第十六話
いつの間にか眠ってしまっていたのでしょう。健介はゆっくりとからだを起こしました。からだの節々が痛みます。夢から覚めても、筋肉痛になるのでしょうか。健介はけだるそうに起きあがり、のろのろとリビングへと向かいました。
「あら、おそようさん。いくら休みだからって、あんた寝すぎよ。もう十時じゃない」
掃除機をかけていたお母さんが、あきれ顔で健介に声をかけました。健介が生気のない顔で、お母さんにふりかえります。お母さんは目を丸くしました。
「あんた、どうしたの? そんな疲れた顔をして。最近夜更かしがひどいんじゃないの。ちゃんと寝ないと、大きくなれないわよ」
「うるさいなあ、ほっといてくれよ」
健介はしかめっつらのまま、台所へと進路を変えました。お母さんは肩をすくめて、そうじに戻りました。
「朝ごはんさっさと食べちゃってよね。いつまでたっても片づけられないんだから」
あいまいに返事をして、健介は顔を洗いました。お母さんがいったとおり、鏡にはぐったりとした自分の顔が映っています。寝ぼけまなこをこすって、健介はだらだらと朝のしたくを始めました。朝ごはんのトーストと目玉焼きをさっさと食べて、服を着がえます。
「あら、あんたどこか遊びに行くの?」
お母さんに声をかけられて、健介は首をかしげました。
「えっ、どうして?」
「だってあんたいつも、休みの日はパジャマのままじゃない。お母さんが何度いっても着がえないのに、今日は着がえてるから、お友達と約束でもしてるのかなって思って」
「いや、別にどこにも行かないよ」
「あら、そう」
お母さんはさほど興味なさそうに、今度はあらいものに取りかかりました。健介もそのまま自分の部屋に戻ろうとして、すぐにお母さんのほうへふりかえりました。
「いや、やっぱり出かける。ちょっと行ってくる」
「行ってくるって、どこへ?」
お母さんがたずねたときにはすでに、健介は玄関へとかけだしていました。お母さんは目をぱちくりさせながら、健介のうしろすがたを見ていました。
――夢雨のお父さんの部屋にだったら、きっとなにか手がかりがあるはずだ。もしかしたら他に研究資料があるかもしれない。それを使えば、夢雨がいるところに、お父さんの夢にだってたどりつけるはずだ――
息を切らしながら、健介は全速力で夢雨の家を目指しました。夢の中とは違い、現実の健介はすぐに体力がなくなり、へばってしまいます。それでも休まず、力の限り走り続けました。
――そうだよ、現実のぼくなんて、どうせこんなものなんだ。でもこれが現実なんだ。いいことばかりじゃない、悪いこともふくめて、全部ひっくるめて現実のぼくなんだ。でも、夢雨のいない現実はいやだ! たとえずっとほたるちゃんと暮らせたとしても、夢雨と会えないならまっぴらごめんだ――
はぁはぁと肩で息をしながら、健介はようやく夢雨の家へたどりつきました。今日は休日だから、お手伝いのばあやさんもおやすみなのでしょうか、家の中はシンとして、まるで空き家のようです。健介はそっと玄関のドアノブに手をかけました。
――あれ、開いてる――
カギがかかっていると思ったら、ドアノブはすんなり開きました。健介はあたりをきょろきょろして、誰もいないことを確認してから、そーっとドアを開けて中に入りました。
「おじゃましまーす……」
形だけのあいさつをすますと、健介はしのび足で夢雨のお父さんの部屋へ向かいました。
――待てよ、夢雨は『夢まくら改』でぼくの夢に入ってきたんだよな。ってことは、夢雨、今は眠ってるってことだよな――
夢雨の寝顔を想像して、健介はほおが熱くなるのを感じました。首をぶんぶんっとふって、自分にいいきかせます。
「なに考えてるんだぼくは! 今はそれどころじゃないんだ、早く研究資料を探さないと」
そろそろとお父さんの部屋に向かい、音を立てないようにドアノブを回しました。昨日夢雨といっしょに部屋に入ったときとまったく同じでした。違うのは、本棚の一冊から、淡い光が放たれていることだけでした。
――どうしてだろう、あそこだけ光ってるぞ。ここは、夢まくらの中じゃないのに、どうして――
疑問を持ちながらも、健介は引き寄せられるようにその淡く光るノートを手に取っていました。それは古ぼけた大学ノートでした。健介が手に取ると、淡い光は消えてなくなりました。それはさながら、夢まくらの夢の中の出来事のようでした。夢まくらのことを思い出したとき、健介はあることに気がついたのです。
「これって、もしかして、夢の世界にあったノートじゃないか」
『夢枕』と書かれたノートには、久方光治と久方時雨という名前が書かれていました。夢雨のお父さんとお母さんの名前でしょう。健介はノートをぱらぱらとめくっていきました。
「なんだろう、これって、交換日記とかかな? それとも、小説か?」
目で内容を追っていくと、どうやら書かれているのは物語のようです。しかし、ノートの筆跡が、一ページごとに変わっているのです。丸っこくてちょっと雑な字と、うすくきれいな字の二種類でした。
「もしかして、二人で小説を書いていたのかな。でも、それならどっちが夢雨のお父さんで、どっちが夢雨のお母さんの字なんだろう」
ぱらぱらとページをめくっているうちに、丸っこくて雑な字はどこかで見たことがあるように思えてきました。少し考えてから、健介はあっと声を上げました。
「そうだ、この字は夢雨のお父さんの手紙の字だ。じゃあこっちの字は」
健介はノートの表紙にかかれていた、二人の名前の筆跡をもう一度見ました。お母さんの名前が、うすくてきれいな字で書かれていました。
「そうか、このきれいな字の人が、時雨さん、夢雨のお母さんだな」
健介は夢雨の日記帳を思い出しました。夢雨も、うすくてきれいな字を書いていました。
「きっと夢雨は、お母さんに似ていたんだろうな」
大人になった夢雨のことを想像して、健介の胸がドキドキと波打ちました。
――いけない、いったいなにを考えてるんだぼくは。そんなことより、早く研究資料を見つけないと――
『研究資料を入れても、夢雨のあとは追えませんよ』
突然女の人の声がしたので、健介はびくっと硬直してしまいました。おそるおそる部屋中に視線をはわせますが、もちろん誰もいませんでした。
――もしかして、ゆうれいか――
思えばノートが光を放つという時点で、普通はありえない現象です。もしかしたら本当に、ゆうれいのしわざかもしれません。健介はみがまえましたが、女の人の声は続きました。
『そのノートを夢まくらに入れてください。そうすれば夢雨のあとを追うことができるでしょう。それに、あの人のことも』
「あの人? あの人って誰? それにあなたも。どうして夢まくらのことを知っているの?」
矢つぎばやに健介は質問しましたが、それっきり女の人の声は聞こえなくなってしまいました。夢雨のお父さんが、うん……と、苦しそうな声を出したので、健介は口をつぐみました。
――誰だったんだろう。いや、それよりも、このノートを夢まくらに入れるようにっていっていたよな――
健介はもう一度、小説の書かれたノートをまじまじと見ました。もう光は見えませんでしたが、そのノートは健介に残された、最後の明かりそのものでした。それにすがるしか道はありません。健介はノートをぎゅっと胸に押し当てました。
――待ってろよ、夢雨――




