第十五話
「……ん? ここは?」
やさしくあたたかな光が、健介の体をつつんでいました。健介はゆっくりと体を起こします。つけっぱなしにしていためがねを指で戻して、うーんっとのびをしました。
「もう、朝か。めがねかけたまま寝ちゃったんだな」
ぼーっとする頭をふって、健介は小さくあくびをしました。いったい今何時でしょうか。早く着替えて学校の準備をしないと……。そう思って横を見ると、だれかがとなりにすわっています。
「あれ、だれだい、どうしてぼくの部屋にいるの?」
「なに寝ぼけてるのよ。ここは夢の世界よ。ほら、しっかりして」
声の主が夢雨だと気づいて、健介はハッと顔を上げました。さっきまでの記憶が頭の中をかけめぐります。すぐに立ちあがってあたりを見わたしました。ベッドで眠っていると思ったのに、そこにはなにもありませんでした。ただただ白いもやしか見えません。白いもやでつつまれた空間に、夢雨と二人ぼっちです。
「えっ、いったい、どうなったんだ? ぼくたち、うまく脱出できたのか? あのノートは、それに、夢雨、ここはいったい?」
「落ち着いて。大丈夫、捕獲プログラムはもういないわ。わたしたち、パパの夢の中にいるのよ」
「えっ? パパって、夢雨の?」
まだ状況がうまく飲みこめない健介を見て、夢雨があははと笑いました。日記の中で見た、幼いころの夢雨の笑いかたにそっくりでした。
「そうよ。わたしのパパ。あのノートは、パパの夢の中に入るための転送装置だったみたいね」
屈託のない笑い顔を見て、健介も自然と笑顔になります。ほっとしたのか、はぁーっと大きく息をはきました。
「よかった。本当に良かった。それじゃあ、夢雨はやっと、お父さんに会えるんだね」
夢雨の顔がくもりました。なにも答えずにうつむく夢雨を、健介は不安そうに見つめました。
「どうしたの? お父さんと会えるんじゃ?」
「この世界は、正確にいうと、パパの夢への入り口なの」
そういって、夢雨は手をゆっくりとふりました。あたりにただよっていた白いもやが、ふわっと消えていきます。
「ここは、どこ?」
健介と夢雨は、小さな小部屋にいたのです。白いもやが晴れても、部屋は白一色でした。健介は目をまたたかせます。
「すごい部屋だな、ここは」
床も、天井も、壁紙も、全てが真っ白でした。窓も扉もありません。ただ、小部屋の中心に、真っ白なベッドだけがありました。そしてそのベッドのまくらは……。
「夢の中に、夢まくらがある」
「そうなの。それと、これが置いてあったわ」
夢雨は健介に、手紙を手渡しました。丸っこくてちょっと雑な字で、『久方光治』と書かれています。
「久方、光治? これって、もしかして夢雨のお父さん?」
「そうよ。ここはパパの夢への入り口なのよ。この手紙を夢まくらに入れて眠ると、パパの夢の中に入ることができるって、手紙に書いてあったわ」
健介は思わず夢雨を見あげました。夢雨にまっすぐに見つめられ、健介の胸が熱くなりました。
「夢雨は、この夢まくらを使って、お父さんの夢の中へ行くつもりなんだね」
「そうよ。わたしはこのために、パパを探し出すために、ここまできたんだから」
「だけど、ここは夢の中だろう? 本当に大丈夫なの?」
夢雨はかわいた笑みをうかべました。あきらめたような、けれどもしっかりした口調で否定しました。
「きっと、戻れないと思うわ。パパの手紙の中にも、戻れる保証はないって書かれていたから」
「じゃあ、だめだよ! それこそ夢雨がいっていた、夢にとらわれるってことじゃないか!」
健介の言葉に、夢雨はかすかにうつむきました。健介はじっと、夢雨の言葉を待ちます。やがて、夢雨は顔を上げました。ですが、その表情は、いつもの無表情に戻っていました。
「そうね。でも、もうわたしは決めたの。パパに会えるんだったら、わたしはたとえ、夢にとらわれたってかまわない。……それがわたしの願いだから」
夢雨が健介に近づいてきました。切れ長の目が、まっすぐに健介を射抜きます。威圧するように夢雨がいいました。
「さあ、手紙をかえして」
しかし、健介は手紙を胸に押し当てたまま、夢雨からあとずさりしました。夢雨はわずかにまゆをあげます。
「大丈夫、わたしがこの夢まくらを起動したら、あなたは現実の世界に帰ることができるわ。だから安心して」
「違うよ、ぼくは自分のことなんて心配していない。ぼくは夢雨のことが心配なんだ。戻れなくなっちゃうんだよ!」
壁際に追いつめられた健介は、それでもしっかりと、夢雨の目を見つめていました。そして夢雨も、ひるまずに健介の目を見返してきました。
「そんなことはわかっているわ。でも、わたしは覚悟ができているの」
「まさか、夢雨、君は最初からこうするつもりだったの?」
夢雨は答えず、健介に向かって手のひらを向けました。
「うっ、ぐっ!」
とてつもなく重い空気のかたまりが、健介にのしかかってきたのです。健介は床に押しつけられました。有無をいわさぬ攻撃に、健介は身動き一つとれませんでした。
「さあ、かえしてもらうわ。健介君、ごめんね」
「だめ、だ、夢雨!」
健介はぎゅっと目をつぶり、空気のかたまりが消えるようにイメージしました。ですが、空気のかたまりは消えるどころか、さっきよりも重くからだを押さえつけてきました。ほんの指先だけですら、動かすことができません。くぐもった声で、健介がつぶやきました。
「どうして、イメージしたのに」
「もうここは、健介君の夢の中じゃないの。だから、あなたはなにもできないわ」
「そんな」
夢雨は健介に手のひらを向けたまま、父親の手紙を夢まくらの中へ入れました。ブゥーンと、低い音が聞こえてきました。夢まくらが起動したのでしょう。健介はすがるように夢雨を説得します。
「だめだよ、夢雨。君がいったんじゃないか。夢にとらわれるのは、いけないことだって。それなのに」
床に押しつけられ、歯を食いしばっている健介と、夢雨の視線が交わりました。夢雨は健介の目から視線をそらすと、抑揚のない、いつもの口調でいいました。
「大丈夫。わたしはきっと、パパを見つけて帰ってくるから。パパの夢の中に入るからって、わたしが夢にとらわれてしまうと決まったわけじゃないでしょ。心配しないで。わたしはちゃんと戻るから」
夢雨はヘッドギアを頭につけて、真っ白なベッドに横になりました。肩の荷が下りたかのような、安らかな横顔でした。でも、健介は一瞬、夢雨が泣きそうな顔になっているのに気がつきました。
「だめだ、夢雨、待って――」
夢雨の姿が光に包まれ、健介は目がくらんでしまいました。焼けるような強い光が収まり、次に目を開いたときには、見慣れた天井が見えるばかりでした。
「バカ、どうして待ってくれなかったんだよ」
健介は起きあがると、どんっと夢まくらをこぶしでたたきました。時計の針は五時を回っていましたが、まだ夜は明けていないようで、窓の外は深い闇が広がっていました。
「最初っからそうだったもんな。あいつ、全部勝手に自分で決めて、ぼくにはなにも教えてくれないで、ただ自分で抱えるばかりで。少しくらい、ぼくにもせおわさせてよ」
もう一度ばんっと夢まくらをたたき、健介はヘッドギアをはずしました。目をパジャマのそででぬぐい、めがねをかけました。
「あれっ?」
夢まくらのファスナーが、いつの間にか開いています。きちんと閉めていたはずですが、どうしてでしょうか?
「もう一度研究資料の中に入れば、もしかしたら夢雨に会えるのかな?」
健介は慎重に、夢まくらから研究資料を取り出しました。しかし……。
「そんな、どうして」
研究資料の冊子が、しわくちゃになっていたのです。急いでページをのばしていきますが、ところどころ破れてもいます。ほたるの夕べのときと同じでした。ですが、健介のショックは、そのときよりはるかに大きなものでした。
「これじゃあ、これじゃあもう夢雨のあとを追うことができない。夢雨を助けることも、それにもう一度会うことだって」
がっくりとうなだれ、健介は夢まくらに顔をうずめました。別れぎわに見せた、夢雨の泣きそうな顔を思い出します。健介はもう一度、バンッと夢まくらを思い切りたたきました。




