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新宿の外周、配給所を兼ねた広場は、サカキの放つ熱気で歪んでいた。
壇上の中心に立つサカキの周囲では、三つの巨大な火球が衛星のように旋回している。彼のギフト『無限火炎』から漏れ出す魔力は、周囲のアスファルトを溶かし、並んでいる人々の喉を焼き、絶望を加速させていた。
「……灰賀、ターゲットは現在、観衆に向けて『選ばれた民』としての演説を始める準備に入ったわ。護衛のロストたちは……相変わらずね。怯えながら、主人の機嫌を損ねないように配置についてる」
ルニの声が、灰賀の耳元のインカムを通じて冷徹に告げる。
「……影にいたあの女はどうした」
灰賀はスコープを覗かず、遮蔽物の陰で銃のコンディションを最終確認しながら問う。サカキのすぐ後ろ、一段下がった日陰に控えていたはずの銀髪の女。
「……おかしいわね。演説が始まる直前、ふっと気配が消えたわ。魔力の残滓すら感じられない。逃げたのか、それとも最初からあそこに興味がなかったのか……。壇上にいるのは今、悦に浸っているサカキ一人よ」
「……構わん。今は目の前のバグを消すのが先だ」
灰賀は愛銃、45口径ガバメントに特製の「魔力攪乱弾」を装填する。
この弾丸は、着弾時に微細な純銀粉末を飛散させ、魔力の流れを一時的に不全させる。物理的な破壊力以上に、概念的な「防御」を無効化するための特殊装備だ。
サカキが立ち上がり、両手を広げた。
「聞け、NPCども! 俺がこの火を消せば、お前たちは凍え、餓える。俺を敬え。俺はこの世界の王、神に選ばれた――」
その瞬間、サカキの背後の貯水槽が、不可解な物理的圧力によって爆発した。灰賀が事前に仕掛けた、遠隔操作の指向性散弾だ。
「なっ、なんだ!? テロか!?」
サカキが反射的に、攻めの姿勢から守りの姿勢へと転じ、周囲の炎を盾にしようと操作する。
だが、その動きこそが灰賀の狙い通りだった。
『……今よ、灰賀! 炎を防御に回した。再構築までのインターバル、3.5秒のカウント開始!』
ルニの叫びと同時に、灰賀は遮蔽物から身を躍らせた。
距離は五十メートル。魔法という理不尽を相手にするには、この距離が唯一の「確実」な間合いだった。
サカキの『無限火炎』は、攻守を切り替える瞬間に、魔力の流れが必ず一点に収束する。ルニが解析した唯一の脆弱性だ。
灰賀は二発、引き金を引いた。
一発目は、サカキの目前で炸裂した。
純銀粉末が瞬時に広がり、サカキが展開しようとした火炎障壁の構成を強制的に歪ませる。
「……え、あ……が……?」
サカキの目に、初めて死への恐怖が宿った。
自分は神に選ばれたはずだ。この世界の主人公のはずだ。
だというのに、目の前に立つガスマスクの男――名もなき「背景」のはずの男が、あまりに冷たい殺意を持って近づいてくる。
二発目の弾丸は、乱れた炎の隙間を縫い、寸分の狂いもなくサカキの喉笛を貫いた。
「――が、ふ……っ」
サカキの口から炎ではなく、どす黒い鮮血が溢れ出す。
旋回していた三つの火球が、制御を失って霧散した。熱波が消え、広場に一瞬の静寂が訪れる。
「……設定が、甘かったな」
灰賀は倒れ伏すサカキの頭部に銃口を向け、とどめの一撃を放った。
「神のギフト」という名のバグが、物理的な死によって完全に消去された。
「サカキ様が死んだ!?」
「逃げろ! 爆発だ!」
広場は一転して、地獄のような混乱に包まれた。
支配者を失ったロストたちは、自分たちが自由になったことすら気づかず、ただ爆発と混乱に怯えて逃げ惑う。
灰賀は混乱の波に逆らい、サカキが倒れている壇上へと視線を走らせた。
目当ては、あの銀髪の女だ。だが、彼女がいたはずの日陰には、風に舞う塵一つ残っていない。
「ルニ、女の足取りは」
『……完全にロストよ。広場の四方に飛ばしたドローンのセンサーにも、彼女の特徴的な熱源は映っていないわ。サカキが演説を始めたあの瞬間に、もう消えていたみたい。まるで、この結末を「確認」して去ったみたいに……』
「……仕組まれていたか」
灰賀は舌打ちをした。
サカキは、あの女にとっても「使い捨てのパーツ」でしかなかったということだ。
混乱する群衆の中から、数人の男たちが灰賀を包囲しようとする。サカキに媚びていたオークたちだ。主人が死んでも、彼らはまだ「略奪」という衝動で動いている。
「……どけ。お前たちに用はない」
灰賀はホルスターから予備のマガジンを抜き、無機質に装填音を響かせた。その音だけで、死の匂いを察知したオークたちが後退りする。
十分後。
灰賀は、血のついたガスマスクを脱ぎ、雨の降り始めた路地裏に身を隠した。
手元には、依頼主の老人から受け取った「魔石」が一つ。
「……灰賀、緊急通信よ。暗号化プロトコル……コード:ブラボー。中島から」
ルニの声が、これまでにない緊張を含んで響く。
「中島か。……生きていたのか」
回線が繋がると、懐かしくも忌々しい、かつての戦友の声がノイズの向こうで聞こえ始めた。
「……灰賀か。久しぶりだな。新宿の『火遊び』を終わらせたのはお前だろう?」
「……本題を言え、中島」
「……灰賀、お前に依頼をしたい」




