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新宿。かつて不夜城と呼ばれたその街は、今や「垂直の墓標」と化していた。
都庁舎の背後には、物理法則を無視して浮遊する異世界の巨城が鎮座し、その影が歌舞伎町を永遠の黄昏に染めている。
「……クソが。感度が最悪だぞ、ルニ」
路地裏の湿った空気の中、男――灰賀は耳元の骨伝導通信機を指で叩いた。
全身をダークグレーのタクティカルウェアで包み、その上から使い古されたオイルドコートを羽織っている。
『文句言わないでよ、灰賀。こっちは精霊通信とパケット通信を無理やり繋いでんだから。……ターゲット捕捉。例の「爆炎」の男よ。今、拉致した女をいたぶってる。……趣味の悪い。さっさと終わらせてよ』
「感情論はいい。……仕事を開始する」
ネオンが死にかけの魚のように点滅するビルの一角。
「おい、もっと笑えよ。お前らNPCは、俺たち『勇者』に奉仕するために存在してんだからよ」
金髪を逆立てた男が、泣き叫ぶ若い女性の髪を掴んでいた。男の周囲には、陽炎のような歪んだ魔力が渦巻いている。
「ひっ、……助けて、誰か……!」
「無駄だよ。この街じゃ、俺が神なんだよ」
男が下卑た笑いを浮かべ、指先に火を灯したその時だった。
――パシュッ。
乾いた、しかし重厚な音が響いた。
男の指先から火が消え、代わりに彼の右肩が不自然な方向に弾け飛ぶ。
「が……っ!? な、なんだ!? 貴様、俺の防御結界が……神の加護が効いてないだと!?」
屋上から音もなく着地した灰賀は、すでに次の一射の体勢に入っていた。混乱する男に向かって、静かに歩を進める。
「加護じゃない。ただの『純銀被甲弾』だ」
灰賀の声は、冬の夜風よりも冷たい。
「ルニの解析によれば、お前の結界は『魔力密度の薄い物質』を透過させる。……火薬で加速させた純銀の塊は、お前の神様にとってはただのゴミだったらしいな」
「な、舐めるなッ! 『最大防御』!!」
男が叫ぶ。彼の周囲に、戦車砲すら弾き返すという黄金の光の膜が展開された。
だが、灰賀は止まらない。彼は歩きながら、腰のポーチから「魔力吸着炭粉」を散布する特殊手榴弾を投げつけた。
パァン、と空中で弾けた黒い粉末が、黄金の膜にへばりつく。
一瞬にして、絶対のはずの結界が煤に汚れたガラスのようにひび割れ、霧散した。
「ヒッ……!? 死ね! 死ねええッ!」
パニックに陥った男が、最大火力の魔法を放とうと詠唱を開始する。
だが、灰賀の動きは「合理的」だった。
詠唱の音節が完成する直前。
魔法陣の「起点」となる空間の歪みへ、灰賀は迷わず引き金を引いた。
銃声。
放たれたタングステン芯弾が、形成途中の魔力構造を物理的に粉砕する。行き場を失った魔力が暴走し、男の腕の中で逆流を起こした。
「あぎゃあああああああッ!!」
自分の魔法で右腕を焼かれ、のたうち回る男。
灰賀はその男の眉間に、無造作に銃口を押し当てた。
「待て、待ってくれ! 金ならやる! アイテムも――」
「お前が何者かは興味がない。俺にとっては、お前もその能力も、排除すべき『システム上のエラー』に過ぎない」
そこにあるのは、神の加護でも奇跡でもない。
数十万回の訓練と、ルニの冷徹なデータ分析に裏打ちされた「プロ」の殺意だけだ。
「……デバッグ完了だ」
――ドン。
至近距離で放たれた一撃が、男の頭部を砕いた。
かつて「勇者」を自称した肉体が、ただの肉塊となってアスファルトに転がる。
「ターゲットの沈黙を確認。死体の処理はどうする、ルニ」
『後始末用のドローン飛ばしたわ。証拠隠滅は任せて。……灰賀、次の依頼メール来てるよ』
「ああ、報酬が良いものから順にリストアップしておけ」
灰賀は冷淡に言い放つと、震える被害者の女性には目もくれず、血溜まりを避けて歩き出した。
彼は救世主ではない。契約に基づき、社会のバグを消去するだけの装置だ。




