第三十四話
健介たちが抹消プログラムと戦っているころ、光治さんは窓の森を一人さまよっていました。どの窓にも、光治さんと時雨さんが楽しそうにデートする姿が映っていますが、肝心の光る窓は見つけることができていませんでした。
「いったいどこにあるんだ? 早く見つけないと、二人が危ないというのに」
奥に進むにつれて、窓の森はだんだんと景色を変えていきました。最初は森というより、林のようにぽつぽつとしか窓が生えていませんでしたが、今はからみあうように、窓がそこかしこに生えています。太陽の明かりは、わずかに木漏れ日として感じられます。ですが、窓の映像からの光がなければ、きっとなぐさめにもならなかったでしょう。
「窓の森というよりも、迷いの森といったところだな」
光治さんは、木々が増えて歩きづらくなった森を、注意深く進んでいきました。そして、窓を一つ一つ調べていた光治さんは、ある法則に気がついたのです。
「この森、さっきまではかなり昔の記憶を映していたのに、だんだん記憶が新しいものになっているのか?」
最初のほうに映っていた景色は、光治さんと時雨さんが初めて出会った場面や、初めてのデートなど、ずいぶん昔の思い出ばかりでした。しかし、森が深くなっていくとともに、思い出が最近のものへと近づいているのです。光治さんの顔がこわばりました。
「もしわたしの推測が正しいとすれば、この先の思い出は、きっと……」
一瞬だけ足を止めた光治さんでしたが、夢雨と健介の顔を思い出し、再び森の奥へと進んでいきました。
「……どうしてなの……」
木のかげから、女の人の声が聞こえてきました。窓には映像しか映ってなく、音は出ていません。声のしたほうに顔を向けましたが、そこにはだれもいませんでした。
「……どうしてわたしが……」
再び声がして、光治さんはたまらず大声で呼びかけました。
「だれかいるのか?」
光治さんの呼びかけにこたえるように、窓に映っていた映像がすべて消えて、かわりに病院の映像が映りました。どの窓も、同じ病院が映されています。
「まさか」
光治さんの顔が真っ青になり、目は窓の映像にくぎづけになってしまいました。窓の映像は病院にズームアップしていき、そしてついにある病室に場面が変わりました。
「やめろ、やめてくれ……」
うわごとのようにつぶやく光治さんですが、窓はそのまま病室で横たわる、時雨さんのすがたを映しだしました。あきらめきったその顔を、光治さんは食い入るように見ています。
「もっとあなたと生きていたかった。愛する人と、もっといっしょに過ごしたかった。でもわたしは……」
声はいつの間にか、森全体から聞こえてくるようになっていました。光治さんは頭をかかえて、それでも目は窓から離すことはできませんでした。
「病気はわたしからたくさんのものを奪った。愛する人と外の世界を見ることもできず、わたしはあのせまい病室へと閉ざされた。だけどあなたは、わたしに希望を持たせてくれたわ。夢の中を自由に旅することができる、夢まくらを完成させて、わたしといっしょに、わたしの書いた本の中を旅しようって、そういってわたしをはげましてくれたわ」
「時雨、わたしは」
光治さんの声をさえぎるように、森全体がふるえました。おののく光治さんに、声はさけぶように続けたのです。
「あなたのはげましがあったからこそ、わたしは、つらい闘病生活にも耐えることができたの。いつか病気が治ったら、いいえ、病気が治らなくても、あなたと夢の世界で生きていけるなら、そう思った――」
窓に映っていた病室が、いっせいに消えてしまいました。わずかに残っていた木漏れ日も、森の木々によって閉ざされました。いまや森は、完全な闇につつまれていました。風が木の葉をざわめかせ、それがささやき声のように森全体に広がっていきます。光治さんはランプをイメージしようとしましたが、うまく光を作ることができませんでした。
「けれどあなたは、夢まくらを完成させることができなかった。わたしの願いはかなわなかった。わたしは深い闇にとらわれ、もう二度とあなたと会うことはできなくなってしまったわ」
再び窓に映像が映し出されました。そこは火葬場でした。時雨さんのなきがらが入った棺が、今まさに火葬炉へと運ばれていくところでした。
「待ってくれ!」
光治さんはさけびましたが、映像は止まず、そのまま窓は炎に包まれて燃え上がりました。どの窓からも一気に炎が上がり、そこはまさに火葬炉そのもののようでした。
「やめろ、やめろ、やめてくれぇっ!」
光治さんは巨大な雨雲をイメージし、水没させるほどの大嵐を呼び出しました。それでも炎は燃え盛りましたが、大量の雨で、やがて下火になっていき、最後には消えていきました。窓は焼け焦げ、雨に打たれて今にもくずれてしまいそうです。光治さんは荒い息をして、今にも倒れそうなほどに、足をがくがくさせています。雨の中に、声がひびきわたりました。
「わたしは闇の中で、一人ぼっちだった。ずっとずっと、一人ぼっちだった。光も、音もない、時間の感覚もない、そんな闇の中で、どれだけ待ったかしら。あるとき、闇の中にかすかな光が見えてきたわ。最初はぼんやりとだけれど、その光はだんだんと大きく、そしてはっきりしてきた」
焼け焦げた窓に、緑のつたが少しずつ巻きついていきました。だんだんと窓が元通りになっていきます。聞こえてくる声も、じょじょに優しい音色へと変化していきました。
「それがあなたの顔だと思い出すのに、時間はかからなかったわ。顔だけじゃなくて、だんだんあなたのからだが、手が、足が見えてきた。だからわたしは、あなたのことを抱きしめたの」
窓に再び映像が映し出されました。そこには光治さんといっしょに過ごす、時雨さんのすがたが映っていました。
「あなたが夢まくらを使って、わたしの小説の中へ入ってくれたから、わたしは再びあなたとめぐりあうことができたの。うれしかったわ。あの闇から、わたしを救ってくれたことが。あなたとまたいっしょに生きられることが」
映像に映る二人の背景は、どんどんと変化していきました。静かな公園に、ドリームランド、すがすがしい野原に、見たこともない町並み。あるときは大都会の真ん中で、あるときはだれもいない砂浜で、あるときは一面銀世界の雪山で、あるときは小さな教会で……。二人は世界中を旅して、いっしょに過ごしていたのでした。
「でも、あなたはわたしを置いて出ていこうとしている」
映像が再び消えて、森はまっくらな闇につつまれました。まるで世界中の色が失われたように、そこは黒一色の世界でした。光治さんはその場にすわりこみ、ぐったりと頭をたれてつぶやきました。
「わたしは、なんてことを……」
どこにも行き場のない、真っ黒な闇の中で、ひとかけらの光が生まれました。光治さんが顔をあげると、その光が少しずつ、少しずつ、ぼんやりしたものからはっきりしたものへ変わっていきます。だんだんとそれは、人の顔へと変わっていきました。時雨さんの顔でした。光治さんはすいよせられるように、時雨さんの顔へ近づいていきます。時雨さんの顔だけでなく、からだが、手が、足が、少しずつ現れてきました。光治さんは幻想の中の時雨さんを、強く強く抱きしめました。
「お願い、あなた、約束して。わたしを置いていかないと。わたしといっしょに、この世界でずっと生きると」
「わたしは――」




