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渋谷の地下迷宮ダンジョンは、地上に降る春の雨音さえも届かないほどに深い。


かつて、東急百貨店やいくつもの地下鉄路線が複雑に入り乱れていた場所は、いまや異世界の石造建築が血管のように侵食し、物理法則そのものが歪んだ閉鎖空間へと変貌を遂げている。


灰賀は、ヴォルガ・ヴァンの私邸へと続く特区の排気ダクトの中に、物音一つ立てずに潜伏していた。彼は視界の端でわずかに明滅したHUDヘッドアップディスプレイのインジケーターを、指先で静かにタップし、表示のズレを校正キャリブレーションした。


周囲には、電子機器の論理ロジックを根底から腐食させる濃密な魔力が霧のように漂っている。通常、このレベルの汚染区域では、演算素子はデタラメな信号を吐き出し、精密機器は一分と持たずに沈黙するはずだ。だが、網膜に投影されるデジタル情報は、不自然なほど鮮明なまま安定している。


「……黙ってチェックしたって、こっちは全部お見通しよ。あんたのそのアナログな骨董品がこの魔力濃度でバグらずに動いてるのは、あたしが『雷の精霊』をそっちの回路に住まわせて、現場でエラーをリアルタイム修正アジャストしてあげてるからなんだから」


耳元のインカムから、ルニの少し得意げな声が届く。灰賀が何も言わずとも、彼女は機材の負荷状況から彼の細かな動作を先読みし、釘を刺してきたのだ。


数キロ離れた中野の拠点から、彼女は電子回路の隙間を好む精霊たちをパケット通信のキャリア(運び手)として使い、灰賀のデバイス内で発生する不条理なエラーを力技でねじ伏せている。いわば、ルニの遠隔操作によって、灰賀のアナログ装備は「魔法で保護された精密機器」として成立していた。


「……ああ。助かっている」


灰賀は、精霊たちの微かな放電で暖かくなったインカムに短く応え、ダクトの格子越しに眼下の広場を見下ろした。


そこは、ヴォルガが「特別訓練施設」と称して私物化している隔離区画だ。広場の四隅には、ヴォルガ直属の精鋭小隊『グレイ・ハウンド』が、彫像のような不動の姿勢で陣取っている。広場の中央には、五人の若いロストがいた。彼らは「英雄ヴォルガ」に選ばれたという選民意識に肩を震わせて立ち尽くしている。


やがて、重厚な石の扉が開き、ギルド長ヴォルガ・ヴァンが現れた。その背後には、スーツ姿の転生者が、悍ましい紋章の刻まれた「黒い棺」を浮遊させて従っている。


「……諸君。今日、君たちは新たな力を授かり、この東京の真の主となる」


ヴォルガの演説が広場に響き渡る。灰賀はスコープを覗き込み、その影で転生者が動かしている「儀式」の正体を探った。


「ルニ、あの棺の周りを『』ろ。解析を急げ」


「わかってるわよ。雷の精霊を数匹、床の配電線ラインからシステムに滑り込ませたわ。……回路に潜伏させて、儀式の魔力波形をデジタルデータに逆変換する。……ちょっと待って、これ……っ」


通信の向こうで、ルニが短く息を呑んだ。


「灰賀、解析したログを見て。……これ、ただの強化召喚じゃない。ロストの肉体と魂を強制的に融解させて、異世界の怪物を定着させるための『苗床』にしている。……術が終われば、そこに残るのは中身を古代の英雄や亡霊に挿げ替えられた、自我を持たない『生きた兵器』よ。ヴォルガは、ギルドの未来をパーツとして売っているのよ」


「……ヴォルガ。あいつ、どこまで落ちた」


灰賀の指が、アナログな感触を残すトリガーに静かに添えられる。だが、まだ撃つ時ではない。

儀式の最中、転生者が一台の戦術端末を取り出した。旧時代の軍用タブレットだ。彼は慣れた手つきでコマンドを入力し、隔離区画を覆う結界プロトコルを操作し始める。


「ルニ、あの端末のログを盗めるか」


「やってるわ……。……嘘でしょ? コードの構成が、10年前の自衛隊技術研究本部の『秘匿プロトコル』がベースになってる。魔法の干渉を電子信号に変換するアルゴリズムが、驚くほど洗練されているわ。これを作ったのは、ただの転生者じゃない。かつての軍事機密を、今の魔法体系に完全に組み込んだ……プロの仕業よ」


灰賀の背筋に、冷たい感覚が走る。10年前に消失したはずの技術が、なぜここで魔法の規格化に使われているのか。


その時だ。


広場の隅にいた監視兵『グレイ・ハウンド』の一人が、突如として首を傾け、天井のダクトを見上げた。


「……『不純物』。座標、セクター4。排除する」


「……! 灰賀、バレたわ! 精霊の一匹がシステムの検知網に触れた!」


「想定内だ。解析データは維持しろ。これより離脱する」


灰賀は即座にダクトを這い、背後の暗闇へと後退した。しかし、通路の四隅に設置された魔法式のセンサーが赤く点滅し始める。施設全体が、侵入者の熱源と魔力残滓を追跡する「巨大な捕食者」へと変貌したのだ。


「灰賀、後ろから三人来る! 動きが異常に速いわ。施設内の電子機器すべてを感覚器官として共有してる!」


背後の暗闇から、金属質な足音が響く。灰賀は通路の分岐点で足を止めず、壁を蹴って天井の配管へと飛び乗った。闇に紛れ、追撃してくる猟犬たちの頭上をやり過ごそうとする。


しかし、先頭の猟犬は灰賀が潜む配管の直下でピタリと足を止めた。男は顔を上げることなく、手に持ったタクティカル・ナイフの柄を軽く叩く。その瞬間、配管全体に不可視の衝撃波が走り、灰賀を叩き落とした。


「……ッ」


灰賀は空中で体勢を立て直し、音もなく着地する。即座にSIG P226を抜き放つが、猟犬たちは銃を構える灰賀に対し、弾道を予測したかのような歩法で肉薄してきた。


「魔法のバフか……」


「違うわ、灰賀! 彼らのコンバットグラスに、あんたの射線を予測する演算結果が直接投影されてる! システムが彼らを勝たせようとしているのよ!」


一人が灰賀の懐に飛び込み、鋭い刺突を放つ。灰賀は銃身でそれを受け流し、相手の手首を掴んで捻りあげた。しかし、相手は痛覚を遮断されているかのように、そのままの勢いで肘を叩きつけてくる。


灰賀はその打撃を肩で受け流し、相手の重心を奪って床に叩きつけた。そこで、灰賀の目は捉えた。相手の足運び、手首を返してからの追撃の軌道。


「……この格闘術の癖、特殊作戦群の……」


それは、かつて自衛隊の最精鋭たちにだけ教え込まれた、合理的で無慈悲な「殺しの型」そのものだった。


「灰賀、遊んでる暇はないわよ! 次の増援が第3ゲートを突破したわ。このままじゃ袋叩きにされる!」


灰賀は倒した猟犬の顔面に一撃を加え、その隙に煙幕を展開した。

立ち込める白い煙の中、赤外線センサーをルニの精霊通信で狂わせ、灰賀は再び闇へと消える。


「……ルニ、正面突破は中止だ。予定を変更して、ヴォルガの私室へ向かう。システムの最深部に潜らなければ、この不気味な違和感の正体は掴めない」


「正気? 敵の本陣へ自分から突っ込むつもり?」


「……逃げても、この『システム』からは逃げ切れない。奴らの根を断つ」


灰賀は愛銃を握り直し、追撃の足音を背後に聞きながら、迷宮のさらに深い闇、ヴォルガの待つ中枢へと足を踏み入れた。

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