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「愛の聖域」の本部ビル。その内部は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。だが、それは平和を意味しない。灰賀が通り過ぎた後には、物言わぬ死体だけが積み上がっていた。
「……12階、制圧。ルニ、次の遮断を」
『了解、ボス。13階から15階の監視カメラをダミー映像に差し替えたわ。……それにしても、あいつら笑っちゃうくらい隙だらけ。ギフトを授かって、ついでに魔力で身体能力まで上がっちゃったから、「物理的に負ける」って発想自体が消えてるのね』
「……道具と出力(魔力)に頼りすぎれば、使い手は退化する。それだけのことだ」
灰賀は無機質な声で答え、階段の踊り場で銃の残弾を確認した。
相手は神から力を授かった「転生者」や、異世界から来た「帰還不能者」たちだ。魔力を纏った彼らは、生身の人間よりも遥かに速く、硬い。だが、灰賀の45口径は、魔力の障壁を貫通するように調整された「対・魔導用特殊弾頭」を装填していた。
最上階、ハーレム王の執務室。
巨大なモニターに映し出されていた監視映像が、次々と砂嵐へと変わっていく。
「おい、どうした!? 映像を戻せ! 警備は何をしている!」
ハーレム王の怒鳴り声が空虚に響く。
彼は一度死んで神に選ばれ、莫大な魔力と、対象を強制的に従わせるギフト『絶対権力』を手に入れた。現実世界ではニートだった彼にとって、魔力が身体を駆け巡る万能感は、自分を神そのものだと思わせるに十分だった。
「わ、わかりません! 侵入者は単独……ですが、一階層を抜けるのに一分もかかっていない! 魔法を使えるロストの傭兵たちも、一撃で無力化されています!」
「……クソが。そんなはずがあるか! 俺は死を克服した『主人公』なんだぞ!」
その時、執務室のスピーカーから、ルニの声が嘲笑うように響いた。
『――「主人公」? 笑わせないで。あなたの設定、バグだらけよ。ギフトで魔力が増えたからって、自分が戦士にでもなったつもり?』
「な、なんだと……!? 誰だ!」
『私はルニ。あなたの偽物の物語をデバッグしに来たわ。……ねえ、王様。自分を狩っているのが「最強の勇者」だと思ってた? 残念。彼はね、あなたが見下していた「現地人」……それも、魔法もギフトもない地獄のような戦場で明日をも知れぬ日々を生きてきた、ただの人間よ』
「……ただの、人間? 魔法も持たない、ゴミのような現地人だと……?」
ハーレム王の顔が驚愕に歪む。
彼にとって、現地人は自分の快楽を支えるための「背景」に過ぎなかった。その背景の一つが、自分を殺しに来ている。
ドォン!
重厚な防弾扉が、爆縮によって内側へと吹き飛んだ。
砂煙の中から現れたのは、ガスマスクを装着し、返り血で黒く染まったオイルドコートを纏った男――灰賀だった。
「……ターゲット、ハーレム王。デバッグを開始する」
灰賀は事務的に告げ、ガスマスクのフィルターを外した。
「き、貴様ぁ……! 本当に、ただの人間なのか……!?」
ハーレム王は椅子から立ち上がり、全身から膨大な魔力を放出した。
ギフトによる身体強化。彼の筋肉は魔力によって鋼鉄のように硬化し、反射神経は常人の数倍にまで引き上げられている。
「俺は王だ! 神様に選ばれて、この力を授かったんだ! 現地人の、ニートだった頃の俺以下のゴミが、俺に触れていいわけがないんだよッ!」
ハーレム王は叫ぶとともに、目にも止まらぬ速さで灰賀へ肉薄した。
魔力を込めたその拳は、直撃すれば人間の肉体など簡単に粉砕する破壊力を秘めている。
だが、灰賀は動かない。
拳が鼻先を掠める直前、灰賀は最小限の動きでそれを回避し、すれ違いざまに王の足元へ「魔力吸引剤」を散布した。
「……出力(魔力)が高いだけで、動きが素人だ。お前の拳には、なんの積み重ね(経験)もない」
「な、に……っ!?」
ギフトによって得た超人的なパワーに溺れていた王にとって、灰賀の「最小限で致命的な動き」は、理解不能な恐怖だった。
「死ねッ! 消えろ、モブがぁぁぁ!!」
ハーレム王が絶叫し、強制隷属のギフト『絶対権力』を全方位に解き放とうとした瞬間。
灰賀の指が、迷いなく引き金を引き絞った。




