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大和石綺譚  作者: 速水涙子
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第三話 翡翠輝石(一/三)

 花梨が雑貨屋のアルバイトに来ていたときのことだ。


 ふいに、とある人物の姿が目に入る。それだけならどうということもないのだが、気になったのは、その人がなぜか店の軒下の方を見上げていたからだ。


 その人物とは――同じ大学に通っているらしいが構内で会ったことはなく、それでいて花梨より遅く雇われたせいで面倒な絡み方をしてくる同僚の青年だった。


「お、できてる。できてる」


 などと言いながら、これ見よがしに腕を組んで立っている辺り、どうやら彼に仕事をする気はないらしい。忙しい時間ならば、遅かれ早かれ店長に注意されるだろうから見過ごすところだったのだが――今日はたまたま、店頭には花梨を含む二人だけしかいなかった。


 花梨はそれでも無視しようかと考える。しかし、それはそれで、どうにも釈然としない。仕方なく、花梨は近くにある棚で品出しするついでに、こう声をかけた。


「……何してるんです」


 彼はその声に振り返ると、ほら、と無邪気に指差してみせた。よく見ると、少し見えにくい位置にツバメの巣ができている。


 そのときちょうど、どこからか一羽のツバメが飛んで来た。ツバメはそのまま、その巣へと帰っていく。いつの間にあんなところに――


 花梨が思わずそれを見つめていると、彼は無遠慮に顔をのぞき込んできた。その表情は、なぜか得意げだ。


「今気づいた? ちょっと前からあそこに巣を作り始めてさ。ずっと観察してたんだよね。そろそろヒナも孵る頃かな」


 そんなことを楽しそうに話す。ツバメの巣でこれだけはしゃげるなんて、少し意外だ。それにしても。


「ずっと観察してたんですか? 一人で?」


「そうだよ。巣を作り始めたばかりで店長に報告なんてしたら、壊せって言われるかもしれないでしょ」


 確かに、通りがかりに見かけるくらいならばともかく、店先にツバメの巣があっては面倒も多いだろう。清掃の手間もあれば、鳴き声が気に障ることもある。


 しかし、すでに卵があるならば、今さら巣を壊せと言われることはないかもしれない。それまであえて黙っていたなら、人がいいのか悪いのか。


「ツバメって人の多いところに巣を作るんだってね。人を天敵避けだと思ってるとか。いいね。たくましい」


「……ツバメ、好きなんですか?」


 花梨がたずねると、彼はきょとんとした顔になる。どうやら自覚はなかったらしい。


「いや? こんなところに巣を作るなんて、反骨精神があっていいなと思って。それで応援してたってだけ」


 それは、やはりツバメが好きだということだろうか。よくわからない。


「ところで、花梨ちゃん。俺の名前は覚えてくれた?」


 唐突にそう詰め寄られて、花梨は顔をしかめた。しかし、話しかけてしまった時点でそう来るだろうということは、花梨も覚悟していたことだ。


 花梨がとっさに思い描いたのは、バックヤードに貼られたシフト表。確か、そこに名前が記載されていたはず――


西条さいじょうセンパイ、ですよね」


 花梨はそれを思い出し、いかにも知っていた風にそう答えた。しかし、その答えでは、彼には不服だったらしい。軽く口を尖らせたかと思うと、すぐにどこか威圧的な笑顔に切り替えて、こう言い返す。


「俺の名前は浅沙あさざだよ。覚えてね。花梨ちゃん」


 そのやりとりを経て、花梨はあらためて――この人のことはやはり苦手だ、と密かに考えていた。



 いつもより早くにバイトを上がって、花梨は四条通りを歩いていた。


 祇園と言うと定番の観光地ではあるが、少なくともこの通りはけっこう雑然としている。観光客はもちろん、地元の人が行き交っていることもあってか、まず人通りが絶えることはない。古い店と新しい店が混在しているのもまた、雑多な印象を与えていた。


 その大通りから外れて、花梨は南の小路へと入っていく。にぎわいがないわけではないが、それでも雰囲気はがらりと変わった。


「今日は、槐のところへ?」


 しばらく歩いていると、ふいにどこからか問いかける声が聞こえてくる。


 声は聞こえても姿は見えないが――それが誰の声なのか、花梨には当然わかっていた。お守りとして借り受けた黒曜石の鏃――その化身である青年の声だ。


 周囲には、この声を聞きとがめるような人影はいない。花梨は小さく首を横に振りながら、こう答えた。


「特に用もないのに、あまり何度も行くのも悪いかなって……行きたい気持ちはあるんだけど。あの店は居心地がいいから、長居してしまいそうで」


「では、どこへ?」


 通行人とすれ違ったところを見計らって、花梨はぼそりと呟いた。


「お姉ちゃんの下宿先……だったところ。近所の人に話を聞くために、ね」


 行方不明の姉を探す。それが、今の花梨にとってもっとも重要なことだった。わざわざ京都の大学に進学したのも、そのためだ。


 とはいえ、ただの大学生ができることなど、たかが知れている。それでも、できることをしようと考えて、まず行ったことがそれだった。


「表向きはフィールドワークってことにしてるんだけど。でも、たいしたことは聞けてないの。慣れないことだし……なかなか難しくって」


 近所の人に話を聞くと言っても、姉のことを直接聞いて回ったわけではない。失踪した前後で周辺に何か異変がなかったか、それとなく聞く程度だ。そうした聞き込みの中では、いまだにわずかな手がかりも得られてはいなかった。


 書き置きだけを残して姿を消した姉。下宿先では何か問題があった様子もなく、近所の人にたずねてみても、姉のことを覚えている人はほとんどいなかった。京都は学生が多い。何の関わりもない人からすれば、姉もまた、取るに足らない学生のひとりに過ぎなかったということだろう。


 花梨がそんなことを考え込んでいると、ふいに黒曜石がこう言った。


「もう少し、自分の身も気にかけた方がいい。何者かが花梨のことを狙っているのだとして、どういう意図を持ってそうしたのか。それがまだ、わかっていない」


 黒曜石の声は、どことなく呆れているようにも聞こえる。あの奇妙な黒いもやのことがあっても、花梨がそれを警戒した様子もないことが、黒曜石には不思議に思えるらしい。


 確かに黒曜石の言う通り、それを行った者の意図はわからない。しかし、だからこそ――もしも、もう一度自分が狙われる状況になれば、何らかの手がかりが得られるのではないか――と花梨は密かに考えていた。そんなことを伝えれば、怒られてしまいそうだが。


 とにかく、どんな意図にせよ、呪いなんてことを行える者など、そうはいないだろう。それとも、そうでもないのだろうか。花梨が知らないだけで。


 花梨はひとまず、黒曜石こう答えた。


「わかった。気をつけるよ。それでも……お姉ちゃんを探すためには、隠れているわけにはいかないから。今は少しでも、手がかりが欲しいの」


 今のところ、得られた手がかりはないに等しい。


 姉とは毎日メッセージなどでやりとりしていた――とはいえ、花梨はその行動をこと細かに知っているわけではない。かといって、例えば日々の何気ない生活の中で姉が立ち寄っていた場所など、知っていたとしても、いくら回ったところで切りがないだろう。失踪に関する手がかりとなる可能性も低い。


 それ以外となると――


「そういえば、あなたが初めて姿を現したとき、待ち合わせをしていたでしょう? そのときも、相手からはお姉ちゃんの話を聞くはずだったの。でもまあ、それも今はちょっと……難しいかな」


 姉の下宿先を当たると同時に、花梨は姉の友人や知り合いを探していた。もちろん、話を聞くために。しかし、それも今ではあまり現実的な手段ではなくなってしまっている。少なくとも――ほとぼりが冷めるまでは。


 それというのも、あの一件以来、大学で妙な噂が立ってしまったためだ。噂というか事実だが、例の得体の知れないものを、待ち合わせの相手が見てしまったのがいけなかった。


 おかげで今、大学内で花梨に声をかけるような学生はいない。


 学業は別としても、姉を探すことが第一だと思っていた花梨は、そもそも友人を作るつもりもあまりなかった。しかし、そうはいっても遠巻きにされ、露骨に避けられるようになったのは、さすがに堪えてもいる。


 花梨は思わず肩をすくめた。


「大学では、しばらく学業に専念しなさい、ってことかもね。卒業できないなんてことになったら、目も当てられないし」


「本業をおろそかにしないことは、いいことなのだろうが……君はもっと、姉の捜索に固執しているかと思っていた」


 黒曜石の言葉に、花梨は苦笑する。


「親にはね、姉を探していることは秘密なの。京都の大学に入るって決めたときも、ものすごく反対されたし。姉がこんなことになったから、仕方がないんだけど」


 両親には、危ないことはしないと誓った上で、地元から離れることを許してもらっている。だからこそ、学業をないがしろにはできなかった。


「親との約束もあるし、それが条件でもあったから。だから、姉を探していることを隠している代わりに、そこだけはちゃんとしておきたいの」


「君にとっては、そうまでして求めるほどに、大事な人物ということか」


 花梨はその言葉に思わず押し黙った。


 それは確かに、黒曜石の言うとおりだろう。しかし、そもそもこうして京都まで来ても、本当に姉のことを見つけられるとは、花梨自身も信じてはいなかった気がする。それでも――


「そうだね。自分にできることを尽くして、それでもダメだと思えないと、諦めがつかなかった。そうじゃないと私は前に進めない。だから、全力を尽くしたかった。ただ、それだけ」


 その気持ちも今では少し変わっている。もしかしたら姉を見つけられるかもしれない、という淡い期待という形に。


 しかし、それはまだ、言葉にするにはあまりにも儚い希望だ。そのことは、花梨も十分に理解していた。


 黒曜石は納得したのか、それ以上は何も言わなくなる。花梨はしばらく無言で道を歩いて行った。


 いつの間にか槐の店からも遠ざかり、有名な神社がある辺りにたどり着く。少し前に参拝客らしき人を見かけたが、そこから離れるとほとんど人影はない。


 ふいに、花梨の目の前を一羽のツバメが横切って行った。アルバイト先でも見かけたばかりだ。そろそろ子育ての時期なのだろうか。そんなことを考えながら、花梨はツバメの行き先に視線を向けた。そのとき――


「花梨」


 突然、黒曜石がそう呼んだ。その声音にただならないものを感じて、花梨は思わず立ち止まる。しかし、周囲を見回してみても特に異変は感じられない。


 いや、違う。花梨は、はっとして思い直した。


 この感覚は何かに追われていたあのときと同じだ。知らないうちに周囲の人影もなくなると、いつの間にか奇妙な空間に囚われている――


 花梨は勘のいい方だ、と自覚していたが、自分に狙いを定めたものまでを避けることは、さすがに難しいのかもしれない。


 ――槐さんのところまで戻るべきだろうか。


 花梨はそう考える。しかし、その判断も迫り来る災厄から逃れるには遅すぎた。


 唐突に花梨の目の前に飛び込んで来たのは黒い影。手のひらほどに小さいが、その動きは恐ろしく素早い。花梨はとっさに、自分の身を庇うように両腕を上げた。


 影は花梨の腕をかすめて、上空へと飛び上がる。細い体と二股に分かれた尾羽――姿形からすると、それは一羽のツバメのように見えた。しかし、それは明らかに普通のツバメではない。


 柳の下で会った黒いもの。それと同じだ。ただ、あのときはもっと漠然としたものだった。しかし、たった今現れた影は、少し違和感はあるものの、ツバメであること自体は間違えようがない。花梨は戸惑いながらも、それを目で追っていく。


 そうしているうちに、いつの間にか黒曜石が青年の姿を現していた。彼の視線は飛び回るツバメの動きを捉え、追っているようだ。そのまま、彼はいつかのときと同じように弓を構え矢をつがえる。


 影の動きは早い。しかし、黒曜石は焦る様子もなく狙いを定めると、流れるような動作で矢を放った。黒曜石の矢は見事に影を射抜き、ツバメはその身を矢に貫かれたまま、まっ逆さまに落ちていく――


 それは、べしゃりと嫌な音を立てて地面に激突した。普通のツバメとは違って体が脆いのか、影はその衝撃によって黒い泥のように辺りへ飛び散っていく。


 柳の下の影と同じように、それもまたすぐに霧散するものだと、花梨は思っていた。しかし、どうも様子がおかしい。黒曜石は花梨を背後へと庇うと、無言でその残滓を注視している。


 しかして、彼の危惧したとおり、今回はこれで終わりとはならなかった。

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