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第三十五話

 抹消プログラムの光弾は、じょじょに健介の盾を削っていきました。盾が欠けるたびに、夢雨が青い光で盾を修復していきますが、それも後手後手に回るばかりでした。二人はただ耐えるしかありませんでした。


「ちっ、もういい! その二人はほうっておいて、先に久方を探し出せ! 久方はそいつらと違ってそれほど強くないだろうから、すぐに倒せるはずだ。そいつらの相手はそれからでいい!」


 しびれを切らせた芹沢が、抹消プログラムにだみ声で命令します。抹消プログラムは光弾をはなつのをやめて、バサバサと森のほうへ飛びたちました。


「いけない! 窓にはパパとママの思い出があるのに!」


 夢雨が黄金の矢で、抹消プログラムを打ち落とそうとします。しかし抹消プログラムは、矢を受けてもまったくひるみません。


「夢雨、ぼくをフォローしてくれ!」


 そういって健介がぎゅっと目をつぶります。すると、健介の足元にスケートボードが現れたのです。あっけにとられる夢雨の前で、健介はスケボーに乗りました。スケボーが一気に空にうかびあがったのです。


「わっ、すごい!」

「よし、これならあいつを追うことができる!」


 健介は弾丸のようなスピードで、抹消プログラムに追いつきました。抹消プログラムが黄金の剣で、健介に切りかかります。しかし黄金の剣は、夢雨の黄金の矢でキィンッとはじかれ、消えていきました。健介は黄金の盾を前につきだし、抹消プログラムに思いっきり体当たりしました。抹消プログラムはよろめき、そのまま地面に落ちていきます。しかし、健介も突撃した勢いのまま、いっしょに地面へ落下しました。


「健介君!」


 夢雨がかけよりましたが、今度は抹消プログラムのほうが速く動きました。黄金の剣で、健介に切りかかったのです。黄金の盾でかろうじて防ぎましたが、盾はついに切り捨てられてしまいました。健介は黄金の斬撃を、まともに受けてしまったのです。


「いやぁっ!」


 夢雨の悲鳴が、まるで耳に綿をつめたように、鈍く聞こえてきます。胸が焼かれるように熱くなり、健介はゆっくりと視線をおろしました。血で服が真っ赤に染まっています。黄金の盾は真っ二つに割られて、左手も血だらけになっています。自分の傷だというのに、どこか他人事のように感じました。急に目の前の景色が、ぐるりとゆらぎ、キーンッという耳ざわりな耳鳴りがしました。目がかすんで、もう夢雨の声は聞こえません。健介はそのまま、闇の中へ落ちていきました。そして……。





 そして気づいたときには、健介はあの真っ白い空間に、たった一人でたたずんでいました。胸を見ましたが、傷はもちろん、血もついていません。左手も無事でした。健介はあたりを見わたしましたが、目がおかしくなりそうなほど、どこまでいっても真っ白です。右も左も、上も下もわかりません。健介は大きく息をすって、白い空間に大声で呼びかけました。


「夢雨! おじさん! だれかいないか!」


 声はむなしく、白い空間にすいこまれていきました。もう一度声をあげようと、健介が息をすいこむと、目の前の白い空間がゆがみました。空間のゆがみが、やがて人の形へと変わっていきます。みがまえる健介でしたが、そこに現れたのは予想外の人物でした。


「あなたは、確か、夢雨のお母さん……?」


 そこにいたのは、夢の世界でたびたび見た、夢雨のお母さんである時雨さんでした。目を白黒させる健介に、時雨さんは軽くおじぎしました。


「あなたが健介君ね。ずっと見ていましたよ。あなたが夢雨を助けてくれるところを。そして、あの人のことも」


 あの人といわれて、健介はハッと顔をあげました。身を乗り出してまくしたてます。


「そうだった、夢雨のお父さんが、あなたとの思い出を探しているんです。森の中に入っていって、窓に映る思い出を探して、一番幸せな思い出が見つからないと、ぼくたちこの世界から出られないんです。だから」

「落ち着いて。大丈夫、ちゃんと知っているわ。あの人は今、あの窓の森でもう一人のわたしと対面しているわ」

「もう一人の、わたし?」


 きょとんとする健介に、時雨さんはうなずき、話を続けました。


「そう、もう一人のわたしよ。もう一人のわたしで、あの人をこの世界に閉じこめた張本人よ」


 健介は目を見開きました。


「そんな、それじゃあ!」

「これはあの人にとって必要なことなのよ。夢の世界から出るためには、だれかから強制されてはだめなの。それでは結局また、同じように夢の世界へ逃げてしまう。だから最後は、自分自身で夢や思い出と、決別しなければならないのよ」


 健介はまだ納得していない様子でしたが、時雨さんの静かなひとみを見ているうちに、心が落ち着いていくのを感じました。


「あの人はきっと大丈夫よ。ちゃんと正しい選択をしてくれるわ。それに……もしこの世界に残るという選択をしても、あなたと夢雨だけは、わたしが守るわ」

「いったいどういうことなんですか? あなたが夢雨のお母さんなんじゃないんですか?」

「そう。わたしは夢雨の『母親』で、もう一人のわたしというのは、あの人の、光治さんの『恋人』よ」


 どういうことかわからず、困惑する健介に、時雨さんは続けました。


「もともとこの世界は、わたしが執筆した物語が舞台なの。『夢枕』という題のその小説では、野宿した男の人が、夢の中で亡くなった恋人に会うというストーリーだった。でも、光治さんは夢の中でわたしに会って、帰りたくないって思ってしまった。そして夢の中のわたしも、もう二度と光治さんと離れたくないと思ってしまったわ」


 現実では出会うことのできない二人が、夢の世界で出会ったらどうなってしまうのか……。時雨さんは暗い顔で首をふりました。


「その結果、光治さんは夢にとらわれてしまった。でも、わたしにも、そして光治さんにも、ほんのわずかに罪悪感はあったの。それが残してきた夢雨のことよ」


 時雨さんは、長く黒い髪から、銀でできた髪飾りを外しました。少し古風なその髪飾りは、夢雨の髪にもよく似合いそうです。そう思っていると、健介はその髪飾りを手渡されました。


「大好きな人と離れたくないという『恋人』のわたしと、娘のことを思う『母親』のわたし。夢の世界のわたしは、この二つに分かれてしまった。最初は『恋人』のわたしのほうが、とても力が強かったわ。でも、夢雨がこの世界に来て、あの人の心を連れ戻してくれたから、今はこうして『母親』のわたしも存在することができているの。でも、どちらのわたしを選ぶか決めるのはあの人だから、だからあの人が一番大切な『恋人』のわたしと対峙しないといけないの」


 健介はやはりまだよくわからない様子でしたが、時雨さんはほほえんで、健介の頭をそっとなでました。


「今はまだわからなくていいわ。でもきっと、いつかわかる日が来る。そしてそのときに、あなたが後悔しない答えを出せるように祈っているわ」


 時雨さんの手が、白い空間にとけて消えていきました。いつの間にかそのからだも消えかかっていたのです。あわててかけよる健介に、時雨さんはにっこりと笑いかけました。その顔は夢雨が笑ったときの顔にそっくりでした。


「その髪飾りを、夢雨に渡してちょうだい。母親としてあの子にはなにもできなかったけれど、そんなわたしにできる、母親らしい最後のプレゼントよ。夢雨のこと、よろしくね」


 時雨さんはそのまま、白い世界にとけて消えていきました。そして健介もまた、深い夢の世界へと戻っていったのです。





「――わたしは――」


 闇の中で、光治さんが時雨さんに答えようとしたときです。光治さんの耳に、確かに夢雨の声が聞こえてきました。


「パパ、いっしょに帰ろう」


 光治さんは口をつぐみ、それから時雨さんをまっすぐに見つめました。


「――わたしは、この世界には残れないよ」


 時雨さんの顔が、くしゃくしゃの泣き顔へと変わりました。光治さんを抱きしめたまま、甘えるようにたずねます。


「どうして? わたしがきらいなの?」

「違う。わたしは君のことが大好きだ」

「なら――」

「けれどもわたしは、君と同じぐらい夢雨のことも大好きなんだ。わたしが君とこの世界で過ごしている間、夢雨はずっと一人ぼっちだった。わたしはもう二度と、夢雨にそんな思いはさせたくないんだ」


 ゆっくりと闇が晴れていきました。闇にかくされていた窓の森が、再びよみがえっていきます。そして窓の映像に、光治さんと時雨さんの真ん中で、バースデーケーキのろうそくの火を消す、幼い夢雨のすがたが映っていました。その映像も、そして窓も、温かく優しい光に満ちあふれていました。


 ――あなた、ありがとう。あの子のことをお願いね――


 胸の奥へ、時雨さんの声がしみこんできました。光治さんは小さくうなずき、めがねを外して目をぬぐいました。


「わたしのほうこそ、ありがとう。君のぶんまで夢雨のことを愛するよ」


 光治さんはうしろをふりかえりました。


「夢雨、健介君。無事でいてくれよ」


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