第七話
突然話しかけられて、健介は飛びあがりそうになりました。そのひょうしに、ぱらぱらと足元の小石ががけの下に落ちていきます。風がまきあがり、健介はあわててしゃがみこみました。
「ちょっと、なにやってるのよ。おくびょうにもほどがあるわよ」
「夢雨!」
土ぼこりがやんだその先に、夢雨がうでを組んで立っていました。健介を見おろして、わざとらしくため息をつきます。しかし、その顔はいつもより険しいものではありませんでした。
「やっぱりあなた、夢まくらを使うのやめなかったわね。あれだけ忠告したのに。まあいいわ。みんなにはあなたの秘密をばらしておくから」
がけをまったく気にせずに、夢雨がすたすたと近づいてきます。健介は青ざめた顔で夢雨を見あげました。
「秘密って、まさか」
「そう。あなたが少女マンガの女の子に恋してるってこと、みんなにばらしておくから」
健介の顔が、耳まで赤くなっていきました。
「やめてくれ、頼むよ、みんなに知られたら、ぼくは」
「あら、あなたが約束を破ったからじゃないの。あなたの都合なんて知らないわ」
「そんなひどいこといわないでよ! もしみんなにばれたら、ぼく、もう学校に行けないよ」
あわてて頼みこむ健介を見て、夢雨の口元がかすかにゆるみました。
「しかたないわね。ここから出られたら、いわないでおいてあげる」
夢雨の言葉に、健介はほっと胸をなでおろしました。
「でも、どうして夢雨がここに?」
「この間と同じよ。あなたがわたしの忠告を無視して、夢まくらを使わないかどうか、座標をチェックしていたのよ。そしたら案の定、夢まくらを起動させた。だから」
「ちょっと待って、なんだよ、その座標って」
答える代わりに、夢雨がコホンッとせきばらいしました。健介はあわてて言葉を飲みこみました。
「とにかく、あなたが夢まくらを起動させたから、この間と同じように、あなたの夢の中に侵入したの。けど、わたしの日記に入っていたなんて、思いもしなかったわ。なかなかいい趣味してるのね」
「それは、その」
健介はなにもいえませんでした。夢雨の顔を見ることすらできません。じっと口を閉じて、恥じ入ったようにうつむいているだけでした。
「まあいいわ。どちらにしろ、こうなってしまった以上は、協力してここから出るしかないんだし」
「でも、これは夢の中だろ。じゃあ、出たいって念じたら出られるはずじゃないか」
「それじゃあやってみたら?」
夢雨にいわれて、健介は目を丸くしました。表情の読めない顔で、夢雨はじっと健介を見ています。
「……わかったよ、でも、もしぼくだけ出られたら、夢雨は出られなくなるとか、そんなことないよね?」
「あら、心配してくれるの? 別にあなたに心配されるほど、わたしは落ちぶれてもないし、弱くもないわ。いいから念じてごらんなさい」
言葉はそっけないものでしたが、口調はすこしやわらかくなっています。健介はやりづらそうに夢雨を見ていましたが、やがて目を閉じ、ぐっと意識を集中させました。自分のベッドの上をイメージして、夢から覚醒しようと念じます。わずかにからだが軽くなり、一瞬あとにがくんっと全身の力が抜けました。
「っはぁっ!」
大急ぎで息をはきだし、健介は荒い呼吸を整えました。全力疾走したかのように、からだが重く痛みます。
「ね、出られないでしょ。普通の夢なら、あなたがやったように念じれば出られるわ。でも、ここは普通の夢じゃないのよ」
「普通の夢じゃない? それってもしかして、日記を夢まくらにはさんだから?」
「そうよ。この世界はいわば、バグった世界ってところかしら」
夢雨は一人でうなずいて、いつもの抑揚のない口調で説明しました。
「あなたは完成されている本ではなくて、わたしの日記という、完成されていないものを夢まくらにはさんだ。しかも物語じゃなくて日記を。だからバグが生じたの。出たいって念じたって、この世界からは抜け出せないわ」
「そんな」
口をあんぐり開けたまま、健介は肩を落としました。ひゅううっと風が土ぼこりをまきあげ、夢雨の長い髪もふわっとなびきます。夢雨は無造作に髪をなであげてから、ザッザッと山道をふみしめて歩き出しました。健介はすわりこんだまま、夢雨の背中に声をかけました。
「おい、どうしたんだよ」
「どうしたって、さっさと行くわよ。ほら、立ちあがって」
「行くって、どこにだよ?」
だだっこのように、すねた口調で聞く健介に、夢雨はさとすように聞き返しました。
「ここから出たくないの?」
「そりゃあ出たいさ。でも、お前の話じゃ」
「出られない、とはいっていないわ。念じるだけじゃ出られないってだけ。さあ、ついてきて。ほら、立てる?」
差し出された手を健介はじっと見つめます。健介のほおが、かすかに赤く染まりました。
「腰がぬけちゃった? だらしないわね」
いつものつっけんどんな口調なのに、今日はなんだか違って聞こえます。健介は夢雨に顔を見られないように、顔をそむけてつぶやきました。
「いや、大丈夫だよ。……ありがとう」
ためらいながらも、健介は夢雨の手をとりました。夢雨はぐいっと健介を起きあがらせると、手をにぎったまま歩きはじめたのです。
「ちょっと待ってくれ、そんな引っぱらなくても、自分で歩けるよ」
「あら、怖かったんじゃないの? しゃがみこんでふるえてたじゃない」
「そんなことないよ!」
ムキに否定する健介を、夢雨は面白そうに見ています。
「冗談よ。でも、手はつないでいたほうがいいわ。この世界じゃ、なにが起こるかわからないもの。いきなり離れ離れになってしまったら、大変でしょう」
「それは、そうだけど」
ごにょごにょとつぶやく健介の手を、夢雨ががっしりつかみました。
「とにかくあなたはついてきなさい」
しっかりした言葉でした。夢雨は健介の手をにぎったまま、どんどん山道を進んでいきます。
「待ってよ、夢雨は、怖くないの?」
「怖い? なにが?」
不思議そうに首をかしげる夢雨を、健介は信じられないという目で見つめました。
「なにがって、だってここ、がけの上だよ! 落ちたら死んじゃうじゃんか。それなのに、そんなすいすい進んで」
「夢から出られなくなるよりはいいもの。夢から出られなくなったら、夢にとらわれたら、残された人は悲しいから」
不意に夢雨は、ぷいっと顔をそむけました。
「夢雨?」
「なんでもないわ。さ、急ぎましょう。早く出ないと、またわたし寝不足で居眠りしちゃうわ」
つないでいた夢雨の手に、力が入りました。夢雨は何度も健介のほうをふりかえりながら、どんどん進んでいきました。
「ところでさ、さっきここから出られるって、いってたよな。いったいどうやって出るんだよ? というか、どうしてそんなこと知ってるんだ?」
「前に他の人の夢で、同じ現象に遭遇したからよ」
「同じ現象って、やっぱり日記とか?」
「そうよ。だからいったでしょう。夢まくらはとても危険なの。バグも多くて、下手をすれば一生この世界から抜け出せないのよ。開発チームがバグを監視しているんだけど、あいつらぜんぜん役に立たないわ。結局夢まくらの危険性だって公表しないし!」
「開発チーム? いったいなんのこと?」
夢雨はくるりとふりかえりました。くちびるをぎゅっとかみしめて、今にも殴ってきそうな迫力です。健介は思わずちぢこまってしまいました。
「ごめんよ、変なこと聞いて」
「むだ口たたくひまがあったら、ちゃんとまわりを見てちょうだい。一つ一つ窓を確認しなさいよ」
ぶっきらぼうにそれだけいうと、夢雨はくるりと前に向き直りました。
「確認って、なにを確認すればいいんだ?」
左右に並んだ窓を見ながら、健介はたずねました。そういえば窓がだんだんと近くなってきている気がします。
「できるかぎり、わたしが笑っている窓を探してほしいの。わたしもさっきから確認しているんだけど、なかなか見つからないから」
「笑っている窓?」
しかし、どの窓を見ても、映っている夢雨はけわしい顔で、研究資料を見ています。
「そう、笑っているわたしを探してほしいの。正確にいえば、一番幸せそうなわたしが映っている窓よ。日記や完成していない物語から出るためには、それを書いた人の最も強い気持ちに触れなければならないの」
「最も強い気持ち? どうしてそんなことがいえるんだ?」
夢雨は窓から健介へと視線を移しました。切れ長の目に見つめられて、健介はどぎまぎしてしまいました。ですが夢雨は、健介のことは気にしていない様子です。少し考えこんだあとに、疲れたように肩をすくめました。
「ただの経験よ。前に同じ現象に遭遇したっていったでしょ。そのときに経験したのよ。っていっても、そのときは偶然脱出できたんだけどね。その人はあなたと同じように、恋人の日記帳を夢まくらに入れていたわ」
恋人という言葉を聞いて、健介の胸が激しく波打ちました。夢雨に顔を見られないように、変に顔をそむけてしまいます。
「え? どうしたの? そんな顔して」
いぶかしがる夢雨に、健介はあわてて首をふりました。
「いや、なんでもないんだ。ごめん、続けて」
夢雨はまだきょとんとしていましたが、健介にうながされるがままに話を続けました。
「その人の夢の中は、こんながけじゃなくて、橋の上だったわ。橋の下は大きなうずでいっぱいだったけど、そのうずに、ここの窓のようにいろんな景色がうかんでいたのよ。もちろんその人も、わたしも、どうやったら出られるのかわからずに、ただただ橋の上をさまようばかりだった」
「それで、どうやって夢から出たんだ?」
健介がおそるおそるたずねました。夢雨の眉間にしわがより、さっきよりも顔が険しくなっていました。
「どうやっても夢から出られなかったわ。何度念じても、夢の中はなにも変わらなかった。だから最後はその人、夢から出られない絶望で正気を失ってしまったの。うずに映っている、恋人と抱き合っている映像へと身を投げたのよ」
「そんな、じゃあその人は」
「その人がうずへと落下してふれたときに、うずが光につつまれて消えてしまったの。その人もすがたを消していたわ。だからわたしは、そのうずが夢からの脱出口だって思って、それに賭けたの。それでわたしもそのうずに飛びこんだのよ」
「そんな、そんなことがあったなんて」
さっきまでのドキドキはどこかにふきとんでしまったようで、健介は目を見開いています。
「まあ、難しい原理はおいておくとして、とにかくもっとも強い気持ちにふれないと、この世界からは抜け出ることができないわ。だから、笑っているわたしを探して。幸せなわたし、パパと一緒にいるわたしを」
「夢雨、君のお父さんは、いったい」
「いいから探すわよ」
またもぐいっと引っぱられて、健介は口をつぐみました。そのままだまって、左右の窓を見ていきます。どれも研究資料を見る夢雨の姿ばかりでした。
「いったいこれ、どれだけ資料を見てるんだよ。しかも日記に書いてるわけだろ」
「そうね、少なくとも三年以上は見ているわ」
「そうまでして、いったいなにを調べているんだ?」
「夢まくらのことよ」




