表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

かつて世界を救った勇者はどこに?

作者: ねこラシ

かつて、世界は滅びかけていた。

 魔王〈ヴァル=ゼル〉の侵攻により、人も獣も、国も森も、光を失いかけていた。


 そのとき、一人の若者が現れた。

 名をライエル・オルド。

 無名の村に生まれ、父も母も知らぬ孤児だったが、聖剣に選ばれた彼は世界の命運を背負い、仲間たちと共に魔王を打ち滅ぼした。


 その日から人々は彼を「英雄」「救済者」「神の子」と呼び、各地の王は彼に城や財宝を与えようとした。

 だが、ライエルは何も受け取らなかった。ただ一言、静かにこう言って姿を消したのだ。


 ――「人々が笑って暮らせるなら、それで十分だ」


 それから三十年が過ぎた。


     *


 ライエルは今、小さな村の外れで独り、古びた小屋に住んでいる。


 畑を耕し、山から水を引き、薪を割り、野菜と卵を市場に売る日々。

 街に降りても彼を知る者はほとんどいない。

 年老いた者で、時折「ああ、昔そんな人がいたような……」と呟く程度だ。


「……世界を救ったのは勇者様じゃなく、国の軍だったって話さ。今じゃどこの国もそう教えてる」


 ある日、露店の少年がそう話していたのを耳にした。


 ライエルは、黙っていた。怒りも、悲しみも、湧かなかった。ただ、少しだけ、風が冷たく感じられた。


     *


 ある冬の日のことだ。


 村の入り口に、一人の若い兵士が立っていた。まだ二十代前半だろう、凛々しい鎧をまとい、顔立ちはどこかライエルに似ていた。


「……ここに、かつての勇者様がいると聞きました」


 その言葉に、村の者は首をかしげた。


「勇者? そんなもん、もう何十年も前の話だろう」「たぶん爺さんの作り話じゃねえか?」


 兵士は諦めず、やがてライエルの小屋に辿り着いた。


 小屋の前で薪を割る老人に、彼は深く頭を下げた。


「あなたが……ライエル・オルド様、ですね?」


「……そう名乗っていた時期も、あったな」


 ライエルは、しばらく振りに口にした自らの名に、ほんの少しだけ眉を寄せた。


「私は〈セリオ・オルド〉と申します。……あなたの、孫にあたる者です」


 薪割りの手が止まる。


「母から聞きました。あなたは若き日に姿を消したと。英雄だった、と。……でも、どの書物にも、あなたの名は載っていませんでした。歴史から……消されているのです」


 ライエルはゆっくりと斧を下ろした。


「それで、私に何の用だ?」


 セリオは、手提げの袋から一冊の本を取り出した。それは手作りの書物で、表紙には『黄昏の剣 ライエル伝』と書かれていた。


「……母と、私と、そして幾人かの者が集めた記録です。あなたの旅路、仲間、戦い、言葉のすべてを……後世に残したくて」


「なぜそんなことを」


「……世界を救ったのは、間違いなくあなたです。私の中の誇りです。だから、せめて記憶に刻みたかった」


 ライエルは本を手に取り、ページをめくった。

 懐かしい名が並んでいた。

 ガルドの笑顔、フィーナの歌声、師匠の杖、夜空の誓い、仲間の死、そして最後の戦い――。


「……よく覚えているものだ」


「あなたの仲間の末裔たちが協力してくれました。私と同じように……祖の偉業を忘れたくないと」


 ライエルの指先が、本の一枚を震わせる。


 そのページに描かれていたのは、一枚の古びた剣の絵だった。

 彼が魔王を倒した聖剣、〈ラステリア〉。


「……もう、その剣はどこにもない。私が折った」


 セリオは目を見開いた。


「どうして……?」


「剣は、争いを呼ぶ。私が消えたあと、あれを巡って国がまた血を流すかもしれなかった」


「でも、それでは――」


「……もう十分だ。英雄など、長く生きてはいけない。神話は死んでこそ、美しい」


     *


 春が来るころ、ライエルは病に倒れた。

 村の者は「ただの風邪だ」と笑っていたが、セリオだけは分かっていた。

 それが、最期の時だということを。


 小屋の中、ライエルは木のベッドに横たわり、セリオに向かって笑った。


「……お前は、強いな。私より、ずっと……」


「そんなこと……」


「もう一度だけ……あの空が見たい。あの日、魔王を倒した後……皆と見た、青い空を」


 セリオは窓を開けた。外は晴天。

 風が、遠くの山から春の香りを運んできた。


 そして、ライエルは穏やかに目を閉じた。


     *


 ライエル・オルド。

 英雄にして、名もなき老人。

 世界を救い、忘れ去られた者。


 彼の墓は、草原の奥、一本の桜の下にある。

 墓標にはただひとこと――


 『ここに、ひとりの人間が眠る』


 彼の名を知る者は少ない。

 だが、彼の生き様を知る者の中で、記憶は燃え続ける。


 英雄は、やがて黄昏に還る。

 だがその剣の光は、誰かの心で、確かに生きているのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ