作戦目標ミンシク
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──作戦目標ミンシク
長い冬が終わり、春が訪れた。
汎人類条約機構軍は将兵が凍死する恐れからは逃れたものの、今は兵站に大きな問題を抱えている。
雪の次、今度は泥だ。
雪が解けて魔王国の国土は泥に包まれた。
泥はトラックや馬車のタイヤを泥濘に捉えて移動を妨げている。
それでも汎人類条約機構軍の兵站は比較的回復した。
そして、彼らはこの春の時期に勝利を得ようとしていた。
「B軍集団は引き続きミンシクを目指す」
汎人類条約機構軍B軍集団の司令官はゲオルク・マイヤー上級大将であり、彼は当初定められていたミンシクという戦略目標を未だ達成するつもりだった。
当然ながら冬の被害はB軍集団も同様だ。
ようやく冬が終わったものの、冬季に出した損害は大きい。
しかし、マイヤー上級大将はそれでもなおミンシクという目標を得ようと言うのだ。
「閣下。それは東部戦域軍司令部の求めなのですか?」
「……そうだ。東部戦域軍というよりも政府の意向だ。我々は魔王国と講和する必要があるが、今のままではそれは難しい、と」
もうどの政府にも分かっていたのである。
このまま魔王国の首都バビロンに乗り込み、相手に降伏を強いることはできないと。
そもそものところ、最初の想定が甘かった。
参謀本部が立てていた計画ではリガン、ミンシク、キーヴァという戦略目標はあっさりと奪取できるはずであり、それさえ得れば魔王国は講和に応じるという甘い見積もりであったのだ。
だが、そうはならなかった。
リガン、ミンシク、キーヴァは手に入っていないばかりが、魔王国は祖国を侵略するものたちを討てと講和に応じる様子もない。
このままではレヒスタンまで押し返されるばかりか、レヒスタンが危うくなる。
「我々は参謀本部の失態を補わなければならない。そのことは参謀本部と同じく上に立つものとして心苦しく思う。特に上の失態を現場で血を流して挽回しなければならない将兵たちには申し訳なく思う」
だが、とマイヤー上級大将は続ける。
「それでも我々にミンシクが必要なのだ。祖国を守るために」
このまま戦争が継続すればレヒスタンが陥落するばかりか、アルトライヒも危うくなってしまう。
だから、どうしても戦略目標を手に入れて魔王国と講和する必要があった。
このような事情からミンシクを目標とした攻撃は再開された。
魔王軍はすぐにこの動きを掴み、ミンシクを巡る戦いが始まろうとしていた……。
* * * *
「戦車前へ!」
そう命じるのはハインリヒ・フォーゲル少尉という人物だ。
彼はルオタニア戦争中は軍曹だったが、その後士官学校で教育を受けて昇進し、今は少尉として彼の小隊を指揮していた。
その彼の小隊は最新のレオパルト中戦車を装備している。
彼の所属するグロスアルトライヒ装甲師団はこのレオパルト中戦車を最初に受領した部隊であり、精鋭として知られる部隊であった。
彼ら精鋭は汎人類条約機構軍の命運がかかっていると言っていいミンシク攻略戦に動員されたのだ。
「張り切ってますね、小隊長殿」
「そりゃあそうさ。この戦いには我が祖国の命運がかかっている。それに──」
フォーゲル少尉はにやりと笑って続ける。
「この戦車であれば魔王軍に対抗できるって話なんだ。これまでのように惨めな戦いをせずとも済むってな」
これまでルクス、ルクスII中戦車に乗っていたフォーゲル少尉も魔王軍のA-34中戦車には煮え湯を飲まされてきた。
ルクス中戦車では正面からの攻撃はまず弾かれ、僅かな弱点を砲手の腕と奇跡に頼って狙わなければ撃破できなかったのだ。
その状況はレオパルト中戦車の登場によって変わるはずだ。
だが残念なことにレオパルト中戦車はまだまだ僅かにしか配備されていない。
ほとんどの装甲師団は未だに魔王軍のA-34中戦車に歯が立たないルクス、ルクスII中戦車を使用しているのである。
「さあ、魔王軍に一泡吹かせてやろうぜ。前進!」
フォーゲル少尉はそう命令し、彼の小隊は前進はを始める。
まず警戒すべきは敵の戦車ではなく対戦車砲であった。
魔王軍の対戦車陣地が厳重なのはキーヴァの戦いで知られている。
魔王軍は何層もの縦深に及んで対戦車陣地を構築し、汎人類条約機構軍の戦車に損耗を強いるのである。
なので最初に前進するのは戦車ではなく歩兵だ。
歩兵が対戦車砲を探し出し、価値の高い戦車の前進を助ける。
もちろん魔王軍は歩兵対策に機関銃や地雷原を設置しているので、それも排除しなければ前進できないのだが、それについては砲兵が助けになった。
汎人類条約機構軍の砲兵が攻勢準備射撃で敵陣地を耕し、道を切り開くのだ。
砲弾の雨が前進観測班が捉えた魔王軍の陣地に降り注ぐ。
だが、魔王軍は陣地を強化することや念入りに偽装することで汎人類条約機構軍の砲撃から身を守っていた。
キーヴァの戦いでも分かっていたように、魔王軍は偽装のスペシャリストだ。
フォーゲル少尉たちに期待できるのは歩兵と砲兵が自分たちにとって脅威になる対戦車砲を可能な限り片付けてくれてることだけだった。
『中隊各車、これより陣地に突撃する。歩兵を援護せよ』
「了解」
フォーゲル少尉の上官である中隊長がから指示が下り、フォーゲル少尉は中隊長車に続いて魔王軍の陣地に向けて突撃していく。
歩兵はすでに突入を開始しており、一部の部隊が機関銃などに食い止められてしまっているのがフォーゲル少尉にも見えた。
「目標、前方の機関銃陣地」
機関銃を潰しても撃破数には含まれないんだけどなと思いながらフォーゲル少尉はそう命じて砲手が素早く機関銃陣地を照準。
「撃て!」
フォーゲル少尉の命令で戦車が火を噴き、魔王軍の機関銃陣地が潰される。
歩兵は戦車の援護に感謝するようにフォーゲル少尉たちに向けて手を振ると前進を再開して突撃を始めた。
フォーゲル少尉たちには楽な戦いが続くかと思われたが、それは突然やってきた。
「敵の急降下爆撃機だ!」
黒い星が翼に描かれた魔王空軍のTru-2攻撃機がフォーゲル少尉たちを目指して飛んでくる。
Tru-2攻撃機は地上に向けてロケット弾を掃射したのちに、何機かが急降下して航空爆弾を投下していった。
地上からグロスアルトライヒ装甲師団の歩兵が機関銃を飛び去るTru-2攻撃機に浴びせるが、口径7.92ミリのそれでは魔王軍に全く効果はなかった。
「小隊各車、被害報告!」
フォーゲル少尉が無線に向けて叫ぶ。
『2号車! 履帯をやられました! 走行不能!』
『4号車、こちらの被害ありませんが3号車が炎しているのが見えます! 脱出する人間はなし!』
1台が爆撃によって撃破されてしまった。
今のアルトライヒ陸軍にとって貴重なレオパルト中戦車と戦車兵がやれたのだ。
「クソッタレめ。空軍は何してやがる」
フォーゲル少尉はそう愚痴るが彼には分かっていた。
開戦からしばらくして航空優勢は完全に魔王軍が握るようになっていたことを。
* * * *
汎人類条約機構軍はレオパルト中戦車だけではなく、空においても新兵器を繰り出していた。
それは以前にも紹介したケストレルMk.III戦闘機である。
エンジン性能が向上し、速度も上昇性能も向上したこの機体であり、魔王軍のChE-3戦闘機に対抗できると考えられたものであった。
それが本当かどうかが今から確かめられる。
トマス・エリオット中尉は配備されたばかりのケストレルMk.III戦闘機の機種転換訓練を終えて今まさに実戦に挑んでいた。
『エリオット。ちゃんと援護してくれよ』
「分かっている、ペンブルック」
彼は僚機とともにミンシク方面に進出し、そこで汎人類条約機構軍の攻撃を阻止するために展開するだろう魔王空軍の相手をすることになっている。
しかし、彼らはまだ把握していなかった。
魔王空軍もまたドクトリンを改めていたことに。
「敵機視認! 何て数だ!」
魔王空軍は航空戦力を広域に広く展開するのではなく、戦闘機から攻撃機まで100機単位で集中運用し始めていたのだ。
エリオット中尉の前には400機近いChE-3戦闘機が見える。
それに対してエリオット中尉の所属する側には120機程度の戦闘機が存在するだけである。
魔王空軍は数で優位と判断し、一斉にエリオット中尉たちに襲い掛かる。
「クソ、クソ。やるしかない……!」
エリオット中尉は魔王空軍が挑みかかかってくるのに応じた。
ケストレルMk.IIIの性能ならば数では不利であったとしても魔王空軍に勝てるかもしれない。
そう思ったのだ。
しかし、現実は厳しい。
どれだけ優秀な戦闘機であっても数において圧倒的に不利では勝ち目などないのだ。
エリオット中尉は僚機とともに奮闘し、3機のChE-3戦闘機を撃墜したがそこまでであった。
彼の機体は被弾し、エリオット中尉は脱出。
不幸中の幸いは彼はミンシク攻略を目指す地上軍によって救出されたことだ。
汎人類条約機構軍は貴重な戦闘機パイロットを失わずにすんだのである。
しかし、魔王空軍に航空優勢を奪われた中でのミンシク攻略となり、B軍集団司令部の中にも不安が強く生じ始めていた。
我々は勝てるのだろうかと……。
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