戦争計画
……………………
──戦争計画
陸軍参謀本部は内戦後にヴァヴェルが設置したものだった。
参謀本部制度は人類国家ではとっくに当たり前のものになっていたが、魔王国にそれが導入されたのはヴァヴェルの改革からだ。
彼はこれからの軍は個々の指揮官の技量によって大きく左右されるのではなく、それぞれの専門家が知恵を出し合って統合的に計画された戦争計画によって行動すべきであると考えていた。
「ようこそ、陛下」
陸軍参謀本部ではジューコフ元帥と参謀たちがヴァヴェルとエレーナを出迎えた。
「ジューコフ元帥。知っての通り敵は動き始めた。我々も動くぞ」
もはやヴァヴェルは汎人類条約機構のことを憚りなく敵と呼称した。
「陛下。目標は?」
ジューコフ元帥は慎重にそう尋ねる。
「ルオタニア共和国だ。サルミヤルヴィ地方を返してもらおう」
ルオタニア共和国。
魔王国と北西で国境を接している国であり、レヒスタン共和国などと同様に魔王国に苦しめられた過去を持つ国だ。
彼らは魔王国が内戦に陥ると魔王国の旧首都ネヴァグラードに向けて進軍してきたが、ヴァヴェルたちがそれを撃退。
ネヴァグラードが奪われることはそれで防げたが、結局のところそこから北にあるサルミヤルヴィ地方は奪われてしまった。
サルミヤルヴィ地方は戦略資源が眠っているなどということはないのだが、その地理が問題だった。
それはネヴァグラードに近すぎるのだ。
ネヴァグラードは宮殿がある旧首都というだけではない。
あそこには魔王国琥珀海艦隊の母港があり、それを整備するための大規模な造船所が存在するのだ。
だが、そのネヴァグラードは北のサルミヤルヴィ地方を失ったことでルオタニア共和国から砲撃可能な距離にある都市となってしまっていた。
そのことを軍部は深刻に懸念している。
「ルオタニア共和国はまだ汎人類条約機構には加盟していない。だが、急がなければ時間の問題になるだろう」
国家保安委員会はルオタニア共和国での諜報作戦を展開しており、かの国の政治情勢も調査している。
それによればルオタニア共和国には現在、汎人類条約機構加盟を目指す動きは少数であった。
彼らは当然魔王国を警戒しているが、かといって汎人類条約機構の盟主であるアルトライヒ帝国を信頼しているわけでもなかったのだ。
ルオタニア共和国の大多数は汎人類条約機構をアルトライヒ帝国によるて新しい支配体制だと見ていた。
そのためルオタニア共和国はアルトライヒ帝国に対して友好的な中立を示しながらも、ブリタニア連合王国との結びつきを強化しようとしている最中だ。
恐らくはブリタニア連合王国の助けを得て軍備を強化し、それから一定の軍事力を持った形で汎人類条約機構に入るつもりなのだろう。
それならばアルトライヒ帝国の言いなりにされる心配もない。
「ルオタニア共和国との戦争計画はすでに策定済みです」
ジューコフ元帥はヴァヴェルが言葉に自信を持ってそう答えた。
別にこれは軍部が先走ったというわけではない。
ヴァヴェルが陸軍参謀本部を設置した際に、そのときすでに周辺国との戦争計画を立案しておくように命じていたからだ。
ヴァヴェルはどのような形であれ将来起こりえる戦争に備えておく必要を内戦のときから感じていた。
内戦に際してもヴァヴェルは『あのときこの地形の情報あれば』と思うことは多々あった。それを事前に調査し、把握し、計画を立てておくのが参謀本部の存在意義だ。
ゆえに陸軍参謀本部は国家保安委員会とは別の諜報機関も有している。
陸軍参謀本部情報総局という部署だ。
その部署は外国に潜入して地図を作り、敵の兵力の配備状況を調べ、さらには無線通信の傍受及び暗号解読にも従事している。
「では、聞かせてもらおう」
「はい、陛下」
それからジューコフ元帥はまだ若い人狼の将校たちとともに地図を広げる。
ルオタニア共和国と魔王国はネヴァグラードのあるネヴァグラード州から北に向けてずっと長い国境線で接している。
最北にはポラリスクという北極圏での活動を主に行う軍港がある都市が位置しており、ネヴァグラードからの鉄道もそこまで伸びている。
一方のルオタニア共和国はネヴァグラード州から北西に向かった場所に首都ノルドハーヴンを有する。
ルオタニア共和国の人口はこの南部の都市に集中しており、それ以外の場所では人口は稀薄で開発も行き届いていなかった。
「我々が攻略しなければならないのは、このヴィープラにある敵の守り──リンドホルム・ラインです」
ヴィープラはルオタニア共和国が魔王国から奪った都市で、サルミヤルヴィ地方の主要都市だ。
魔王国時代は何もなかった都市だが、今ではルオタニア共和国の南の守りとして兵站基地や航空基地が設置されていた。
そして、その都市を守るように要塞線が存在しているのが地図には書かれている。
「ルオタニア共和国の陸軍司令官であるカール・リンドホルム元帥によって作られた要塞線です。鉄筋コンクリートのトーチカを備えており、その範囲もヴィープラを守るように広がっているのがお判りでしょう」
「強固な要塞か……」
アルトライヒ帝国が魔王国の航空偵察を勝手に行っていたように、魔王国もルオタニア共和国の領空を侵犯してひそかにリンドホルム・ラインの偵察写真を入手していた。
「ええ。一見するとこの要塞に阻まれて、我々は前進できません。ですが……」
リンドホルム・ラインは一見して鉄壁だ。
だが、陸軍参謀本部はこの要塞の抜け穴を見つけている。
「ここからは対ルオタニア作戦の立案者であるフェドール・マトヴェーエヴィチ・ラズモフ大佐が説明しましょう」
ジューコフ元帥はひとりの参謀をヴァヴェルに紹介する。
ラズモフ大佐は30代の若い人狼だ。
ラズモフ大佐はその青いの瞳に学者のような知的な色を有しながらも明るく、人懐こい雰囲気を感じさせた。
「まだ一部のトーチカは完成していない他、この要塞には致命的な弱点があります」
ラズモフ大佐がそう言い、地図を指さす。
航空写真にはまだ工事中のトーチカがいくつも見られた。
ルオタニア共和国の経済力はそこまで大きくない。
彼らにとっても大規模な要塞線を構築するのは大きな経済的負担になっていたのだ。
「しかしながら、それでもこれを突破するのには多大な損害を出さざるを得ないでしょう。そこで我々は新しいドクトリンを試すべきだと思うのです」
「新しいドクトリンか。それは空からの攻撃か?」
ヴァヴェルがそう言うとラズモフ大佐は驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに真剣な表情で頷く。
「そうです。この要塞は空からの攻撃に弱いのです。設置されている対空砲の数も、さほど多くありません」
航空偵察写真には僅かな高射砲の陣地があるのみで、見るからに配備が追いつていないのが分かった。
「では、爆撃で破壊すると?」
「それだけでは確実に要塞を破壊できるという保証はありません。我々がここで使用するのは……この部隊です」
ラズモフ中佐は長いリンドホルム・ラインにある兵科のマークを置いた。
「なるほど。確かに有益な戦術であるように思われる。私もあの部隊の発展は見届けてきたが、実践に出すのは初めてだ。任務を達成できるという確証は、ちゃんとある程度あるんだろうか?」
「間違いありません。すでに同部隊は演習で同じような構造の陣地を相手に攻撃を行うことを行っております。それを踏まえて、我々は作戦の成功は7割と見ています」
7割という数字にヴァヴェルは少しばかり逡巡するように顎を摩る。
ヴァヴェルはギャンブラーではない。むしろ、彼はギャンブルを好まない性格だ。
ましてそれが将兵の命というものを賭けたギャンブルならば、彼はそれをなおのこと好まないものである。
「……そうか。それは心強い」
だが、ラズモフ大佐の言葉にヴァヴェルは頷き、地図をじっくりと眺める。
「リンドホルム・ライン突破後は?」
「連中の首都であるノルドハーヴンを目指します。ここを押さえれば戦争の勝敗は決したも同然でしょう。連中の人口も工業力もここに集中していますので」
リンドホルム・ラインさえ突破できれば、森林と沼地を抜けて首都ノルトハーヴンまでは一気に届く距離であった。
それゆえにルオタニア共和国はこのリンドホルム・ラインを国防の要にしているのは間違いないだろう。
「分かった。この作戦の仔細を詰めて、8月までには実行可能なように頼む」
「畏まりました、陛下」
こうしてルオタニア共和国への戦争計画の詳細を決定する作業がスタートした。
陸軍参謀本部は侵攻計画やそれに伴う兵站計画の詳細を詰め始め、どの道路や橋を確保して進軍するかを決定していく。
魔王軍は内戦前は略奪で物資を補っていた前世代的な軍隊であったが、ヴァヴェルが魔王になってからは近代的な兵站の概念を有するようになっていた。
魔王軍はネヴァグラードにデポを設置し始め、ネヴァグラードからポラリスクに至るまでの鉄道の途中にもデポを設置していく。
そうやって着実に魔王軍によるルオタニア共和国侵攻計画は進んでいた。
「問題は」
ヴァヴェルは王城の執務室で呟くように言う。
「開戦の口実だな」
誰もが納得する戦争の大義。それが必要だ。
……………………




