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おじいちゃんに向けて

作者: 今橋 卓杜


僕には亡くなったおじいちゃんがいる。


素晴らしい経歴を持つがあえてここは僕が見たおじいちゃんを書こうと思う。


おじいちゃんは常に高い意識を持つことを意識していたように思う。


その意識は自己中で独りよがりなものではなく、人に向けられるやさしさや喜びなどを常に感じて いるように見えた。


人とのつながりを大切にしそれに命を救われたこともある。


また、歩くのが好きでコツコツと努力する人でもあった。


自分では中途半端だと嘆いて絵や写真、短歌などをたしなんでいたが、ぼくから見ればそういった姿勢にどこか自分に対する希望や期待感というものを常に抱いていたように思える。


そういった期待感と技術とのギャップにおじいちゃん自信は中途半端だと嘆いていたのだろうと思う。


孫に対してのおじいちゃんの視線は暖かくそして優しく、配慮を忘れず、行き過ぎないところでとどまるしかし態度や行動に僕らへの愛はあふれ出ていた。


例えば僕らのおやつを毎日用意していてくれた。

僕ら兄弟が大きくなるにつれてに帰ってくるのが遅くなりおじいちゃんやおばあちゃんが僕らの家に来る必要がなくなるまでそれは続いた。


おやつがなくなった時僕らは無性にさみしくなったものだ。


また、僕らの描いた絵は丁寧に一個一個額に入れて保存していた。

たまに持ち帰った絵が消えていることがあったがそれはおじいちゃんが勝手に持ち帰り額に入れ大切に保存していた。


少し、かなり少しちゃっかりなところがあるかわいいおじいちゃんでもあった。


そして何よりパーティー好きである一面もあった。


何かしらにつけパーティをしようと声をかけ僕らの貴重で重要な無意識下での財産を育ててくれた。


おじいちゃんは家の家系図を作りまた郷土資料などで自分の祖先への敬意を持っていたと思われる。


僕は生きる楽しみのほとんどといっていいものをおじいちゃんから学んでいた。


おじいちゃんの涙は優しく、いとしく、そして愛にあふれていた。


おじいちゃんに関してはこれでもほんの少しも語りつくせていないが、孫の僕がこうしておじいちゃんについて考え振り返りまた思い出を振り返ることができたことをありがたく思う。


僕が何かを何かを成し遂げるときそれは僕にとって完璧な賞賛はこの世にもう存在しない。


僕のこの豊かな人生の裏にはおじいちゃんによってもたらされたみえない財産が多分に含まれている。


そして、また、おじいちゃんがどんな人か孫目線ではあるが皆さんに紹介できたことをうれしく思う。


天国にいるおじいちゃんへ孫より感謝と愛をこめて。


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