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大和石綺譚  作者: 速水涙子


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第五話 針鉄鉱(五/五)

 天気は雨。どこからか入り込んだじめじめとした空気によって、室内は陰鬱な雰囲気に沈んでいる。ただ、外の暗がりも相まってか、煌々と照る灯りのもとで雨音を聞いているのは不思議と心地よくもあった。


 あの一件から一週間ほど後のこと。自身が埋め合わせをすると言ったとおりに、柚子は花梨と椿をひいきにしているという喫茶店につれて来てくれていた。その場所で、花梨たちは柚子から粛々と事情を聞いていた――わけではなく。


「だってさあ。親友だと思ってたんだよ。小学校から一緒なんだよ? まあ、こっちがそう思ってただけみたいだけど!」


 そんな調子で、花梨たちは柚子の一方的な話につき合っていた。


「デザイン画が勝手に公開されてたとか。こんなのできるの、ひとりしかいないっての」


 テーブルの上に所狭しと並べられた注文の品を恐ろしい早さで平らげながら、今回のできごとについて、柚子は絶えず話をしている。どうやら、そうやって吐き出せる程度には、この件については彼女の中で折り合いがついているらしい。


 とはいえ、深い関わりがあるわけでもない花梨は相槌を打つこともできず、ただ呆然とその話を聞いていた。


「オーナーには事情を説明して、わかってもらえたからよかったけど――」


「待って。よかったって、どういうこと。その人のこと、許すの」


 唐突に口を挟んだのは、つい今しがたまで淡々とパンケーキを食べていた椿だった。思いのほか感情的な声に、柚子は気圧されたようにぽかんと口を開ける。さっきまでは本当に気のない素振りだったので、花梨もその変化に驚いた。


 柚子は衝撃から立ち直ると、なだめるようにこう返す。


「えーと、落ち着いて? これは椿ちゃんが怒ることじゃないって。それとも、やっぱり白黒つけないといけないお年頃かな」


「茶化さないで」


 椿に強くそう返されて、柚子はしゅんとする。そうして次に口を開いたときには、さっきまでの勢いはなくなっていた。


「まあ、何て言うか……その、わからないんだよね」


「何が」


 と、椿に詰め寄られ、柚子は軽く肩をすくめる。


「だから、わからないの。ずっと親友だったのに、どうしてこんなことしたのか。それでね、気づいた」


 柚子は少しだけ調子を取り戻したように、こう続けた。


「私はずっと、話をちゃんと聞いてなかったなって。会社勤めの苦労とか、私にはわかんないよって、へらへら笑って流して。だから、わかんないんだよ。相手が何を思って、こんなことしたのか。本当に、何も」


「だからって、こんなことしていい理由にはならない」


「わかってるよ。私だって、やられたことは許せない。絶対に。でもね、私、本当に親友だって思ってた。小学生のときから、ずっと変わらず。そう思ってたなら、もう少し何とかできたんじゃないかって」


「相手が言わなかったんなら、仕方がないじゃない。何も言わないくせに、一足飛びにこんなことをされちゃ、どうしようもないでしょ」


 柚子は椿の言い分に、たじろいだように顔をしかめた。


「まあ、ね。椿ちゃんの言うことも一理ある。ほら、橋占だっけ。結局、あれもそういうことだったんだろうし。教えてくれるなら、もう少しわかりやすく言って欲しいよね」


「あれはむしろ、わかりやすく言ったつもりなんじゃないの。あのとき槐があなたに話してたの、イソップ物語でしょ。カラスとキツネ。キツネが上手いこと言って、カラスが咥えたエサを、横取りするやつ」


 思いがけずそう言い返されて、柚子は複雑な表情で椿を見つめ返した。椿の方は、どこ吹く風だ。それにしても――


 口も挟めずにいた花梨は、初めて知る話に首をかしげた。イソップ物語のカラスとキツネ。それが、戻橋で柚子が聞いた声の内容。どうして、イソップ物語なのだろう。


 柚子は力なく肩を落としている。


「相手のことを許しはしないけどさ。結局、自分も、やらかしたな、って思うから、こんなもやもやするんだよね。過ぎちゃったことは、取り返せない。あの変な夢も、一度きりだし……今ならたぶん、もう少しましに言い返せるのにな――あ、ごめん。これはこっちの話」


 柚子はうつむくと、軽くため息をつく。


「ずっと、応援してくれてたんだ。その子。それも全部、嘘だったのかな。今となっては、たぶん、もう二度とわからないけど。でも――」


 ひと呼吸を置いて、柚子は苦笑した。


「あのときの言葉のおかげで、今の私はあるから。だから、始まりは嘘なんかじゃなかったって、本当の言葉だったんだって。起こったことを全部受け止めて、その上でなら、少しくらいは……そう信じてもいいよね」


 そのとき、テーブルに運ばれて来たのは、その店の名物らしい、あざやかな水色のゼリーだった。柚子の身につけているトルコ石と同じ色。あらためて見るとその色は確かに晴れた日の空の色で、もう色褪せたようには見えない。


 いつの間にか雨もやんでいる。ふと視線を向けた窓の外に見えたのは、雲の切れ間からわずかにのぞいた青空だった。




「柚子さん、大丈夫そうでした。少し落ち込まれてはいたみたいですが」


 椿とともに帰ってきた花梨は、槐たちにそう報告した。柚子との会話では少し苛立っていた様子の椿は、今は平静に戻り、部屋の隅で本を読んでいる。


「そうですか。何にせよ、中止は残念でしたね」


 槐の言葉に、花梨はうなずく。そして、座卓に乗った鉱物に目を向けてこう続けた。


「それで、その……これはたぶん針鉄鉱さんに、だと思うのですが」


 その言葉に反応して、針鉄鉱が姿を現した。不機嫌そうな表情で、それでも花梨の言葉を待ち構える。


「今なら、もう少しましに言い返せるのに、とおっしゃっていましたよ」


 それを聞いた針鉄鉱はほんの少し笑った。わずかに、口を歪める程度だが。


 花梨は思いきって、針鉄鉱にたずねることにする。


「ひとつ気になっていることがあるのですが」


「何かな」


 針鉄鉱に促され、花梨はこう問いかける。


「どうして戻橋で聞こえたのが、イソップ物語だったんでしょう」


 針鉄鉱はうなずくと、淡々と語り始めた。


「イソップ物語。古代ギリシアで奴隷だったと伝わるイソップ――アイソーポスが創作したとされる寓話。ただし、今ある寓話をすべてアイソーポスが創作したわけではなく、時代を経るにつれ様々な寓話が集積された結果、今の寓話集があるとされる。日本では伊曽保物語いそほものがたりとして、戦国時代の末頃、キリスト教の布教に伴い訳されたのが始まりだ」


「そんなこと聞いてないですよ。針鉄鉱さん」


 呆れたようにそう言ったのは、桜だ。


「知識というものは、あって困るものではないぞ。桜石」


 針鉄鉱にそう言い返されて、桜は閉口する。針鉄鉱は気にする様子もなく続けた。


「イソップ物語といえば、教訓的な内容で広く親しまれた寓話だ。子どもの教育にもよく引用される。伝えるべき相手を見て、伝えようとしたものが相応しいと思い選択したのだろう」


「……何気に酷いこと言ってません?」


 桜がぼそりと呟く。花梨は針鉄鉱の言葉に引っかかりを覚えて、首をかしげた。


「その、伝えようとしたもの、っていうのは……?」


 針鉄鉱はこう答える。


「何の心構えもない者に、戻橋が個人的な問題を伝える道理などない。あれは予言ではなく、苦言だろう。彼女の身近にあり、それでいて寓話を知るものからの」


 桜はきょとんとしているが、花梨にはそれに当てはまる存在で思い浮かぶものがあった。


 イソップ物語はヨーロッパで親しまれていた寓話。その同じ地で、今の名を与えられただろう、それは――


「……もしかして、トルコ石、ですか?」


 針鉄鉱は花梨の答えにうなずいた。


「そうだな。あの石は、我らのように明確な意思も言葉も持ってはいない。それでもトルコ石は、持ち主に危機を伝えるという逸話がある。だからこそ戻橋の声を借りて、語りかけていたのだろう」


 柚子が持っていた、トルコ石のペンダント。愛着があると語った言葉どおりに、彼女はいつもそれを身につけていた。


「あの者も、己を気にかけるものたちのことを、かえりみることを覚えたなら――今回のことも、意味のないことではなかったな」


 針鉄鉱はそれだけ言うと、満足そうな顔で姿を消してしまった。視線は自然と座卓の上――そこにある鉱物、針鉄鉱へと集まる。


 槐は針鉄鉱を手に取り、思い出したようにこう言った。


「針鉄鉱。英語名はゲーサイト。その名の由来は、自然科学者として鉱物の分野でも功績のあった、ドイツの文豪ゲーテから」


     *   *   *


 橋を渡っていた。


 何ということはない橋だ。石の欄干にアスファルトの道が敷かれていて、橋の下には申し訳程度の細い川が流れている。そんな、ごく普通の橋。


 しかし、何かいわれの書かれた立て札があるとおり、そこにはいくつかの奇妙な物語が残されている。つい最近まで、その不思議を体験していた柚子にとって、その橋――戻橋は、すでにただの橋ではなくなっていた。


 しかし、声はもう聞こえない。すべて終わってしまったことだからだろうか。それとも、話しても意味はないと思ったのか。聞こえなくなってしまうと、それはそれで寂しく感じてしまう。


 橋の上で立ち止まり、往来に耳を澄ませてみる。そのとき、たまたま風に乗って聞こえてきたのは、がんばっている誰かを応援するような、やさしい流行歌だった。

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