肉の檻
ああ、またか。
背中に鈍い衝撃が走る。蹴られた。いや、蹴飛ばされたというべきか。
コンクリートの床に、ずしりとした身体が転がる音が響く。
「この役立たずが。動けって言ってんだろ!」
男の声が、冷たい空気を裂いて突き刺さる。
わかってる。動けって言ってるんだろう?でも無理なんだ。
四本足で立つのにも慣れてない。何より、身体が重すぎる。
――いや、それ以前の問題だ。
なぜ、俺が豚になってるんだ?
昨日まで――いや、今朝まで、俺は普通の人間だった。
三十代。ごく平凡なサラリーマン。毎日、決まった時間に満員電車に揺られ、上司に頭を下げ、同僚の愚痴を聞き、深夜にコンビニ弁当をかきこむだけの、地味な人生。
そのはずだった。
それが気がついたら、豚。
肥満体。皮膚病。目ヤニと鼻水で汚れた顔。
鏡なんてなかったけど、周りの豚と一緒に写った水たまりの中の自分が、その事実を突きつけてきた。
"お前は、もう人間じゃない"。
……笑える話だ。
人間として、何一つ誇れない人生を送った俺は、
人間ですらいられなくなった。
> 飼育員たちは俺をただの「豚」として扱った。
名前なんてもちろんない。ただの番号だ。
餌は決まって残飯。
水は泥まみれ。
ケージの中で寝そべるしかない。
ある日、一頭の豚が逃げようとした。
鉄棒で撲殺された。
次の日、その肉が俺の餌に混じっていた。
吐き気がした。でも、吐けなかった。
生きるって、なんだ?
こんなの、生きてる意味があるのか?
それでも、俺は――死ねなかった。
"人間"への憎しみだけが、俺を繋ぎ止めていた。
俺をこんな目に遭わせたのは、奴らだ。
嘲笑い、蹴り、利用し、食う。
……次に生まれ変わるなら、絶対に人間になってやる。
そして、俺を踏みにじった“全て”を、見下ろしてやる。
――その誓いを胸に抱いた、あの日。
屠殺場の床に広がる血の中で、俺の意識は闇に沈んだ。