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第三話

「どうして、夢雨が?」


 そこにいたのは、教室で眠っていたあの女の子、久方(ひさかた)夢雨でした。健介は口をぽかんと開けたまま、夢雨の顔を見つめています。


「それはこっちのセリフよ。なんで岡山がここにいるの? それにこの世界って」


 夢雨がきょろきょろと、あたりを見まわしています。健介の背すじが寒くなりました。もしここが、ほたるの夕べの世界だと知られたら、もう学校に行けません。こっそり少女マンガを買っていて、しかもその世界に入ってほたるに会おうとしていたことがばれるなんて。なにより自分の初恋の相手が、少女マンガのほたるだということに気づかれたら……。健介はキッと夢雨をにらみつけました。


「なんだよお前、どうしてぼくの夢に出てくるんだ?」


 いったあとに、健介はあたりの様子がおかしいことに気がつきました。最初に空港に来たときは、おおぜいの人たちのざわめきで騒がしいくらいでした。でも今は、空港にいる人たちが、マネキンのようにピタリと固まっていたのです。それに人々の話し声であふれていたはずなのに、今はまったくの無音です。まるで夢雨と健介以外の人たちの、時間が止まってしまったかのようでした。


「待てよ、もしかしてこれ、夢まくらの故障なんじゃないか? そうだ、そうに決まってる。夢まくらはまだ改良点も多いってニュースでやっていたし」


 一人でうなずく健介に、夢雨は首をふりました。


「故障じゃないわ。確かに夢まくらは改良点が多いけれど、この世界は正常に機能しているから、安心して」

「じゃあなんで、お前が出てくるんだよ。ほたるのゆ……じゃない、この世界には、お前なんか載ってなかったはずじゃないか」

「そうね。わたしは確かにこの世界には載っていない。別の方法でここに来たの。でも、あなたの夢の中だとは思わなかったけどね」


 夢雨があざ笑うかのようにいいました。女の子にしては背が高い夢雨に、健介は完全におびえています。そうです、いつの間にか健介は、さっきまでの高校生のすがたから、いつものすがたに戻っていたのです。これも夢雨が現れた影響でしょうか。


「まあいいわ。あなたの夢がいったいなんの世界だろうと、わたしには関係ないから。でも、これだけはいっておくわ。もう夢まくらを使うのはやめなさい」

「えっ?」


 健介はめがねを指でかけなおしました。夢雨を見つめたまま、言葉を忘れたように固まっています。夢雨ははぁっと、わざとらしくため息をつきました。


「もう一度いうわ。夢まくらを使うのは今日で最後にして。そうしないと大変なことになるわ」

「なんだよ、いきなり出てきてなんでそんなこというんだよ! ぼくがこれを買うのに、どれだけ苦労したかわかってるのか? 一年間もおこづかいをため続けて、お年玉も使わずがまんして、やっとの思いで買った夢まくらなのに、どうしてお前なんかにそんなこといわれなくちゃならないんだよ! ほたるちゃんとのデートの途中だったのに! あっ、そうだ、ほたるちゃん、ほたるちゃんは無事なのか?」

「さっきの女の子のことかしら? 残念だけどこの世界からは消えてしまったわ」

「なっ」


 どなりちらしていた健介は、またもや言葉を失いました。夢雨は国語の朗読をするような、抑揚のない口調で続けました。


「夢まくらは、本の世界と夢の世界を融合させて、自由にできる世界を作る。そして、その夢を見ている人間、つまり夢の世界の主は、どんなことでもすることができるわ。夢の世界を、思い通りに、自由にできる」


 夢雨はそこで一度言葉を切りました。健介はあいかわらず、ぼうぜんと夢雨を見ています。夢雨は無表情のまま続けました。


「だけど、わたしは別なの。わたしは別の方法でこの世界に入ったから。あなたが創造した、夢の世界の人物たちとは完全に別の、いわば世界の外の人間なの」

「世界の外の人間だって?」

「そうよ。わかりやすくいうと、今のこの世界は、主が二人いるようなものなの。本来の夢の主であるあなたと、世界の外の人間であるわたし。そして、本来は夢の主にしかない特権、夢の世界を自由にする特権を、わたしも持っているの。だから」

「だから、ほたるちゃんを消したってのか?」


 しぼり出すような健介のつぶやきに、夢雨はゆっくりうなずきました。


「じゃあ、お前だってぼくにこの世界から追い出されても、文句はないだろ? 勝手にぼくの夢に出てきて、邪魔をするなんて! ぼくの夢から出ていけっ!」


 健介は高級レストランをイメージしたときと同じように、ぎゅうっと目をつぶりました。夢雨がこの世界からいなくなるように強く念じたのです。ですが……。


「むだよ、そんなことしても。さっきいったでしょう。本来は夢の主しか世界を自由にはできないけれど、わたしは別なの。だからあなたにわたしを消すことはできないわ」


 その言葉通り、夢雨は消えるどころか、まゆ一つ動かしていません。いつもの仏頂面で、健介を見おろしています。


「どうしてお前だけ別なんだよ、いったいどうして?」

「それは秘密よ。でも、これでわかったでしょう。あなたはわたしのいうことを聞くしかないの。夢まくらを使うのは、今日で最後にするのね」


 そっけなくいう夢雨に、健介は激しく首を振りました。


「いやだ、そんなのいやだ、まだ、ほたるちゃんとデートの途中だったのに! それなのにそんなこと」

「バカみたい。夢の中で、しかも少女マンガの女の子と会うために、夢まくらを使うなんて。現実世界じゃ、女の子と話せないからって、そんなことして楽しいのかしら?」


 夢雨の冷たい視線を受けて、健介は顔が燃えるように熱くなるのを感じました。


「まあ、夢まくらを使う人たちなんて、結局そんな人ばかりだったけど。どの人の夢に入っても、結局自分じゃできないことを、夢の中でしようとしてる。現実を見ることを止めて、夢に逃げてるだけよ」

「お前だって使ってるじゃないか!」

「わたしは別よ。そもそも、普通の夢まくらに、他人の夢に入る機能なんてないでしょ? わたしが使っているのは……」


 夢雨は言葉を切り、窓の外を見つめました。離陸しようとしている飛行機が、完全に止まっています。やはり夢雨が来てからおかしくなってしまったのでしょうか。空港はもはや、健介と夢雨の二人だけしか時間が流れていないようです。壊れかけたテレビのように、ときどき飛行機の翼がゆがんで見えます。


「なんだよ、お前が使ってるのは、夢まくらじゃないのかよ?」


 夢雨は窓の外から目を離し、再び健介を見つめました。


「……ちょっとしゃべりすぎたかしら。でもいいわよね。だって、あなたが夢まくらを使うのは、今日で最後になるんだし」


 夢雨が皮肉たっぷりにいいました。


「なんだと、それはいったいどういう意味だよ?」


 しかし、夢雨は答えませんでした。健介の顔を、じっと見つめているだけです。健介はもう我慢の限界でした。


「くそっ、お前なんか!」


 健介は竜巻をイメージして、右手をブンッとふりおろしました。右手からドッジボールほどの風のかたまりが、夢雨に襲いかかります。ですが、夢雨はまったく動じません。バチンッと風船が割れるような音がして、風の球は夢雨に当たることなく消えてしまいました。


「そんな」

「だからいったじゃない。わたしになにをしても、傷一つつけることはできないわ。もちろん、夢の中から追い出すこともね」


 夢雨はすたすたと、健介のほうへ近づいてきました。


「くるな、こっちにくるなよ!」


 夢雨を止めようと、健介は鉄格子でできたおりをイメージしました。健介のイメージどおり、がっしりとした鉄格子が夢雨を囲みます。けれども鉄格子は夢雨にふれることなく、砂のようにさらさらとくずれて消えてしまったのです。夢雨は歩みを止めずに、健介との距離をちぢめていきます。


「くるな、くるなって!」


 足ががくがくとふるえ、健介はじりじりとあとずさりしていきます。夢雨はかまわず健介に近づきます。そして、能面のような顔のまま、健介に警告したのです。


「じゃあ約束して。もう絶対に、夢まくらを使わないって。わかった?」


 健介の目の前までやってくると、夢雨は健介の腕をガシッとつかみました。ものすごい力です。健介は思わず悲鳴をあげました。あたりの景色がぐるぐるとゆがみ、ねじれ、消えていきます。


 ――もう夢まくらは使わないでね、約束よ――


 夢雨の言葉が、頭の中でガンガンとひびきました。そしてついに、健介の意識は闇の中へと吸いこまれていったのです。


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