巴太温の骨
新井白石の『采覧異言』に、巴太温という国が出てくる。東北地方南部の海岸には、とても長い人の骨がよく漂流物として流れて来たという。白石はそれを『巴太温』という国の人間の骨だと言う。巴太温人は身の丈が大きく、記紀の長髄彦も巴太温の出身だと言う。
おそらくこれはクジラの骨であろう。今でも、太平洋側の茨城県などの海岸にはクジラの骨が漂流物として海岸に流れて来るという。白石の言う『巴太温』というのは、パタゴニア(今のアルゼンチン辺り)のことを指したようである。
江戸時代の初期、東北に、やはり、東の海に巨人の国があると信じていた者たちがいた。彼らは九戸政実の末裔を名乗り、九戸城の跡に住んでいた。しかし、南部盛岡藩の手前、謀叛を起こした九戸政実の名前は名乗れず、大見姓を名乗っていた。大見家は侍身分ではない。山家の名主のような者であった。彼ら大見の一族は、海岸でクジラの骨を見つけると、村の社に持って返り祀った。
「九戸政実は大身国(巨人の国)へ船で渡り、大身族(巨人族)を従えて、豊臣家と南部家を攻めに来る。」
という言い伝えを伝承していた。彼らは、年が明けると、一族の娘を船に乗せて、海岸から放す。やがて彼女は大身国へ渡り、大身族の姫となるという。人身御供である。
「おとせ。」という娘がいた。
「汝が此度の大身姫である。」
姫に選ばれた者は年の暮れから、人の手を離されて、山の一軒家で生活をさせられる。食事は村の老女が握り飯を運ぶ。
「(大身族とはどのような人たちだろうか…。)」
まだ見ぬ夫を思いながら、おとせは寒い夜を過ごした。
年が明けると、おとせは輿に乗せられて山を降りる。そして、海岸にあった船に乗せられる。途中まで船頭が舵を取り、他の船も周りに着いて行く。ある程度、沖合いまで来ると、おとせ一人を残して、船頭は他の船に移り、陸地に戻って行く。あとはおとせ一人を乗せて、船はどこまでも漂流していくのである。
「(いつ頃、着くのだろうか…。)」
辺り一面、海である。波は穏やかだった。月明かりの下、おとせは眠った。
何日経っただろうか。あるとき、眠りから覚めると海岸にいた。
「(ここが大身国だろうか…。)」
既におとせは衰弱していて動くことはできない。辺りには見たこともない鳥が、たくさん飛んでいる。
「※※※!」
「※※※。」
半ば気を失いかけていたとき、船が何かに引っ張って行かれる感じがしていた。
「(ここは…?)」
目を覚ますと、おとせは森の中にいた。
「※※※!」
おとせの周りには、赤銅色の体に上半身は裸で腰に蓑を着けた人々がいた。
「大身族の方たちにございますか?」
とは言っても、彼らはおとせより少し背が高いだけで、巨人という程ではない。
「※※※?」
人々はおとせに何かを言うが、おとせには分からない。
「(どうすればよいのだろうか…。)」
大身国に来た後のことは聞いていなかった。そのうち、人々が食物を持って来た。それは、芋や葉、あるいは、鳥、海豹である。やがて、人々は踊り、おとせの周りを回り出した。
「(婚礼の儀式だろうか…。)」
おとせは差し出された食物を食べ、人々が踊るのを見ていた。
その後も、おとせは大身族の人々と暮らし、大身族の男子と結ばれて子をなした。
そして、おとせは老女となり、大身国で亡くなり葬られた。おとせが亡くなった後も大身族が、豊臣家と南部家を攻めてくることはなかった。
おとせの子は、「タロ(太郎)」と呼ばれていた。
「タロ。」
タロは他の人々と違って、肌の色が薄い。島の生活は、家族を中心とした狩猟採集生活である。付近には、他の島々が見られるが、この島の人口は50人程である。
「お前の母親は海からやって来た。」
タロの父親がそう言った。
「海亀の神の化身である。」
という。父親は、タロの母親が島にやって来たときに着ていた布を見せてくれた。それは薄く固く白かった。
「これを見ろ。」
父親は短い棒を持って来た。その棒は二つに割れて、その中身は光り輝いていた。
「痛っ。」
指から血が吹き出た。
「海蛇の牙。」
父親はそう呼んでいた。
「お前にこれをやろう。」
数年も経つと、タロは立派な若者に成長した。
「海の向こうには何があるのか?」
タロはいつもそう考えていた。島の人々は丸木船で、近くの島に渡ることもあった。あるとき、父親が亡くなった。その翌日、水と食糧を持って、タロは丸木船に乗り、海へ出た。
「海の向こうには、神の国がある。」
父親はそう言っていた。
数十日の航海の後、目の前に大地が見えて来た。
「なんと大きな島だ!?」
南米大陸。タロは赤道海流に乗って、今のパナマ辺りに到着した。当時、パナマはスペインの植民地であり、町が建設されていた。南洋の漂着者のニュースは、ポルトベロ町のスペイン人総督の耳に入った。
「タロ。」
漂着者はそう名乗った。それ以外のことは分からない。総督は彼を奴隷にしようかとも考えたが、せっかくなので、彼を船乗りにすることにした。
「アカプルコへ連れて行く。」
当時、アカプルコはマニラとの間に、ガレオン船による貿易航路が開かれており、スペインによる太平洋貿易の拠点であった。タロはそこで、カトリック教徒になり、学問を学び、数年後、マニラへ向かうガレオン船に乗り、太平洋に出た。
「タロ。」
スペイン人の船長が言った。
「この辺りにお前の国はあるのか?」
「分からない。」
当時、まだタロがやって来た北西ハワイ諸島は見つかっていなかった。途中、一行はグアムに寄港した。三カ月程の船旅の後、船はマニラに到着した。
「積荷を降ろすぞ!」
アカプルコから積んで来たメキシコ銀が大量に波止場に降ろされる。
「あれは?」
積み降ろされた銀を、早くも運んで行く人々がいる。
「支那の商人だな。」
彼らはマカオから陶磁器などを持って来て、メキシコ銀を持ってマカオへ帰る。支那商人が持って来た陶磁器などをガレオン船が運んで行く。ひと月程の停泊の後、一行はアカプルコへ向けて、出航した。帰りは、風や海流の影響で、半年程かかる。
「オランダ船だ!?」
マニラを出航直後、彼らの船はオランダ船に遭遇し、襲撃を受けた。当時、オランダは東シナ海貿易を巡って、スペイン、ポルトガルと交戦状態であった。積荷はオランダ船に運び込まれて、タロたちは捕虜として、バタビアへ連れて行かれた。捕虜とされた人々はそこで尋問を受けて、本国へ送還された。
「これはなんだ?」
タロの持ち物から『海蛇の牙』が出て来た。
「日本の物ではないか?」
バタビアのオランダ商人の間でそのような話がされた。
「これはお前の持ち物か?」
「母親の形見である。」
始めオランダ商人たちはタロをジャワやマニラの現地人かと思っていたが、聞くところによると、彼は、それとは違う島の出身らしい。よく見ると、顔立ちも現地人とは異なるようである。
「名前は何と言う?」
「Taro.」(タロ)
オランダ商人たちにはそれが日本語のように聞こえた。
「母親の名は?」
「Otose.」(おとせ)
当時、東南アジアには、何十年前に連れて来られた日本人の子孫たちがいた。
「母親の出身地は知っているか?」
「Oumi.」(大身)
タロが小さい頃、母は自分は大身というところからやって来たと言っていた。
「母親はオオミという土地から海を越えてやって来た。」
「聞いたことがある。」
オランダ商人は『大身』を『近江』だと思った。当時は、日本の情報はあまり知られていなかったが、平戸を訪れた際、『近江』という日本の国の名前は聞いたことがあった。
「この男は日本人だ。」
日本の近江から来た母親の子だと言うことになった。この頃、オランダは、東シナ海貿易における日本との関係を重要視しており、些細なことにまで、注意を払っていた。タロはオランダ船で、マカオを経て、日本へ送還されることになった。
「日本。」
それが彼の母親がやって来た国であるらしい。タロは、平戸へ着く間、オランダ商人やマカオの商人から若干の日本語を教えてもらった。
「彼の名前はタロという。オトセというオオミから来た日本人の子で、スペイン人の奴隷とされていたところを我らが救った。」
タロを連れて来たオランダ商人はそう言った。
「お主は近江のおとせの子、太郎というのか?」
「サンソウロウ。」(然ん候。)
平戸の役人は、とりあえず、日本人にしては異風なこの男を、奉行のもとへ連れて行った。
「其方の母の名はおとせと申すそうだが、まことか?」
タロには、何を言っているのか分からなかった。
「カタジケナクソウロウ。」(忝く候。)
覚えたばかりの日本語を言いながら、『海蛇の牙』を差し出した。
「ハハノカタミニソウロウ。」
奉行が見たそれは、守刀であった。
「確かに、我が国の物だな…。」
カタコトの日本語を話すこの男の顔立ちは日本人と何ら遜色はない。奉行は、恐らく太郎は、海外に渡った日本人女性の子ではないかと思った。この時はまだ、日本人の海外渡航と海外からの帰国は禁止されていなかった。ただ、キリスト教は禁止されていたので、奉行は太郎を棄教させて、名を羽床太郎とし、自らの小者にした。
その後、幕府は鎖国政策を一段と強め、日本人の海外渡航と帰国を禁止し、日本人女性と外国人男性との間に生まれた混血児の日本追放などの政策を行った。島原の乱後はポルトガル船の来航を禁止し、オランダ人たちが、長崎の出島に移されることになり、日本の鎖国政策は一応の完成をみた。その間、太郎は鎖国政策を掻い潜り日本に住み続けた。
「某、名を羽床太郎と申す。」
丁髷を結い着物を着たこの近江出身という商人、羽床太郎は、オランダ語、スペイン語、日本語を話し、長崎の地で店を構え、唐商人、オランダ商人を相手に商いをして、富を成したという。