さが身にしみた。それでも温かい紅茶のおかげかいくらか身体は温まったようだった。

 十分もしないうちに、行きましょう、と佐藤が立ちあがった。それから公園を出て、手をつないで歩いた。

「ねぇ、ミト」

「なに?」

「私と付き合わない?」

 僕が黙っていると、佐藤は静かに続けた。

「私はそうしたいと思っているわ。ミトはどう?」

「……僕にはよくわからないよ。そうすることでなにが変わってなにが変わらないのかわからないし、わからないものを自分が望むのか望まないのなんてわからないよ」

「私にだってわからないわよ」

 諭すような口調だった。それから佐藤はなにかを考えるように黙り込み、やがてゆっくりと口を開いた。

「……恋愛ってさ、夢見るものじゃなくて飛び込んでいくものだと思うの。飛び込んでみるまではわからないのよ。誰だって最初は恐れや迷いを抱きながらも最初の一歩を踏み出す。それにはすごい量の勇気とか勢いが必要なの。どうなるんだろうって恐れと期待が入り混じった気持ちとかこれでいいのかって迷う気持ちとかこれが本当に恋なのかな、自分はそれを望んでいるのかなって疑う気持ちとかそれでも踏み出したいっていう気持ちとか。そんなものがない混ぜになったごちゃごちゃした自分にもわからない感情と向かい合い、あるいは誤魔化しながらも、それでも飛び越えていくだけの勇気や勢いが必要なのよ。でも飛び方を覚えてしまえばあっさり越えられるようになるわ。跳び箱を恐れている子どもがいたとして、ミトだったらなんて言ってあげる? 私だったら、大丈夫だからとりあえず跳んでみるように言うと思うわ。それから……」

 そこで言葉を切った。躊躇うように押し黙っていたがやがて口を開いた。

「それから、……七瀬ちゃんのこともあるの」

「え?」

 思わず声が出ていた。慌てて取り繕うようにごめんというと、佐藤はいいのと首を振った。

「あの子、ミトのこと好きでしょう?」

 僕はなにも答えなかったが、佐藤も返事を期待していたわけではないらしくそのまま続けた。

「あの子もきっと飛び込めずにいる。意外に憶病なところがあるじゃない? ただでさえ難しいのに、ミトには私がいる」

 佐藤は雲に覆われた夜空を仰ぎ見た。

「私がミトの横にいることで私たちが意図せずとも牽制してしまう。最近昼休みに図書準備室に来ないでしょう? ミトが私と一緒にいるのを見たくないんじゃないかしら。……なんか、そういうのってずるい感じがして嫌なの。付き合いもしない癖に幼馴染として側にいることで結果的にミトをキープしてしまっている。それでも七瀬ちゃんはいい子だからきっと私を恨んだりはしないと思うわ。二人は仲がいいんだから仕方がないって、自分の気持ちを誤魔化しながら、それでも私にほほ笑みかけてくれると思うわ。それってずるいでしょう? どちらに対してもいい顔をしながら人の恋路の邪魔をするなんて、そんな中途半端な女にはなりたくないの。それなら堂々とミトと付き合ってあの子の敵になる方がよほどマシよ」

 僕はなにも言えなかった。

 僕のせいで佐藤が七瀬の敵になるなんて。誰が悪いわけでもないのに。出来れば皆仲良しでいられればいいと僕は思っていたけれど、そうはいかない。理不尽で不思議なことだった。

 佐藤は踏み出そうとしている。よりよい未来を勝ち取るために選択しようとしている。そこまでわかっているのに僕はどうしても選べずにいた。

「もちろんそういう事情と私がミトと付き合いたいって思う気持ちとは別物よ」

「……それで」

 僕が一番聞きたかったことをまだ佐藤は口にしていなかった。

「それで、佐藤が僕と付き合いたいって思う根拠は、なに? 今のままの関係じゃダメなの? 例えば僕と七瀬が付き合って佐藤と僕はそれまで通りとまではいかなくても友達でいることは不可能じゃないよね? わざわざ七瀬の敵になるとまで言うからには、それだけの気持ちがあるってこと?」

 佐藤はふいに足を止め、手を引かれた僕も立ち止まった。片手をつないだまま正面を向き合った。佐藤はじっと僕の目を覗き込んでくる。

「ミトは私のこと好きでしょう? ……それはどんなふうに好きなの? それが恋じゃないって言い切れる根拠は?」

 左手が一段と強く握られた。気付くと佐藤の右手は熱くなっていた。僕は逡巡しながらも、誠実に答えようと努めた。

「……好きだよ。恋かどうかはわからないけれど、佐藤がいなくなったら寂しいと思う。一緒にいたいと思うほどには好きだよ」

 そのとき佐藤が抱きついてきた。身体を押しつけるようにぶつかってきて、背中にまわした腕で僕の身体を締め付けた。求めるような激しい抱擁だった。ハグするのは初めてではないけれど、今まではふざけるように軽く肩が当たる程度がせいぜいだった。きつく締まった背中の感触とは対照的に胸とお腹の辺りに酷く柔らかい感触が伝わってきて、僕は困惑した。すべてが今までとは違ったのだ。だが初めてのことに戸惑いはしてもそれが嫌だったわけではない。驚きがひいて少し冷静になったとき、こうしていられることに幸福を感じている自分に気付いた。だから躊躇いながらも僕もやがて佐藤の背中に腕をまわした。すると背中の締め付けは幾分か緩くなって、より佐藤の感触を楽しむことができた。頬と頭が触れ合うと、鼻をくすぐる綺麗な黒髪からいい匂いが漂ってきた。制服越しに身体の柔らかさが腕に胸に腹に腰に伝わってきた。腰の辺りにまわした腕から思っていたより華奢な身体をしていたことを知った。すべてが新鮮で幸福でいつまでもそうしていたくて、僕は自分でも驚いていた。

 人気のない夜道、雲に隠れた星々や月の下で、僕らは体温を共有し合うようにお互いを楽しんだ。

 やがて腕の中でもぞもぞと動く気配がして腕を緩めると、佐藤は身体を離した。顔と顔の間が二十センチくらいまで離れると佐藤は俯いた。

「……こうしたいって思ったの。さっきミトに好きって言われたとき、どうしようもなくそうしたいって思って、抑えられなかった。それを恋だと思うのは……おかしい?」

 おかしくないよ、と僕は声に出さずに思った。おかしくないよ、僕だってそうすることでどうしようもなく幸福で胸が高鳴ったんだ。

「わかった」

 佐藤が顔を上げた。

「……でも少しだけ考える時間をくれない?」

「……わかったわ。いい答えを期待してる」

 そういうと佐藤は背を向けてしまった。僕が横に行って手を握ってやるとしっかり握り返してきた。それからゆっくりと歩き始めた。

「実はね、先々週の夜、先輩と別れたってミトに言ったあの夜、ミトに告白されないかなってちょっとだけ期待してたの。たぶんないって思ったけれど、でももしも、もしもそんなことがあったら嬉しいなあって……やっぱり今のはナシ。聞かなかったことにして」

 辺りには人気がなくって暗くて静かで二人きりだった。駅を探し、見知らぬ道を彷徨った。

「このまま北海道にでも行きたいわね」

「なんで北海道?」

「なんとなく。果てって感じがするじゃない」

「わかるような気がする」

「でしょ」

 そう言ってにやっと笑う佐藤はいつもよりほんのちょっとだけテンションが高くて、さっきまでの余韻がまだそこかしこに残っているような気がした。密かな興奮は未だ冷めそうになかった。

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