死者は「ちょっとそこまで」と出て行って二度と戻らない
応接のソファのお客様側に、海谷先生は一人で座った。向かいには門倉亜美と竹内園美の女子高生二人。私は、何かあったらすぐに動けるよう、コーヒーも入れずに立っていた。
「お願いします」私は言った。女装をした男は「うん」と言って少し間をおいて、物語を饒舌に語り始めた。
死者は死んだときの年齢でこの世に現れる。そして、ちょっとそこまでと出て行って二度と戻らない。
何のことかわからない? でも聞いていて。そのうちわかった気になる。僕も自分が見たことや聞いたことを理解するまで相当な時間がかかった。
僕を育ててくれた父親の話からしよう。
記憶にあるのは母親に暴力を振るう姿だけ。僕が男というものを嫌いになったのは彼のおかげ。母に対する暴力は悪魔的だったよ。こんな生活になったのはおまえのせいだ、と言いながら何度も何度も母を殴る。中世の魔女狩りと同じ構図。悪魔は男の中にいるのに、女が悪魔だと叫び、恐ろしさをごまかすために弱い女に暴力を振るう。
小学生の頃、僕は毎年沖縄の離島で夏を過ごした。母の育った場所だと聞いた。青い空と青い海、それが世界のすべて。そう言うと楽園のように聞こえるかもしれない。違うんだ。あの場所にいると何も考えられなくなる。麻薬みたいな土地。そして、まる一日外にいても誰にも会わないくらい、住人の少ない島。
毎年、夏の盛りに一週間ほど続くお祭りが開かれる。不思議なことに、その時期だけは、どこから湧いてくるのか島が人で溢れるんだよ。それもみんながみんな、お互いを知っている。大人はみな、昼から夜までずっと、三線の音楽に合わせて輪になって歌って踊り、酒を飲んで過ごす。僕は途中で眠くなっていつの間にか寝てしまう。翌朝、目を覚ますと、部屋の中では見知らぬ男と女が何人も、裸で、疲れ果てたように眠っている。毎日その繰り返し。何もない島でずっと三線の音が鳴っていたら、楽器を手に取るしかないんだ。そして、いつの間にか弾けるようになる。誰からも教わらなくてもね。
あれは小学五年生の夏休み。祭りの輪の中にとても綺麗な女の人がいた。綺麗だけじゃない、彼女の奏でる三線の音は他の誰の音とも違う、別格だった。そしてあの美しい声。僕は魂をつかまれた。
傍らにいた母が僕に言った。「あの子は、私の親戚よ」
変な言い方をするなあって思った。母の親戚なら僕の親戚でもある。でも、訊いてはいけないような気がして黙っていた。母は教えてくれた。「あの子の名前は多海、多い海って書くの、でもみんなはアヤハベルって呼ぶわ、こちらの言葉できれいな蝶っていう意味よ」
翌朝、目覚めた僕は当たり前のように一人で三線を弾いていた。そこにアヤハベルが現れた。いい匂いがした。
「へえ、上手じゃない」それが僕にかけてくれた彼女の最初の言葉。褒められて嬉しかったけど、僕は彼女のような音が出したかった。
「どうすればあんな音を出せるの?」僕は訊いたよ。
「ちょっと貸して」彼女は僕の三線を取り上げると、「私、こういう風にしか弾けないから」と言いながらメロディを奏でてくれる。同じ楽器から出てくるとは思えない、全然違う音が僕をぞくぞくさせる。きっと目を丸くしたまま、僕は言葉を失ったのだろうね。すると彼女はどこからかラジオを持って来てスイッチを入れた。聞こえてきたのは英語の放送だった。「ファー・イースト・ネットワーク、極東軍事放送」彼女は言った。その頃のヒット曲がかかり、彼女はニコニコしながら聞いている。その曲が終わると彼女はラジオを切って、今聞いたばかりの英語の曲を三線にのせて口ずさんだ。歌い終わると彼女は言った。「どんな曲でも一度聞いたら全部歌える」
実際その通りだった。ラジオから流れてきた曲を聴いて、ぼくが「これいいね」と言うと、彼女はすぐに歌ってくれた。あの時に天才というものを生まれて初めて目の当たりにしたよ。
「すごいね」って僕が言うと、アヤハベルはこう返した。「私、他のことは何もできないの、計算も苦手、漢字もあまり知らない」
次の日も僕は彼女に会うのを期待して、一人で起きて三線を弾いていた。アヤハベルが自分の三線を持って現れて、僕たちはセッションをしたんだ。彼女と一緒だと、魔法にかかったように何でも弾ける。全能の神になった気分だった。ほんの一時間くらいだけど、奇跡の時間。思い出すだけで幸せだよ。
そして、次の日。僕とアヤハベルはまた二人で三線を弾きながら歌った。途中で彼女が「ちょっと真似してみて」と言って、手首の動かし方を見せてくれた。僕は同じようにやっているつもりがどうもうまくいかない。彼女は自分の三線を脇に置くと、床に座っている僕の後ろに来て、体を密着させて、文字通り手取り足取り弾き方を教えてくれた。この後のことはおおっぴらに言うようなことではないけど、まあ、若かった僕の体が反応して彼女の両手の中で果てた…。僕は気持ちよくて動けなかった。彼女もしばらく僕の隣りで横になっていた。僕は彼女の手を握った。彼女はゆっくりと体を起こして言った。
「そろそろ出かけるね」
「どこに?」僕は訊いた。
「ちょっとそこまで」そう言ってアヤハベルは出て行き、二度と戻らなかった。
その翌年、母から、今年の夏は島ではなく塾の夏期講習に行くよう突然指示された。
「あなたの将来のため、来年から中高一貫校で寮生活を送ってほしい。そのための受験勉強をするのよ」それが母の意向だった。うちにお金がなかった。習い事をさせてもらったことがない。だから、塾に行けと言われたのは、嬉しかった。ワクワクしたよ。勉強して受験には無事合格した。合格が決まると、母が言った。「あなたのおじさんが合格祝いをあげたいって言ってるの、大阪に一人で住んでいるからぜひ行ってあげて、三線を持って行くのよ、弾いてあげたらきっと喜ぶわ」
大阪におじさんがいるなんて聞いたことがなかった。それに、「あなたのおじさん」という言い方もひっかかった。アヤハベルのことを「私の親戚」と言った時のようにね。三線を喜ぶのなら沖縄の人、母の兄か弟ということになる。そう言ってくれてもよさそうなものなのに…、そんな疑問が湧いたけれど僕はこの時も訊けなかった。
おじさんは、新大阪駅まで迎えに来てくれた。年齢は母よりも少し若い感じ。色が黒く、目がぎょろっとして、いかにも南国の人という風貌。それを隠す感じもなく堂々としているように見えた。体は父親よりも小さいのに、暴力ばかり振るっていた父親よりも迫力を感じた。
二人で食事をしてタクシーに乗った。緑の車。ナンバーは1363、語呂合わせも何もない。おじさんの住まいは殺風景なアパートだった。部屋に入ると「さっそく一曲きかせてくれよ」と言われた。僕はアヤハベルに教わった曲を奏で歌った。
「いい曲だあ」おじさんは手を叩きながら言った。「誰に教わった?」
「アヤハベル」僕は答えた。
おじさんは大きな目をさらに丸くして「多海に会ったのか?」と訊いた。僕が黙って首を縦に振ると、おじさんは感極まったように眼に涙を浮かべしばらく黙り込んだ。もちろん僕に言葉などかけられない。おじさんが何か言ってくれるのをじっと待っていた。
「親父のこと好きか?」これが次の言葉だった。
僕は正直に首を横に振った。
おじさんは、頭の中の考えをまとめるように何度かうなずくと、肚を決めたように話を始めた。
「いずれ戸籍を見ることがあればわかることだが、あれはおまえの本当の父親じゃない。本当の父親はオレの兄貴だ。兄貴は、おまえがまだ物心つく前に、ちょっとした事件を起こして逮捕された。心配するな、人を殺したり傷つけたりしたわけじゃない、調子に乗り過ぎただけなんだ。兄貴は捕まって刑務所に入り、オレは色々な場所を転々としながら身を潜めていた。オレたちたちのことをずっと追い回すヤツがいたから。刑務所はいい隠れ場所だった。自分だけ捕まって刑務所に逃げた兄貴をオレは恨んだよ。だけど刑務所に入ってすぐに亡くなった。突然死。かわいそうな兄貴。去年の夏前に、おれたちを追い回していたヤツがやっと死んでくれたんだ。何で知ってるかって? オレはそいつをずっと見ていた。そいつに見られないようにオレの方が見ていた。考えてみたら、あれも古い慣習に洗脳された哀れなヤツだよ。とにかく、これでオレたちは自由だ。なあ、最近親父といつ会った? 兄貴のことじゃない、おまえを育てた親父だ」
父親は2,3日家に帰っていなかったが、別に珍しいことでもない。自分が気にも留めていなかったことを、おじさんに訊かれて気がついた。
僕は本当のことを言った。
「いつも母さんに暴力を振るう」と、それまで誰にも言えなかった言葉を継ぎ足した。
おじさんはニヤッと笑って「おまえには手をあげないだろう?」とまた訊いた。
僕は黙って頷いた。
「あいつは時々女に暴力を振るう。自分では止められない。外で暴れたら警察沙汰だ。だから家の中だけ。不思議なものでそこだけは冷静なんだ。心配はいらない。お前があの男に会うことはもうない。奴も自由だ。…もちろん姉さんも、おまえもな。姉さんと離れて寮に入るんだろう? それもいいんじゃないか? 大丈夫だ、おまえの音楽は素晴らしい。アヤハベルのような特別な才能がある。人間は才能を活かして生きていくものだ。これ、お祝いだ、取っておけ」そう言っておじさんは、僕に分厚い封筒を手渡した。中には帯付きの1万円札の束。百万円の札束。僕の記憶はいったんそこで途切れる。おじさんと別れたことも、一人で母のいる家に戻ったことも、中学の寮に入ったことも、何一つ思い出せない。あの数か月だけ、記憶が欠損している。
中一の夏休みに、母のもとに帰った。そこでさらに衝撃的な話を聞くことになる。
まずは母の再婚話。「ここでの暮らしももうおしまいね。冬休みには新しい家に移っているわ」母は表面では笑いながら、ずっと思い詰めたような目で僕を見ていた。
その次はおじさんが亡くなった話。部屋で突然死した。見つかった時には亡くなってから一週間も経っていた。孤独死なんて昔からある…。
まだ続きがあった。
「ここから先は、あなたが大人になってから話すつもりだった。でも、義弟もあの若さで亡くなるくらいだから、私に同じようなことが起きてもおかしくはないの。だから、今話す。…すぐに理解できなくてもいいわ。大人になるまでにはわかると思う。もし大人になっても理解できなければそれでいい」
僕は頷いた。
「私が生まれ育ったあの島、あなたは好き?」
僕はもう一度頷いた。
「そう…? でももう行くことはないの。だってもうあの島には誰も住んでいない。最後の一人が死んじゃったのよ。だから、おしまい。もともとほとんど人なんて住んでなかったでしょう?」
「お祭りのとき、人がいっぱい来たよ」
「あれはみんな死人よ。かつての住民たちがお祭りの間だけ集まってくるの」
驚いたよ。返す言葉がなかった。
「島の人たちは、あの島こそが世界で一番素晴らしい場所だって信じていた。仕事なんて何もないの、あそこには。だからみんな出稼ぎに行く。本島、九州、東京…、どこへ行ってもみんな稼いだお金を貯めて、毎年お盆の時期に島に戻ってくるの。そのお金で盛大にお祭りをやるのよ、死者も呼んでね。それを楽しみに生きていたのよ。まあ、伝統という名の洗脳ね。盛大なお祭りといっても用意するのは食事とお酒。あとは海と音楽があればいい…。一年かけてみんなが稼いだお金はとても一週間では遣いきれない。だから、あの島にはお金が貯まっていた。そしていつしか、生きている人間より死者の方がずっと多くなっていた。こんなの、いつまでも続くはずがない、そう言いだしたのはあなたの本当のお父さんよ。あの人は私たちの洗脳を解いてくれたの。そして予言をした、十年も経てばこの島には生きている人間はいなくなる、って。私たちは結婚して、あの人の考えに賛同した数人の友だちと一緒に島を出たの。もちろん義弟もついてきた。島のお金をほとんど持って逃げたの。だけど、同じことを考えた男が他にもいた。その男もお金を持ち逃げしようとした。でももうお金はなかったのよ。当然、その男は私たちが盗んだものとピンときた。そこで夫が考えた、商売を始めてまっとうにお金を稼いでいるふりをしようと。商売には資金が必要だけど、盗んだお金は使えない。お金を借りた証拠が必要だった。ところが、あの人には才能があった。ものすごく弁が立つの。調子のいい儲け話をすると、ぜひ一緒にやらせてほしいと出資者が集まった。結局は、詐欺罪で捕まって、刑務所で突然死したわ。夫が捕まった時、書類上は離婚をしたの。それから形だけの再婚をした。その相手が、あなたが一緒に暮らした人、お父さん。筋書きを作ったのは亡くなった義弟。私には連絡先も教えずに監視しておきたかったのよ。…夏になると私はあなたを連れて島に戻った。あの島から逃げたのではないというカモフラージュのためよ。もうすでに私の人生はわけがわからなくなっていた。あの人の予言を信じて辛抱するしかなかった。十年経てば、生きている人間がここにはいなくなる。生きている人間がいなければ死者も現れない。なぜかわかる? 先祖の霊なんてしょせんは生きている人間の自己満足が作り出すの」
当時の僕には母の言葉が入ってこなかった。ただ一つ理解できたのは、僕が育った環境が普通ではなかったということ。
中学に入ってから、僕は音楽のおかげで、周りとうまくやることができた。思春期なのに不安や悩みがひとつもなくて、…家族と離れたから僕の毎日は穏やかだった。母の話を聞きいているうちに、この人にはもう会わなくてもいいかな、と思ったんだ。誰だか知らないけれど、母のお金をあてにする男と新しい生活を始めたいのだろう。おじさんの言った通り、母は自由なのだから。
僕から訊きたいことは一つしかなかった。
「アヤハベル…、多海はどこにいるの?」
「多海と別れた時のことを覚えてる? ちょっとそこまでと言って、二度と戻ってこなかったんじゃない?」
「うん」
「死んだときの年齢でこの世に現れる。そして、ちょっとそこまでと言って出かけて、決して戻ってこない。それが死者よ」
「じゃあ、アヤハベルも死んでいるの?」
「そうよ。基地のアメリカ兵の間で一番人気があった歌手がアヤハベル。あの島にあったお金の半分くらいは多海が稼いだお金よ、多海はあの島が大好きだった…、何もわかっていない人だったの」
僕の人生の最高の思い出は、死者と戯れたことだよ、本当に僕はめちゃくちゃな育ち方をした。でも、悪いことじゃない。だって僕は死者に音楽を教わった、僕が音楽で成功したら伝説になりそうなネタを既に持っていたんだよ、…でも、現実は甘くなかった。
アヤハベルは一度聴いた曲をすべて覚えて、歌うことも弾くこともできた。僕にはできなかった。アヤハベルは音楽の神様に愛され、僕は凡人だったというわけだ。練習すればそこそこにはギターを弾けるけど、せいぜいそこまで。それでも音楽のおかげで若い頃は結構モテた。何人もの女の子と関係をもった。でも、ことが終わるとしらけてしまう。頭の中ではアヤハベルとの幸せな時間が甦り、自分は何をしているのだろうとがっかりする。それがあからさまに顔に出る。相手の女は怒って僕を罵倒する。大概は悪いのは自分だとわかっているから聞き流せた。でも時々グサッと来ることをいう子がいる。生まれてこなければよかったんじゃない? とかね。ダメなんだよ、…スイッチが入ってしまう。頭の中が真っ白になって気がついたら手が出ている。まるで血のつながっていない父親のようにね。
そういう経験が重なるうちに、僕は自分の中に二つの発見をした。
一つは、僕は男が好きじゃないこと、いつか男をやめてもいいと思うようになった。
もう一つは、…僕は最初は普通の会社に入ったんだ。そこで関係を持った同年代の女の子たちがすでにアヤハベルの年齢を超えていることに気がついた。死者は死んだときの年齢で生きている人間の前に現れる、そう言ったよね? アヤハベルの肌の張りは十代だよ…、僕はきっと大人の女には興味が持てないんだ。これが二つ目の発見。
そして事件が起きる。
出勤の途中、僕は駅の階段を上っていた。天気は雨。みんな傘を手にしていた。前を歩いていた男が突然駆け出して、その勢いで彼の傘が後ろに振れた。先端が僕の目を直撃。僕は階段から転落し、救急車で運ばれた。監視カメラのない時代で、男はどこかへ行ってしまってそれっきり、僕は右目の視力を失った。
義眼を入れたら世界が変わった。特別な能力があることに初めて気がついた。見たものを動画として記憶して、それをいつでも取り出すことができる。アヤハベルの姿が色あせないのも、母との会話を一言一句再現できるのも、この能力のおかげなんだ。
死はいつだってすぐそこにあったのに、僕には見えなかった。父親が死んでいたことを知らなかったし、亡くなったおじさんに会ったのは一度きり。アヤハベルに会ったのは彼女が死んでから。…右目を失った時に、いろいろと検査をしてもらったんだ。QT延長症候群という遺伝性の病気が見つかったよ。父とおじさんが突然死したのもこの病気のせいだろう。以来、ずっと薬を飲んでいる。
とにかく、事件のおかげで僕には死が見えるようになった。そして決心をしたんだ。自分らしく生きようとね。
僕は会社を辞めて予備校の講師になると決めた。十代の女の子に囲まれている仕事なんてすばらしいよ。時々、アヤハベルに似た女の子がいるんだ。そんな子を見つけると、僕はその姿を目に焼き付ける。
盗撮がどうのこうの言っていたけど、僕は盗撮なんてする必要がないんだよ。見たものは眼を閉じればいつでも再生できるし、自分の喜びを誰かと共有したいなんて思わない。
男でいるのをやめたいのと、女になりたいのとはちょっと違う。僕はどこにも属さないものになりたい。
女装の理由は実務的なものだよ。僕が女の子を見るのはパブリックな空間だけ。プライバシーを覗きたいとも思わない。犯罪になるようなことは何もしていない。若い女の子は中年の男の視線が嫌いでしょう? 中年の女性の視線なら抵抗がない。僕は気配を消すために女装をしている。女性のトイレや更衣室には決して入らない。犯罪だからね。女装したら、お店で頼んだコーヒーには口をつけない。トイレを使いたくないから。どうしてもというときは、男女兼用のトイレしか使わない。駅の多機能トイレとかね。でも、苦労の甲斐もなく、竹内さんのお友達は気がついてくれたみたいだね。僕みたいな人間の存在に。意外と嬉しいものだよ、自分でも驚いてる。
ここまで喋ると、竹内園美から海谷先生と呼ばれた男は、殻に閉じこもるかのように黙りこんだ。あとを引き継いだのは気持ちが悪いほどの沈黙。
女子高生二人が口を開く前に、私が何かを言わなければいけない。それはわかっているのに自分の立場を決められずにいる。
話を聞いてどう思った? 私は自分自身に問うた。同情した? 全然。彼は信用できる? 全然。
わかってもいないのに、わかったような言葉で間を埋めるのは得意じゃない。やらなくていいならやりたくない。
「ごめんなさい」門倉亜美が椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。「ひどいことをしました。私、償います」
「何言ってるのよ、亜美ちゃん」私は強い口調で言った。「いまの話を信じられるの? お祭りの日に死者が集まるなんておかしいじゃない?」
「おかしいのは冬春夏子でしょう? こんな可哀想な話を聞いてよくそんな酷いことが言えるわ」彼女は私をキッと睨みつけると、男の顔を見て声のトーンを落とした。
「海谷先生、私、先生の気持ちわかります。私もめちゃくちゃな育ち方をしました。私もわかってくれる人が欲しいんです、一緒に行きましょう」
「ダメ」声を荒げるのは逆効果だと知った私は、ボソッと言った。
「なんでよ?」
門倉亜美を無視して、私は男に向かって言った。「海谷先生、勝手なお願いで申し訳ありませんが、今日のところはお引き取り願えないでしょうか? 今日の件でお話合いが必要でしたら後日承ります」
「なんでよ? なんで邪魔するのよ?」門倉亜美がつっかかる。
「亜美ちゃん、明日から私の顔なんて見たくもないでしょう?」
「見たくないわ」
「よかった」私は笑みを浮かべた「だったら、今から書類作るから帰る前にサインをして、サインしてくれないと明日以降も料金が発生するわ」