表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和石綺譚  作者: 速水涙子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

174/174

第二十九話 鱗雲母(九/九)

 友人を見送った芫と共に、花梨はフリーマーケットの会場へと戻って行った。空木とは一旦別れていたが、これからの予定もなく暇をしていると言うので、帰るときには店まで送ってくれることになっている。


 そうして椿の元に向かったところ、そこには杏の姿もあって、芫はそれを目にした途端、げ、と声を上げて後ずさった。杏はその声にすぐさま振り向くと、その場で立ち竦んでいた芫をすばやく取り押さえてしまう。


「芫! どこに行ってたの? 店番は? お昼休みの間だけでしょう? それすら放り出すって、どういうこと?」


 詰め寄る杏に対して、芫は神妙にうつむいているように見えたが、背けた顔には苦虫を噛みつぶしたような表情が浮かんでいる。それにしても――


 黒雲母の影響があったときはともかく、どちらかというとおっとりとした人だと思っていたので、花梨は杏の勢いに少しだけ驚いてしまった。


 呆然としている花梨のことに気づいたのか、はっとした杏はごまかすように咳払いをすると、それまでが嘘だったかのようにやさしげな笑みを浮かべている。その傍らでひそかに肩をすくめていた芫に店番を命じてから、杏は花梨をテーブルの奥へと手招いた。


「今、事情を聞いてたところなの。椿ちゃん――花梨ちゃんのお友だちだよね。ごめんね。芫のせいで、お手伝いさせちゃって……」


 杏はしきりに恐縮していたが、椿の方は落ちつき払った表情で淡々と説明を続けている。


「これが私のいる間に売れた分のお金。売れたものはここにメモしてある。間違ってるかもしれないから、念のため確認して」


 椿から手渡されたメモに目を通しながら、杏はあらためてこう話した。


「ごめんね。本当にありがとう。お礼にお店のもの、何でも持っていって」


「そう? じゃあ、これとこれと……」


 杏が並べられた売りものを指差すので、椿は少しもためらうことなく、そこにある焼き菓子を次々と手に取っていく。杏はそれを止めることもなく、むしろ促すように、うんうんとうなずいていた。


「いいよいいよ。もっと持っていって」


「じゃあ、これも」


 手渡された紙袋に焼き菓子をいっぱいに詰め込んで、椿は満足げな顔をしている。その喜びように気をよくしたのか、杏は花梨にもお礼としてもうひとつ、お菓子の詰め合わせを手渡してくれた。


 受け取った包みは、リボンでかわいらしくラッピングされている。


「杏さん、お店をされてたんですね。こういうフリーマーケットには、よく出店されてるんですか?」


 杏は驚いたような顔で首を横に振った。


「違うの。親戚がパンのお店をやっていて。もともとお菓子を作るのが好きだったから……お手伝いも兼ねて、便乗させてもらってるの。いつか自分のお店ができたらな――なんて思ってるけど、思ってるだけ。まだまだ勉強中」


 そう言って笑う杏の表情は、明るく見えて、それでもどこか寂しげだ。そんな風に思ったことが顔に出てしまったのか、杏はふいに少しだけ沈んだ表情を見せると、こう話し始めた。


「そんなわけだから……以前より、だいぶ前向きになってる、とは思う。みんなにはもう、心配かけたくないし。けれども、すみれまで、あんなことになっちゃって……ずっと会えてなかったから、私、本当に何も知らなかったの。会いに行きたいけど、今はまだ、ちょっと難しいかな……」


「いつか――」


 花梨がそう言って話をさえぎると、杏は驚いたように目を見開いた。それを真っ直ぐに見返しながら、花梨は思い切って、その先を続ける。


「いつかきっと、姉と、すみれさんとで、杏さんのお菓子を食べましょう。いつか、必ず」


 杏は少しの間、戸惑ったような顔をしていたが、ふいにかすかな笑みを浮かべたかと思うと、うなずきながら、こう返した。


「そうだね。ありがとう。そのときは、花梨ちゃんも一緒にね。それまでに、私も、もっとおいしいお菓子を作れるようにしておかなくちゃ」


 そのときの彼女の瞳には、いつか目にした輝きが、確かに残されているように見えた。




「鱗雲母。あるいは、紅雲母(べにうんも)とも。英語名はレピドライト。ギリシャ語で(うろこ)を意味する言葉から。雲母は、薄く剥がれるという特徴的な結晶構造を持つ鉱物ですね。多くの種類があるのですが、その中でも鱗雲母はリチウムを主成分とする雲母の一種で、独立種ではなく系列名です。淡い赤紫で鱗片状の結晶を成すことから、その名がつきました」


 そう話してくれたのは、鱗雲母を手にした槐だ。


 空木の車に乗って椿と共に店まで戻ると、すでに槐が帰って来ていたので、いつもの座敷でこの日にあったできごとを話し終えたところだった。榧と沙羅の姿はなかったが、桜はいつもの位置に座っていて、彼が淹れたお茶を飲みながら、椿は杏にもらった焼き菓子を黙々と食べている。


 鱗雲母はもう眠ってしまっているのか、それとも、単に興味がないだけか、人の姿を消してからは、何の反応も示さなくなってしまっていた。代わりに、黒曜石がこう話す。


「あの場にあった妙な気配は、今はもう鳴りを潜めているようだ。それでもまだ、かすかにくすぶっているようには思えるが……」


 その言葉を吟味しつつも、槐は考え込むような仕草をしながら、こう言った。


「あの辺りで勝負を挑む怪異、ならば……朱雀門(すざくもん)の鬼、でしょうか。『長谷雄草紙(はせおぞうし)』という絵巻物にあるお話でして。平安時代の貴族である紀長谷雄(きのはせお)と鬼が盤双六(ばんすごろく)で勝負することになり、それに勝った長谷雄は美女を手に入れますが、百日間はふれてはならないという言いつけを守ることができず、その美女は水となって流れていってしまう、という物語です」


 空木はその話に苦笑いを浮かべている。


「それが、あのビニール人形ですかね。そりゃまた、とんだ美女に魅入られたもので……」


 怪異の正体は概ねそんなところだろうけれども、それでも、集会所のおもちゃと鬼の逸話がそんな風につながるものなのだろうか、と疑問に思う。どうにも気になったので、花梨は思い切ってこうたずねた。


「ひとつ気がかりなことがあって……知らない女の子から電話がかかってきた、と言っていた彼は、あの集会所とは何の縁もないそうです。芫くんならともかく、どうして彼が朱雀門の鬼に取り込まれることになったのでしょうか」


 真っ先に反応したのは空木だった。


「そうだなあ。あの辺りの高校生ってわけじゃないなら、偶然ってことは考えにくいか。妙な気配ってのも気になるし。それが誰かの意図によるものだっていう可能性も、あったりするんですかね」


 空木の言うように、これが誰かの意図よるものだということは、あり得るのだろうか。


 杏の不安は黒雲母の影響によるものだった。今回の件が誰かの意図によるものだったとして、あの場所に呼ばれてしまった彼のことを惑わせていたのは――いったい何なのだろうか。


 何かしらの確信があるわけではないが、もうひとつ気になっていたことを思い出して、花梨はこう補足する。


「杏さんが住んでいるのは、宇治だそうです。芫くんのお友だちも、その近くかと」


「宇治」


 ぽつりとそう呟いたきり、槐は考え込むようにうつむいてしまう。それを横目で見ながら、空木は考えつつも、こう言った。


「あー……鵺の骸も酒呑童子の首も、宇治の宝蔵にしまわれたって話でしたっけ。ご参考までに教えていただきたいんですが、その宇治の宝蔵ってのには、他には何が入ってるんですかね」


 空木のその言葉にはっとしたように顔を上げると、槐はこう話し始めた。


「そうですね。そもそも、それらが収蔵されているという宇治の宝蔵は、お話の中だけにある架空のものなのですが……逸話として残っているのは、鵺の骸と酒呑童子の首、以外でしたら――鈴鹿山に住む鬼、大嶽丸(おおたけまる)の首。美女に化けて宮中に入り込んだ妖狐、玉藻前(たまものまえ)の亡骸。それから――」


「あれ? 玉藻前って、那須高原(なすこうげん)殺生石(せっしょうせき)になったんじゃなかったでしたっけ」


 口を挟んだ空木に、槐は苦笑しながらも、こう答える。


「あくまでも、逸話の中のひとつにそう記されている、というだけですから。例えば、鵺の亡骸にも、うつぼ舟に乗せて川に流した、という話もあれば、酒呑童子の首も、(おい)(さか)に埋めた、とされている場合もあります」


 何せよ、黒雲母は鵺、血石は酒呑童子に縁のある力だったことは確かだ。だとすれば、あの鬼――樹雨が誰かに石を渡していたとして、その石が宇治の宝蔵に収蔵された他の怪異と縁がある可能性は高いのだろう。


「玉藻前、ねえ……」


 珍しくどこか投げやりな声音で、桜がふいにそう言った。どこかあさっての方向にうろんな目を向けているが、玉藻前に何か思い当たるようなことでもあるのだろうか。


 花梨がそれをたずねるより先に、ふと思い出した様子で、空木がこう呟いた。


「もうひとつ、宇治の地名で思い出したんですけど、深泥池の件を追ってるとき、その出所として耳にしたのが学生の噂で、それがあの辺りの学校、だったような……」


     *   *   *


 学校の渡り廊下を歩いているときのことだった。


 ふいに肩を叩かれたと思えば、振り向いた先では、友人が何やら意味ありげな笑みを浮かべている。よく見ると、どこかしらを指差しているようだったので、視線を転じてみれば校舎の陰に見知った姿があることに気がついた。


 弟の葵だ。しかも、ひとりでいるというわけではなく、どうやら同じ学年の女子とふたりで話をしているらしい。


「モテるねえ。弟くん」


 そんな風にこそっと耳打ちされるけれども、こういう状況に出くわすのは、姉としてはどうにも居たたまれない。茜は隠れてのぞき見しようとする友人を牽制しながら、早々にこの場を通り過ぎることにした。


 ところが、ふたりはちょうど話を終えたところらしく、しかも、葵は女子とは別れて、こちらの方へと針路をとってしまう。当然のようにばっちり目が合ってしまって、茜は思わず苦笑いを浮かべてしまった。


 無言でにらみ返されているのは、こそこそしていたと思われたからだろうか。とはいえ、いずれは顔を合わせることになるのだから、ここで逃げたところで後々気まずいだけだろう。仕方がないので、茜は葵の前で立ち止まる。


 さて、いったいどう言い訳したものか――茜の心中など気にとめることもなく、となりに並んだ友人は、葵に向かってずけずけとこうたずねた。


「なになに。何のプレゼント? 何もらったの?」


 よくよく見ると、葵はかわいいリボンで包装された小袋を持っている。誕生日にはまだ早いし、何か特別なイベントがあるわけでもない――はず。いったい何のプレゼントなのだろう。


 何にせよ、見ていたことについて文句のひとつでも言われるかと思っていたのだが、葵は思いのほかあっさりとこう返した。


「……欲しけりゃ、やるよ」


 そんなことを言いながら、プレゼントらしきそれを押しつけてくるものだからたまらない。人からもらったものを、すぐさま横流しするなんて、いったいどういうつもりなのだろう。


 ぎょっとしつつも、その無神経さには何かひとこと言っていってやらねば、と思ったのだが、それをぶつけるより先に、葵はため息をつきながらこう続けた。


「近頃、妙なまじないが流行ってるだろ。何が入ってるかわかったもんじゃない」


 葵の奇妙な発言に、友人はいぶかることもなく同意する。


「ああ。流行ってるよねえ。鬼姫(おにひめ)さまでしょ」


 話の方向が思わぬところへ向かったせいで、茜は出ばなをくじかれてしまった。


「……鬼姫さま?」


 茜がそう問い返したところ、友人はこんな話を教えてくれた。


「私もよくは知らないけど。それに選ばれた人は秘密の集会に出られるらしいよ。そこでは特別なお守りがもらえるんだって。いわゆるパワーストーンってやつ? 茜は知ってるかと思ってた。それも一応は石なわけだし」


 秘密の集会だの特別なお守りだの、話を聞いただけでは、そこで何が行われているのかよくわからない。とにかく、そういったものが流行っているらしい、ということは理解する。


 しかも、それはどうやら石のお守りらしい。祖父の収集品である水石をこよなく愛している茜にとっては、確かに気になる話ではあった。とはいえ。


「パワーストーン、か。そういうのが紹介されてる本も読んだことはあるんだけど……菊花石とか、私の好きな石はあまり載ってなくて」


「うちにあるような水石がそんなもんに載っててたまるか。仮にあれにパワーがあったとして、どうするんだよ。持ち歩くのか?」


 弟に呆れたような声でそう返されてしまったので、茜は思わずむっとする。しかし、それに反発するより先に、友人の方がそれに答えた。


「風水みたいに、指定の方角に飾るとかじゃないの。何にせよ、パワーストーンは茜の領分じゃなかったか。茜の石の趣味って渋いもんね」


 そんなことを言ってはいるが、彼女の方も祖父が集めた刀剣が大好きで、暇さえあればそれを恍惚とながめている――ということを茜は知っていた。それとて変わった趣味には違いないだろうから、茜の趣味についてもとやかく言われる筋合いはない。


 茜が憮然としているうちにも、友人はさらにこう続ける。


「まあ、そうは言っても、それには深く関わらない方がいいかもね。うちのクラスにも、その集会に参加した子がいるみたいで、教室でこそこそと、その話をしてたみたいなんだけど……それを小耳に挟んだやつが馬鹿にして笑ってさ。それから、どうなったと思う?」


 知らなかったので、茜は何も言わずに、ただ首をかしげてみせた。友人は肩をすくめつつも、何だか楽しそうにこう続ける。


「その子たち、呪ってやる、なんて言い返しちゃって。ほら、ひとりずっと学校休んでるのがいるでしょ。あれ、変なこと言い出して部屋に引きこもってるらしいよ。それを、祟りだ、なんて言ってる子もいるけど……そんな話で気に病むくらいには、実は繊細だったのか――まあ、ただのサボりだろうけどね」


「ええ……何それ……」


 友人は笑いながら話しているけれども、これはおもしろがっているわけではなく、彼女が呪いだの祟りだのをあまり信じていないからだろう。とはいえ、少し前には、彼女自身も呪いの石で怪我を負わされたこともあったわけで――本人はやはり信じてはいないが――茜としては笑い飛ばせるようなことではなかった。


 周囲で流行っているという妙なうわさと、呪ってやる、というその言葉。呪いの力で誰かが誰かを傷つける。あんなことが、また起こったりするのだろうか。


 もしも、そんなことになってしまったそのときには、またあの店へ相談に行かなくては。茜はひそかにそう考えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ