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新宿の外縁、コンクリートの墓標のようにそびえ立つ廃工場地帯。
灰賀は、崩れかけた煙突の影から、ターゲットであるシルヴィを監視していた。
「……灰賀、ターゲットは現在地点から北北西へ移動開始。時速は4.8キロ、歩幅は正確に65センチ。……ねえ、これ本当に生身の人間なの? 三十分前から一度もペースが乱れていないわ」
インカムから聞こえるルニの声には、生理的な嫌悪感が混じっていた。
「……まるで、見えない線路の上を歩いているようだな」
灰賀は双眼鏡越しに、シルヴィの背中を追う。
11話でサカキの傍らにいた際、彼女が纏っていた濃密な魔力――「転生者」特有の異質なプレッシャーは、今や冷たく静まり返り、彼女をただの精密機械のように見せている。
「ルニ、解析の進捗は」
「……別班から回ってきた過去三年の未解決ログと、今の彼女の移動パターンを照合し終えたわ。ようやく確信が持てた。……灰賀、彼女のギフト、おそらく『空間把握』の系統よ。それも、センチメートル単位の精度を持つ超広域索敵。……最悪ね」
ルニの指がキーボードを叩く音が激しくなる。
「……その力があれば、彼女は自分の周囲にいるすべての動体を、壁の向こう側まで把握できる。……つまり、彼女は私たちが追っていることも、別班が包囲網を敷いていることも、最初から全部『視えて』いるのよ」
「……分かっていて、歩き続けているのか」
灰賀は双眼鏡を覗き直す。彼女は瓦礫の山を避け、水溜まりを跨ぎ、一度もこちらを振り返らない。その足取りは、誰かが算出した「最短の最適解」を忠実になぞっている。
シルヴィが足を止めた。そこは、かつての物流倉庫の跡地だった。
待ち構えていたのは、数人の転生者が雇っていると思わしき武装した帰還不能者たちだ。彼らはシルヴィが近づくと、恐怖と蔑みが混じった視線を投げかけ、露骨に武器を握り直した。
「……ギフトがありながら、なぜ抵抗しない。その能力があれば、追っ手の隙を突くことなど容易いはずだ」
「……理由なら、これよ。中島さんの部隊が押さえた『彼女が定期的に接触している秘匿先』のデータ」
ルニがジャンクPCから一枚の画像を表示した。
それは、古びたペンダントの中にある色褪せた写真。そこには、ギフトを持たない帰還不能者の少女が、シルヴィと同じ銀色の髪を揺らして笑っていた。
「彼女の妹よ。マージ直後から行方不明とされていたけど……実際は、三年前からずっと『親玉』の管理下に置かれている。……シルヴィは、自分の『眼』で妹の居場所を特定しようとしたはず。でも、そのたびに妹が盾にされ、今の『連絡係』としての役割を強制されてきたのね」
灰賀は、彼女の襟元に隠された小さな魔導デバイスを捉えた。
「……あのデバイスが、彼女の『眼』を外部へ中継しているんだな」
「ええ。彼女が視ている情報は、そのまま黒幕にも共有されている。……彼女は、自分がどれだけ優れた目を持っていても、妹という唯一の死角を握られている限り、この透明な檻から出られない。……彼女が機械的に動いているのは、意志がないからじゃない。妹を生かすために、心を殺して『完璧な人形』を演じ続けているのよ」
シルヴィが帰還不能者たちに封筒を渡すと、再び機械的な足取りで歩き始めた。
その瞳は、もはや目の前の景色を見ていない。ただ、自分に課せられた「役割」を全うすることだけが、妹を守る唯一の手段だと信じ込んでいる。
「ルニ、彼女を『生きたまま』確保すると中島に伝えたが……この状況、向こうも当然、俺たちがここまで辿り着くことを計算に入れているはずだ」
「……ええ。彼女は泳がされている。中島さんが言う『黒幕』にとって、彼女は私たちを誘い出すための『生きたポインター』に過ぎないわ」
灰賀は、銃の重みを確かめながら、不自然なほどに静まり返った廃工場を見渡した。
シルヴィの背中が、薄暗い闇の中へ消えていく。
「……灰賀、ターゲットは最終目的地の廃教会へ入るわ。……あそこなら、包囲して確保できる。……準備はいい?」
「……了解した。突入する」
灰賀はガスマスクを締め直し、闇に溶け込んだ。




