特別計画
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──特別計画
「ヴェーバー宰相閣下はまだゴーサインを出さないのですか?」
対外諜報庁の作戦部長であるパウル・リヒターはそうベッカー長官に問う。
「まだだ。閣下はレヒスタン側に真相が発覚した場合のことを恐れている」
ベッカー長官はリヒター部長に首を横の振ってそう言った。
「我々は確実に二重三重の機密保持手続きは踏んでいます。このことが発覚することはありえません」
「そう説明はしたが、閣下は首を縦には振らなかった。恐らく我々の作戦に閣下がゴーサインを出すことはないだろう」
ベッカー長官の言葉にリヒター部長は天を仰ぐ。
レヒスタンで進行中の特別計画をリヒター部長はルオタニア戦争が勃発したときから丸1年近くかけて念入りに準備を進め、ゴーサインを待っていた。
だが、その努力は無意味だったと知らされたわけである。
「私の1年はどうやら無駄になったようです」
「いや。まだ決めるのは早い、リヒター君。ヴェーバー閣下は許可しないだろうが、私は違う意見を持っている」
「……それはどういうことですか?」
ベッカー長官が声を落としていうのにリヒター部長は訝しげに彼を見た。
国家の情報機関である対外諜報庁が、国の事実上のトップであるヴェーバー宰相の許可なく動くことなどあってはならないのだが……。
「我々が主体的かつ能動的に動く計画は中止だ。だが、レヒスタン側の動きは妨げない。我々は受動的にレヒスタン側に動きを援助するのだ」
「しかし、宰相閣下の許可がなければ違法です」
「ああ。我々の行動は合法ではない。だが、それはヴェーバー宰相の許可があっても同じことだ。我々はレヒスタン側の法を犯している」
「ですが……」
「国の未来がかかっているのだ。私たちが判断を誤れば国が亡ぶのだよ」
そう言われてしまってはリヒター部長に反論はできなかった。
確かにこのままレヒスタンが魔王国の側に向かってしまうことは止めなければならないだろう。
そうしなければレヒスタンという緩衝国家が、アルトライヒにとっての重要な安全保障上の空間がなくなってしまう。
今のままではダメなのだ。しかし、それでもリヒター部長には迷いがあった。
「もし、何かあった場合、私の弁護はしてくださいますね?」
「ああ。君の免責は保証しよう」
「分かりました。計画案を修正します。それを見て改めて判断をお願いします」
リヒター部長はそう言って長官執務室から退室した。
* * * *
アルトライヒ空軍の輸送機はヴァラキア王国からレヒスタン共和国の首都ヴァルシャの空軍基地にゆっくりと着陸した。
ここ最近では別に珍しいことではない。
ヴァラキア王国に駐留しているアルトライヒ軍の将兵の移動や物資の輸送などに空軍は従事しており、頻繁にレヒスタンとヴァラキアの間を飛行していた。
「やあ、ベーメ大尉。今度は何を運んできたんです?」
そんな輸送機から降りてきたアルトライヒ空軍のパイロットに空軍の地上要員がそう話しかける。
そのパイロットであるヴァルター・ベーメ空軍大尉は秘密めかした表情を浮かべて、地上要員たちの方を見た。
「そいつは機密情報だ。明かすことはできないぞ」
ベーメ大尉はそう言い、彼が何を運んできたかを明かさなかった。
というよりも、彼自身も自分が何を運んでいるのか知らなかったのだ、
ベーメ大尉はここ最近ヴァラキアとレヒスタンを往復して中身の分からない物資を運ばされていた。
運ばれた荷物はアルトライヒ陸軍の将校が受け取りに来たことから、陸軍に関係する荷物なのだろうと言うことだけは薄っすらと分かっていたが、それだけだ。
今回の荷物もアルトライヒ陸軍の将校が受け取り、そのままトラックに乗せて運んでいった。
しかし、トラックが向かった先はアルトライヒ陸軍の施設ではない。
レヒスタン陸軍の施設だ。
これまでの荷物もずっとこうしてレヒスタン陸軍の施設に運び込まれていた。
木箱に収められたヴァラキアからの積み荷はレヒスタン陸軍の中で開封される。
しっかりと釘でとめられた蓋をバールを使って外せば中から現れたのは武器だ。
「ヴァラキア製の小銃。性能は我々のものより劣るらしいが問題はない」
レヒスタン陸軍の施設内でそれを確認するのは、第1歩兵連隊の指揮官であるノヴァク大佐である。
彼はヴァラキアで製造された小銃とその弾薬が木箱の中にたっぷりと収められていることを確認していた。
「これで問題なく作戦は実行できそうですか、ノヴァク大佐?」
そう尋ねるのは空軍から荷物を受け取ったアルトライヒ陸軍の将校で、彼の所属は国防情報局であった。
「重要なのは政府機能を如何に効率的に麻痺させるかだ。政府機能は危機において存続するように作られている。まるで斬っても生え続けるヒュドラの首のようにな」
ノヴァク大佐は国防情報局の将校に語る。
「つまり重要なのは政府がヒュドラのようになる前に、まだ殺せる怪物であるうちに殺してしまうことだ。本作戦にて重要なのは奇襲である」
アルトライヒの助けを得てノヴァク大佐が企んでいること──それはクーデターだ。
アルトライヒ対外諜報庁のリヒター部長たちは、レヒスタンにて軍事クーデターを画策していた。
今のレヒスタン政府であるレヴァンドフスキ政権は魔王国に近すぎるということ。
そのことをアルトライヒの情報機関は危惧しており、対処しなければならないと考えていたのだ。
何せこのまま放置すれば5年で軍事的に、3年で経済的にアルトライヒは魔王国に対して危機的な状況を迎えてしまう。
「目標は開催中の議会。それから首相と大統領の身柄。ラジオ局、首都警察、国防省も制圧目標になる。目標制圧後、速やかにカミンスキ大将をトップにした臨時政府の樹立と戒厳令の布告を行う」
ノヴァク大佐が目指すのは親アルトライヒの陸軍軍人であるカミンスキ大将をトップにした軍事政権の樹立だ。
対外諜報庁や国防情報局がカミンスキ大将に接触していたのはそういうことだ。
「私はこの国を愛している。そうであるがゆえに今はこうしなければならないのだ」
「のちの歴史がそれを正しく評価するでしょう」
「そうであると願いたいな」
ノヴァク大佐と国防情報局の将校はそう言葉を交わし、クーデターの企ては着々と進められていった。
* * * *
ヴァヴェルとエレーナは市場が開放されている魔王国のリガンに、新しく出店したレヒスタン資本のレストランを訪れていた。
「素晴らしいレストランだ」
ヴァヴェルは笑顔でそう語る。
「このような店がもっと出店してくれると嬉しいものだ。魔王国の食文化の発展に大きく貢献してくれるだろうからね」
レストランでピエロギを中心とした料理を味わったのちにヴァヴェルは満足そうにそう言って国営新聞の記者たちとレヒスタンのマスコミの取材に応じた。
今はこのようなレストランを利用できるのは魔王国でも限られたエリートだけだ。
国民の大部分は未だに厳格な配給制度の下で生活しており、外資系のレストランで食事するために必要なお金を持っていない。
だが、ヴァヴェルはこの状態を変えるつもりだ。
現在農村で進められている市場経済の部分的な導入を都市部にも進め、今の計画経済から部分的な自由経済へと脱皮しようというのである
そんなことを考えているヴァヴェルの周りには国家保安委員会の物々しい護衛がついている。
ヴァヴェルがレヒスタンで暗殺されかかってから、国家保安委員会はヴァヴェルが再び暗殺の脅威にさらされることを恐れていた。
特にリガンには国外からの人間の出入りが容易であるのだから。
「陛下。そろそろ……」
「ああ」
そんな国家保安委員会の警護要員に促され、ヴァヴェルはVIP用の車両に乗り込む。
大勢が見送る中でヴァヴェルはリガンを出た。
「今日のお食事は美味しかったですね、陛下」
「そうだね。また来たいところだ」
エレーナもレストランでの食事に満足げなのにヴァヴェルは微笑んで見せた。
それから彼らは駅から専用列車でバビロンへと戻る。
「陛下」
バビロンの王城ではリュドミラがヴァヴェルの帰りを待っていた。
「何かあったのか?」
「その兆候があります。レヒスタンの陸軍部隊に不審な動きがあるとの報告が」
「ふむ。報告を頼もう」
ヴァヴェルは執務室に移動し、リュドミラから報告を受ける。
「レヒスタン陸軍内の右派勢力に動きが見られます。右派に所属する軍人たちがたびたび密会していることが、レヒスタン警察によって確認されており、レヒスタン政府も警戒しているようです」
国家保安委員会の情報ソースはレヒスタン警察だった。
レヒスタン警察の公安部門は軍を監視しており、特に今は政府に不満を持つ陸軍の右派勢力に注意を向けていた。
「クーデターの可能性があるというわけか?」
「はい、陛下。その可能性があります」
ヴァヴェルの率直な問いにリュドミラはそう答える。
「では、我々の側からできることは?」
「クーデターのことを警告するということでしょうか?」
「そうなる。レヴァンドフスキ政権が倒れるのは我々にとって望ましくない」
レヴァンドフスキ政権は魔王国の融和的であり、今の不可侵条約を守ってくれている存在だ。
その存在を失えば魔王国は戦争の危機にさらされる。
「残念ながらこちらから警告すれば、レヒスタン内の我々の情報源が危機にさらされます。それに警告しても阻止できると決まったわけではありません」
「そうか……。では、ジューコフ元帥に会わねばならないな」
ヴァヴェルはリュドミラの返答にそう返す。
彼は戦争が起きる可能性に備え始めた。
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