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新宿の喧騒から数キロ離れた、中野区の境界付近。
かつてはサブカルチャーの聖地と呼ばれ、色とりどりの看板がひしめき合っていたこの一帯は、今や「マナ汚染」によって電子機器が死に絶えた「電脳の墓場」と化していた。
空を仰げば、異世界の巨大なシダ植物がビルの外壁を割り、血管のように這い回っている。時折、マナの粒子が雪のように舞い、空中に浮かぶ正体不明の光球が、音もなく破裂しては消えていく。物理法則が霧散したこのエリアでは、最新のGPSも、転生者たちが誇る「広域探知スキル」も、ジャミングにかかったように意味をなさない。
だが、その地下、かつて巨大な貯水槽だった空間の一角に、灰賀の拠点は存在する。
「……戻ったぞ」
厚さ30センチの防音扉を開けると、火薬の匂いと、安物のコーヒーの香りが混ざり合った重苦しい空気が灰賀を迎え入れた。
部屋の中は、無機質なコンクリートの壁に囲まれ、壁一面には旧式の旋盤や工具、そして整然と並べられた銃器のパーツが鈍い光を放っている。
「遅いよ、灰賀。予定時刻を12分もオーバー。あんたの体内時計、錆びついてんじゃないの?」
部屋の奥、積み上げられたモニター群の光に照らされ、一人の少女が面倒そうに首を回した。
透き通るような肌に、長く尖った耳。ファンタジー世界の「エルフ」そのものの容姿だが、彼女が着ているのはダボついたグレーのパーカーと、膝の破れたジーンズだ。
彼女の名はルニ。「次元衝突」の際にこの世界へ放り出された、チート能力を持たない「帰還不能者」の一人だ。
「仕事だ。多少のズレは発生する」
「ふーん。で、その『仕事』の成果は?」
灰賀は無言で、オイルドコートのポケットから布に包まれた戦利品をデスクに放り出した。
ジャラリと重い音がして、中から数枚の金貨と、微弱な光を放つ魔石が数個転がり出る。ルニはそれを手際よくスキャナーにかけ、タブレットに入力していく。
「マナ純度はBマイナス。今の為替レートなら、特注のタングステン芯弾30発分くらいにはなるかな。……あ、あとAmazoonから注文してた銃器用の洗浄オイル届いてるよ。玄関の防弾ボックスに入れといた」
「助かる。……弾丸の鋳造準備をしておけ」
灰賀はコートを脱ぎ捨てると、作業机に向かった。
そこには戦場から持ち帰った愛銃――1911系のフレームをベースに、極限まで精度を高めたカスタム45口径が置かれている。彼は慣れた手つきでスライドを引き、内部の汚れを丁寧に拭き取り始めた。
灰賀が手にしているのは、最新の電子制御トリガーなどは一切排除された、完全なアナログの機械だ。
「ねえ、灰賀。さっきの現場のログ、精霊通信の残滓から解析しといたよ」
ルニが空中にホログラムを投影する。そこには、灰賀が転生者の魔法陣を撃ち抜いた瞬間の光の軌跡が、スロー映像のように流れていた。
「この自称『爆炎の使徒』、魔法陣を形成する時、必ず左下からマナを吸い上げる癖がある。そこが一番の『脆い点』。……まあ、あんたが撃ち抜いた場所、寸分違わずそこだったけどね」
「……奴らの『ギフト』はデタラメだが、発動のプロセスには必ず物理的な歪みが出る。そこを突くのが、一番効率がいい」
灰賀は弾丸を一発ずつ手に取り、純銀コーティングのムラを検品する。
彼にとって、転生者は畏怖すべき神の使いなどではない。ただの「設計ミスの多い、有害な欠陥品」に過ぎない。
「……灰賀さ、たまには思うことないの?」
ルニがコーラを飲み干し、ふと真面目な顔で尋ねる。
「自分も転生者みたいに、指先一つで火を吹いたりできれば楽なのに、って。ステータスだのスキルだの、神様から貰えれば、こんな泥臭い苦労しなくていいんだよ?」
灰賀の手が止まる。
彼は、窓のない地下室の壁の向こう、かつて自衛隊員として守ろうとした「消えた日常」を想うような目をしたが、すぐに視線を銃に戻した。
「……俺はプロだ。与えられた道具を使い、依頼を完遂する。神に縋る趣味はない。それに、棚ぼたで得た力は、消える時も一瞬だ。……俺の指が覚えているトリガーの感触は、神様にも消せない」
「……ふん。相変わらず可愛くない。まあ、そんな頑固なあんたのバックアップをしてる私が、一番の『変人』なんだけどね」
ルニは楽しげに笑い、再びキーボードを叩き始めた。
故郷を失ったエルフの少女と、日常を失った特殊部隊員。
二人の間に流れるのは、奇妙な共犯関係に似た信頼だった。
整備を終えた灰賀が、簡易ベッドで浅い眠りにつこうとした時だった。
拠点の入り口に設置された、旧式の磁気センサーが鋭い警報を立てる。
電子的なアラームではない。物理的なベルの音。魔力干渉を一切受けない、灰賀自作のトラップだ。
「……客か?」
灰賀が瞬時に枕元の銃を手に取り、セーフティを解除する。その瞳からは先ほどまでの生活感が消え、一瞬で「仕事人」の鋭利な殺気が宿る。
「違う。ルニの認識阻害魔法を突破してない。……でも、入り口の前に誰か立ってる。魔力反応は……極めて微弱。転生者じゃない、ただの人間だね」
ルニがモニターを切り替えると、そこには土砂降りの雨の中、拠点の隠し扉の前で立ち尽くす一人の青年が映し出されていた。
20代半ば。泥に汚れた安物のスーツ。かつてはどこにでもいた、善良な市民の成れの果てだ。
「……灰賀、どうする? 追い返す? 警察の真似事なんて、あんたのポリシーに反するでしょ」
灰賀は無言でモニターを見つめた。
青年の瞳には、絶望と、それを上回るほどの切実な「怒り」が宿っている。それはかつて、次元衝突の混乱の中で灰賀が見てきた、多くの「死に行く者たち」と同じ目だった。
「……話だけは聞いてやる。ここは『害獣駆除業者』の事務所だからな。依頼料さえ払えるなら、相手が誰であれ関係ない」
灰賀は立ち上がり、ホルスターを整えた。
「ルニ、扉を開けろ。……ただし、武器を持っていたらその瞬間に排除する」
「了解、ボス。……さてさて、今夜の不運な依頼主様は、何を差し出してくれるのかな?」
重い防音扉が、錆びついた声を上げて開き始める。
吹き込んできた冷たい雨風とともに、一人の青年が転がり込むように入ってきた。
青年をリビングの椅子に座らせ、灰賀は温めていたコーヒーを差し出した。
もちろん、親切心ではない。相手を落ち着かせ、正確な情報を吐き出させるための「道具」としてのコーヒーだ。
「3分やる。状況を説明しろ」
灰賀の冷淡な声に、青年――タクヤは震えながらも話し始めた。
彼の婚約者であるサツキが、新宿を支配する転生者軍閥「愛の聖域」の連中に拉致されたこと。警察に泣きついても「相手が転生者では手出しできない」と門前払いされたこと。そして、風の噂で、法が裁けぬ「害獣」を、闇で処理してくれるプロの存在を聞いたこと。
「……相手は、『ハーレム王』と呼ばれる男の組織です。彼らは、街の女たちを……モノのように扱って……。お願いします、彼女を、サツキを…ハーレム王に復讐がしたいんです」
タクヤの拳が、白くなるほど強く握られる。
灰賀はその様子を、感情を一切排した目で観察していた。
「目的はわかった。……次に、報酬だ。俺はボランティアじゃない」
タクヤは震える手で、胸元から汚れた布に包まれた何かを取り出し、作業机に置いた。
布が解かれると、中から現れたのは、淡い青色に輝く『超高純度の魔石』だった。
「……。これを、全額……報酬として払います。足りないなら、私の臓器でも、命でも何でも売りますから……!」
灰賀は無造作に魔石を手に取り、ライトにかざした。ルニが横から覗き込み、「うわ、マナ純度A+。これ、旧政府の秘密備蓄品レベルだよ」と口笛を吹く。
「……命はいらん。余計なものは買い取らないのが俺の流儀だ」
灰賀は魔石をデスクに転がすと、コーヒーを飲み干し、愛銃のシリンダーを戻した。
「契約成立だ。……ルニ、追跡を開始しろ。まずは末端のトカゲどもを数匹、デバッグする」
「イエス・サー。……歓迎するよ、お客様。地獄のデバッグ作業へようこそ」
ルニの指がキーボードを叩き、新宿の立体地図がモニターに展開される。
灰賀の瞳には、同情も正義感もなかった。ただ、高価な報酬に見合うだけの「仕事」を完遂するという、職人の冷徹な意志だけが宿っていた。




