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偽旗作戦

……………………


 ──偽旗作戦



 事件はネヴァグラードからポラリスクに至るまでの鉄道で起きた。


 この南北に大きく伸びる鉄道には冬に間は氷に閉ざされて船が航行できないポラリスクのために食料などを輸送する車両が走っている。


「ふわあ……。本当に眠い仕事だ……」


 途中に止まる駅がほとんどないため、車掌のオークは眠たそうに欠伸していた。

 途中で気を付けるべきものといえばときどき線路に迷い込むヘラジカぐらいであり、ポラリスクに到着するまではずっと眠気が続くような退屈さであった。


 しかしながらそれは唐突に起きた。


 列車が走行中に2両目の付近で突然大きな爆発が生じたのだ。列車は激しく揺さぶられ、脱線し、ばらばらになった車両が地面をごろごろと転がっていく。


 先頭車両も爆発の影響で脱線し、欠伸をしていた車掌は即死。その他にも乗務員5名と乗客数名が死傷する事件となった。


 そして、すぐさま魔王国はこの事件を調査し始めたが……。


国家保安委員会(CSS)からの報告だ。作戦は成功した」


 ヴァヴェルは国家保安委員会(CSS)のリュドミラからの列車事故に関する報告書を読んでエレーナにそう言う。


「ついに始まるのですね……」


「ああ。願わくば私の選択が間違いではなかったことを祈りたい」


 ヴァヴェルが握る国家保安委員会(CSS)からの報告書には『騒霊作戦完了セリ』との文字があった──。


 それから1週間のち、この列車爆破事件の調査を進めていた国家保安委員会(CSS)の捜査班は、この事件はルオタニア共和国のゲリラコマンド部隊によって引き起こされたテロであると結論した。


 彼らは現場からルオタニア共和国陸軍が採用している小銃を発見し、さらには彼らがルオタニア共和国のゲリラコマンド部隊の隊員だとする白い冬季迷彩の軍服を纏った人間の死体の写真を公開した。


 ルオタニア共和国はこの発表に反発。事実無根であると批判した。


 しかしながら、魔王国はそのような抗議には耳を貸さず、自衛措置を取るとしてルオタニア共和国との国境に軍を終結させ始めたのだった。



 * * * *



 ルオタニア共和国大統領のマッティ・コルホネンは危機を前に焦っていた。


「元帥。率直に聞かせてくれ。この国を守り切れるか?」


 コルホネン大統領が前にしているのは陸軍司令官のカール・リンドホルム元帥だ。

 魔王国の内戦とそれに対する干渉戦争時代からルオタニア陸軍の重鎮であった老人は、その緑色の瞳で薄っすらと諦観の色を浮かべていた。


「魔王軍はすでに動員を開始し、国境には60万という兵力が集まっています。それに対して我々が動員できる戦力は予備役を根こそぎに動員しても30万足らずでしかありません。数が違いすぎます」


 そう、ルオタニア共和国と魔王国の間には圧倒的兵力差が存在していた。


 魔王軍北西方面軍は方面軍だけで60万の人員を有し、戦車も1000両以上を保有している他、航空戦力として800機の航空機を国境に展開させていた。


 それに対してルオタニア共和国は全軍でようやく30万であり、戦車は50両程度。航空機も100機程度しか保有していない。


「では、我々は負けるのか? どうしようもないと?」


「時間は稼ぎましょう。ですが、早急に講和する準備をされた方がいい。やつらの狙いは恐らくサルミヤルヴィ地方の奪還であり、それさえ与えれば連中との講和は可能かもしれません」


「しかし、サルミヤルヴィ地方は我々に必要な土地だ」


「では、国の存亡より重要だとおっしゃりますか?」


「そうは言っていない」


 リンドホルム元帥に指摘され、コルホネン大統領は気まずそうに首を横に振る。


「サルミヤルヴィ地方に作った要塞線。あれは役に立たないのか?」


「要塞は勝利をもたらしません。要塞の籠っても敗北を遅らせるだけで、勝利はできないのです。勝利とは攻撃によってのみ得られるものですから」


 要塞に籠るというのは時間稼ぎに過ぎない。

 要塞から打って出て敵の策源地を叩かない限り、敵は戦争での勝利を諦めようなどとは思わないからだ。


「時間を稼ぎ、国際社会を味方につけ、そして講和するのです。我々がこの戦争で目指すのは滅亡しないことであり、完全に勝利することではありません」


「本当に手段はそれしかないのか?」


「あればすぐに提案しています」


 コルホネン大統領は目の前のルオタニア陸軍最良の名将と呼ばれた前の前に老人に秘策があるのではないだろうかと期待したが、リンドホルム元帥はそう言ってコルホネン大統領の希望的な観測を否定した。


「サルミヤルヴィ地方が奪われるだけならばまだ希望はあります。最悪の場合、魔王軍はこの首都ノルトハーヴンまで進軍してくるでしょう。そうなれば無条件降伏をするしかなくなってしまいます」


「……なんということだ」


 リンドホルム元帥が想定している最悪の事態というのは、このルオタニア共和国が歴史と地図から姿を消すことであった。


「分かった、元帥。私の方は国際社会に助けを求める。君は時間を稼いでくれ。魔王軍の侵攻を一時的にでも食い止められれば、国際社会は我々を助ける価値があると判断するだろう」


「宣伝できる勝利が必要なのですね」


「ああ。戦局を左右しない戦術的な勝利で構わない。我々は魔王軍に抗えているということを示さなければならないのだ」


 突如として国家存亡の危機に立たされたルオタニア共和国であったが、首脳部は座して死を待つつもりはなかった。


 コルホネン大統領はリンドホルム元帥に軍の全てを委ね、リンドホルム元帥は魔王軍に抗っているという証拠になる勝利を掴もうとした。


 ルオタニア共和国では大規模な予備役の動員が始まり、戦時体制に移行しつつある。



 * * * *



 魔王軍北西方面軍司令部はネヴァグラードに設置されてた。


 北西方面軍司令官には人狼のエフゲニー・ペトロヴィチ・ザイツェフ上級大将が任じられ、彼は陸軍参謀本部が策定した対ルオタニア作戦の発動に向けて準備を進めている。


「重要なのは」


 地図の2点をザイツェフ上級大将は指さす。


「北のアークティラと南のノルトハーヴン。このふたつを確実に制圧することだ」


 参謀たちが見下ろす地図にはルオタニア共和国の北端の軍港アークティラと南の首都ノルトハーヴンに向けて北西方面軍隷下部隊の行動が記されていた。


「この北端のアークティラを押さえなければブリタニア連合王国などの諸外国が北極海経由で軍事支援を送り込む可能性がある。それは防ぐために冬季の間にアークティラ制圧を目指す」


 北極海に面しているアークティラや魔王国の軍港都市ポラリスクは意外なことに冬の間でも船舶の航行が可能だ。

 そうであるがゆえに魔王国陸軍参謀本部はこの地域の港を利用してルオタニア共和国が関係改善を目指していたブリタニア連合王国など諸外国が軍事物資を支援することを危惧していた。


「攻撃はネヴァグラードからサルミヤルヴィ地方へのものと、ポラリスクからアークティアに対するものに集中される。我々は当初の計画にあったルオタニア共和国を南北に分断する攻撃は行わない」


 当初の計画案ではルオタニア共和国と魔王国の長い国境線の中部から攻撃を仕掛け、南北に延びるルオタニア共和国の領土を分断しようという意欲的な計画があった。


 しかし、陸軍参謀本部情報総局(MID)の調査で進撃路となる場所がまともな道路も鉄道も整備されていないということが分かり、兵站上それが大きな問題になるとして計画は破棄された。


 よって攻撃はふたつの箇所に集中された。


 ネヴァグラードからノルトハーヴン。ポラリスクからアークティラ。


「ですが、冬季の攻勢になると琥珀海艦隊が動けないのが問題ですね」


 北極海に面するポラリスクの北極艦隊が動けるのに対して、琥珀海に面する琥珀艦隊はネヴァグラードの港が凍結するために動けない。


「だが、そのおかげで琥珀海を経由してルオタニア共和国に物資が届けられることは防げる。今はそれが重要だ」


 冬に凍り付く琥珀海北部にはメリットもデメリットもあった。


「司令官閣下。魔王陛下とジューコフ元帥閣下がお見えです」


「分かった」


 それからザイツェフ上級大将はヴァヴェルとジューコフ元帥に面会。


「ザイツェフ上級大将。陸軍参謀本部は作戦の成功は7割と言っている。これはあまり分のいい賭けではないことは分かるだろう」


 ヴァヴェルはザイツェフ上級大将にそう告げる。


「私は兵士の命を使ってギャンブルをしたくはないが、犠牲を恐れては勝利がありえないことも知っている」


「はい、陛下。心得ております」


「では、お前に頼もう。何としても勝利してくれ。これから生じるであろう犠牲に相応しいだけの勝利を得てくれ。それだけが私からの命令だ」


「はっ! しかとお引き受けしました」


 ヴァヴェルの言葉にザイツェフ上級大将は最敬礼で応じた。


 ヴァヴェルはそれから司令部を出て、北の方を見つめる。

 これから戦場となるであろう方角を眺める。


「この賭けに負ければ、我々の立場は酷く危ういものとなる」


「ええ。人類国家は魔王国恐れるに足らずと見るでしょう」


 人類国家は魔王国は眠れる獅子か、あるいは気絶した豚かを見定めようとしている。


「そうだ。だから、勝利しなければならない。何としても……」


 ジューコフ元帥の言葉にヴァヴェルはそう言い、専用列車で王都バビロンへと戻る。


 戦争が始まったのはそれから5時間後のことであった。


……………………

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