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新宿の夜は、悲鳴を飲み込むのが早い。

だが、その夜の悲鳴は、あまりにも短く、そして正確に途切れていった。


「……五箇所目だ。ファイルを」


灰賀ハイガの声は、深夜の墓地のように静かだった。

彼が立っているのは、西新宿にある雑居ビルの地下。かつては会員制のバーだったその場所は、今や『愛の聖域エデン』が仕切る魔導薬物の取引所と化していた。


足元には、豪華なソファを赤く染めて動かなくなった三人の男たち。

一人は眉間を撃ち抜かれ、残る二人は魔法を詠唱する暇もなく、首の頸動脈を深く断たれている。灰賀のオイルドコートには返り血が点々と付着していたが、彼はそれを気にする素振りも見せず、血濡れたナイフを犠牲者の服で拭った。


『順調ね、灰賀。予定より6分も早い。……次のターゲットは、新宿三丁目の旧シアター跡。そこは「愛の聖域」の物流拠点になってるわ。警備は亜人オークの傭兵が十数人と、厄介な「ギフト」持ちの幹部が一人。……例によって、異世界から来た転生者よ』


ルニの報告を聞きながら、灰賀は無造作に空のマガジンを排出し、新しい銀被甲弾を叩き込んだ。


『その転生者、自分の周囲に「視覚的なロックオン」をトリガーにした拘束魔法を展開してる。近づく者の影を地面に縫い付けるとか、そんな理屈ね。あっちの世界じゃ騎士か何かだったらしいけど、こっちの世界でも自分が「特別な存在」だと信じ切ってるわ』


「……『視覚』がトリガーか。なら、レンズを通せばいいだけだ。神に選ばれたつもりだろうが、ただの不具合バグ持ちに過ぎない」


灰賀は淡々と答え、愛銃をホルスターに収めた。その足取りには、戦いへ向かう高揚感など微塵もない。


旧シアター跡。

かつて人々が映画に酔いしれたその場所は、今や拉致された人間や物資を詰め込む「檻」へと変貌していた。


「おい、しっかり見張れよ。最近、西側の連中が妙な動きをしてるって噂だ」

「へっ、心配しすぎですよ。俺たち『転生者』には、神様から貰った『ギフト』があるんだからな。現地人の警察が束になっても勝てねえよ」


幹部の男が、傲慢な笑みを浮かべて部下たちに指示を出していた。

彼の周囲には、床から伸びる薄暗い魔力が蠢き、侵入者の気配を敏感に察知する態勢を整えている。彼の魔法は、自分を「見つめる」者の意識や、自分の「視界」に入った者の動きを感知し、瞬時に影として縫い留める絶対的な防御術だ。


だが、灰賀は最初から「正面」に立つつもりはなかった。


灰賀はシアターの天井、巨大な空調ダクトの暗がりに身を潜めていた。

そこは地上からは完全に死角となり、かつ相手の真上にあたる場所だ。


「……ルニ。仕掛けた『細工』を動かせ」


『了解。……旧館の音響システム、過負荷で回すよ!』


突如、シアター内に設置されていた業務用スピーカーの群から、耳を潰すような大音量のホワイトノイズが響き渡った。

灰賀が侵入前にルニにハッキングさせ、あらかじめ出力のリミッターを外しておいたものだ。


「あ、あああッ!? なんだ、この音は!?」


魔法の「認識」には集中力が要る。

不意を突かれた転生者の男が、あまりの騒音に両耳を押さえ、思考を断絶された瞬間――それが、灰賀が定めた「デバッグ」の開始合図だった。


灰賀は天井から音もなく降下した。

ラペリングロープを滑り落ちる速度。だが、男の「ギフト」は、音響ノイズによるパニックで正常に機能していない。


灰賀の攻略法はシンプルだった。

「魔法が認識に依存するなら、認識できる情報量を物理的にパンクさせる」


空中で放たれた一発目の弾丸は、男の足元の「影」を形成する魔導触媒の装置を破壊した。

そして着弾と同時に、灰賀は手にした閃光弾スタングレネードを床に叩きつける。


――カッ!


凄まじい光と爆音が、既にノイズで疲弊していた男の感覚を完全に奪った。

視覚が白く染まり、聴覚が死に、魔法を発動するための「対象の認識」が不可能になる。


「が、あ……っ! 目が、見えん……! 俺は選ばれた存在なんだぞ……!」


のたうち回る転生者。

その喉元に、灰賀は着地と同時に銃口を押し当てた。

ギフトというシステムがダウンした転生者は、ただの脆弱な肉の塊に過ぎない。


「……魔法は便利だが、お前のハードウェアが追い付いていない。異世界で通用しても、ここではただの設計ミスだ」


灰賀の声は冷徹だった。

銃声は、サイレンサーによって「パシュッ」という乾いた音に抑えられている。その音さえ、シアター内に鳴り響くノイズが完全にかき消していた。


流れるような動作。

崩れ落ちる男の横を通り抜け、灰賀は残ったオークの傭兵たちへ向かって滑り込んだ。

銃弾が尽きればナイフで喉を裂き、ナイフを収めれば至近距離から脳幹を撃ち抜く。


そこにあるのは華々しい英雄譚ではない。

効率的に、確実に、異物を排除していく「清掃作業」だ。


一時間後。

シアター跡地は、死の沈黙に包まれていた。

灰賀は、施設の奥に置かれたサーバー端末に、無造作にハッキングプラグを差し込んだ。


「……ここも終わった。次だ」


『灰賀、ちょっと待って。……今、吸い上げたデータを見てるんだけど……面白いわ。ハーレム王、かなり焦ってるみたい。今夜一晩で5つもの拠点が沈黙したんだから、当然だけどね』


ルニの声に、微かな高揚が混じる。

『あいつ、各支部に「緊急招集」をかけてるわ。残った戦力を一箇所に集めて、侵入者を迎え撃つつもりね。場所は……新宿中央公園。奴の本拠地、浮遊城の直下にあるビルよ』


「……好都合だ。こちらから出向く手間が省ける」


灰賀はシアターの出口へ向かいながら、血の匂いが染み付いた手袋を脱ぎ捨てた。

彼は救世主ではない。

だが、一晩で数百人の「聖域」の構成員――そして神に選ばれたと自惚れる転生者たちが、現代の銃弾と冷徹な戦術によって物言わぬ死体に変わった事実は、この街のパワーバランスを根底から揺るがし始めていた。


依頼人のタクヤが拠点で見守る中、灰賀は着実に、そして機械的に「バグの根源」へと距離を詰めていた。


「ハーレム王……あいつも、自分が特別な存在だと信じている転生者の一人に過ぎない。自分の思い通りにならない『現実』に直面した時、一番脆いのは奴らだ」


灰賀は暗い路地裏で、次の標的に向かって歩き出す。

その背中には、仕掛けを終えた後の仕事人だけが纏う、冷たく澄んだ殺気が宿っていた。


「……デバッグは、まだ終わっていない。残るゴミを、すべて一箇所に集めろ。……まとめて焼却する」

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