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BY THE WAY 〜少しだけ立ち止まる美容院  作者: 末紀世(まつきよ)


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6/6

「整える様にお願いします」



その日、勝田修也は店を休んだ。


体調不良。


表向きはそういうことになっている。


だが——


本当に具合が悪いわけではない。


それは店長も、

分かっていた。


勝田は自宅の布団の上で、

天井を見つめていた。


頭の中に浮かぶのは、

昨日の出来事。


水パーマの客。


納得していない表情。


自分の手。


そして——


代わってもらった瞬間。


(……俺は)


目を閉じる。


(あの時)


胸の奥が、少し痛む。


(安心したんだ)


情けない。


悔しい。


だが、それが本音だった。


(逃げられたって……)


布団の中で、

拳を握る。


ユメナは、

難なくやってのけた。


笑顔を添えて。


お釣りが来るほど、

見事に仕上げてみせた。


(俺は……)


息が浅くなる。


(到底、及ばないのか)


天井を見つめる。


(何が違う……)


そのとき。


スマートフォンが震えた。


画面を見る。


——結城学


一瞬、

呼吸が止まる。


メッセージ。


「ちょっと出れるか?

 少し話したいんだ」


文の最後に、

小さな笑顔の顔文字。


それが妙に——


優しかった。



夜。


近所の公園。


街灯の下にあるベンチ。


結城学は、

すでに座っていた。


勝田は、

少し緊張しながら歩み寄る。


「すみません」


学は軽く手を上げた。


「座れよ」


静かな声だった。


二人は並んで座る。


少しの沈黙。


遠くで、

犬の鳴き声が聞こえる。


学が口を開いた。


「修也」


名前を呼ばれる。


それだけで、

背筋が伸びる。


「お前が考えてること、

 凄く分かる」


勝田は何も言えない。


学は続ける。


「でもな」


少し間。


「どこかに、焦りが見える」


胸が、

小さく揺れる。


「この前」


学は視線を落とす。


「シザーケース、

 見せてもらっただろ」


勝田は頷いた。


学の声が、

少しだけ低くなる。


「はっきり言うぞ」


短い沈黙。


「舐めてる」


勝田の体が、

びくりと動いた。


「そんなことありません!」


思わず声が出る。


「舐めてるだなんて……」


学は首を振った。


怒っていない。


だが——


真剣だった。


「道具を見れば分かるんだよ」


静かな声。


「オイル、

 いつさしてる?」


言葉に詰まる。


「メンテナンスを怠ると、

 髪を挟む音が出る」


少し間。


「俺には、

 いつも聞こえてる」


勝田は、

何も言えなかった。


胸の奥に、

重たいものが落ちる。


学は続ける。


「仕事はな」


空を見上げる。


「こなせばいいってもんじゃない」


静かな声。


だが、

強い。


「一回一回が、一発勝負だ」


間。


「妥協は、許さない」


夜風が吹く。


街灯の光が、

わずかに揺れる。


学はふっと息を吐いた。


少しだけ、

表情が柔らぐ。


「今日な」


勝田を見る。


「整えるために休んだんだろ」


勝田の目が、

わずかに開く。


学は小さく頷いた。


「正解だと思う」


静かな声。


「だから」


少し前に身を乗り出す。


「今から、

 道具を見直せ」


短い言葉。


だが、

重い。


「そうすれば」


学は言った。


「見えてくるものがある」


そして。


ほんの少しだけ笑った。


「負けるな」


一拍。


「自分に」



その夜。


勝田は店に戻った。


店内は静かだった。


明かりがついている。


カウンターの奥に、

店長が立っていた。


手には——


シザーケース。


「おう」


軽い声。


「体調どうだい?」


勝田は言葉を失う。


店長はケースを差し出した。


「これな」


にやりと笑う。


「ガクさんが、

 見せてもらうってな」


少し間。


「んで、預かってた」


勝田は、

ゆっくり受け取る。


「ほらよ」


その一言が、

妙に温かかった。


勝田はケースを開く。


はさみを取り出す。


握る。


指に伝わる感触が——


違う。


数回、

ゆっくり開閉する。


「スッ……」


音が、ない。


抵抗も、ない。


滑らかだ。


信じられないほど。


勝田は練習台の髪を取る。


静かに刃を入れる。


「フワッ……」


切れた。


空気を切るように。


髪が一瞬、

軽く舞った。


勝田の目が、

大きく開く。


「これは……」


言葉が出ない。


「えっ……?」


店長が、

ふふっと笑った。


そして背を向ける。


「電気消しといてなー」


軽い声。


出口に向かいながら。


「おつかれちゃーん」


扉が閉まる。


店内に、

静かな空気が残る。


勝田は、

もう一度はさみを握った。


指先に、

新しい感覚がある。


小さく息を吐く。


そして思う。


(……まだ、いける)

道具を雑に扱う人間に、最上の技術は宿らない。

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