第十三話
「なんだって? 捕獲プログラムに会ったことがあるのか?」
健介に聞き返されて、夢雨はくちびるをかみしめながら説明を続けました。
「本来捕獲プログラムは、物語以外をはさんだ人間をとらえるためのものよ。でも、開発チームはそれ以外に、夢まくら自体になにかバグが生じた場合も捕獲プログラムを送りこむの。そうしないと、バグがあるって公表されるかも知れないからね」
ごくりと健介がつばを飲みこみます。数式がスーッと、二人のそばを通り過ぎていきました。
「そしてわたしの『夢まくら改』は、本来夢まくらにバグを生じさせて夢に侵入するわけだから、当然開発チームにも感知されやすいってわけ。前にいったでしょ、わたしはあいつらに狙われているって。その理由がそれよ。そして一度だけ、わたしが侵入した夢の中に、捕獲プログラムが現れた」
「現れたって、その捕獲プログラムってのは目に見えるの?」
健介に聞かれて、夢雨の顔が恐怖でゆがみました。にぎっていた夢雨の手が、かすかに汗ばんでいます。
「そうよ。プログラムとはいっても、目に見えるすがたをしているの。わたしが出会ったのは、羽の生えた真っ黒な悪魔だったわ。悪魔っていっても、マンガに出てくるような、ちゃちな落書きみたいなやつだったけど。そいつはとんでもないスピードで、わたしめがけて飛びかかってきた。そいつが通るあとは、絵の具を全部ぶちまけたようなごちゃごちゃな色になって、夢の世界が一気に崩壊していった。その時点で夢の主は夢から逃げ出していたけれど、夢の世界は消えなかった。わたしがまだ残っていたから」
夢雨の話だと、おそいかかってきたそいつから逃れるために、さまざまな防御をイメージしたそうです。健介がやったように、鉄格子をイメージしたり、そいつにかかる重力が何千倍にもなるようにイメージしたり、とにかくありとあらゆる方法を使いました。ですが、そいつはすぐにその防御をくぐりぬけて、夢雨をとらえようとしたのです。
「そいつが起き上がるたびに、夢の世界はめちゃくちゃな色になって、最後は真っ黒に変わってしまった。まるでそいつが世界のウイルスのように思えたわ。でも、そいつはわたしに、『自分はウイルスではない』っていったのよ」
「えっ、そいつ、しゃべれるのか」
健介は化け物のようなものをイメージしていたので、しゃべれると聞いてびくっとからだをふるわせました。夢雨が健介の手を、ぎゅっと強くにぎりました。
「ええ。しゃべれるっていうよりは、頭の中にそいつの言葉が流れてきたって感じかしら。とにかくそいつは『自分はウイルスではない。バグを修正する捕獲プログラムだ』って確かにいったの。わたしのことを『バグ』ってね」
「ひどいやつだな。夢の世界をめちゃくちゃにしてるのに、自分のことは棚に上げて」
はき捨てるようにいう健介に、夢雨もうなずきました。
「そうね。でも、そいつが名乗ってくれたおかげで、開発チームが捕獲プログラムを使ってバグを修正していることがわかったわ。さいわいその夢は通常の物語だったから、夢から覚めようと思えば覚めることができた。だから捕獲プログラムにつかまる前に、脱出することができたのよ」
夢雨が空間のゆがみを、心底憎らしそうににらみつけました。
「でも今回は、捕獲プログラムが出てきても夢から覚めることはできないわ。かなりまずい状況ね。つかまったら、わたしの『夢まくら改』の存在もばれてしまうわ。そうなれば、もうわたしにパパを救う手立てはなくなってしまう」
くやしそうにうつむく夢雨の手を、健介がぐいっと引っぱりました。
「それじゃあ急ごう、さあ、早く」
「きゃっ、健介君?」
突然健介が走り出したので、びっくりした夢雨が悲鳴を上げます。ですが、健介は夢雨の手をぎゅっとにぎったまま、ガラス板の上を走っていきます。
「ちょっと待って、そんなに走ると危ないじゃない」
「でも、早くしないと夢雨のお父さんを助けることができなくなるんだろ? 夢雨、さっきいってくれたじゃないか、ぼくのこと頼りにしてるって。大丈夫、ちゃんと出口を見つけるから、とにかく夢雨はついてきて!」
以前のおどおどした健介とはまったく違う姿に、夢雨はぽつりとつぶやきました。
「かっこつけちゃって。……でも、うれしいよ」
「えっ?」
「なんでもない。早く探しましょう。」
二人は手をつないだまま、ガラス板の上をカンカンカンッと走っていきました。こころなしか、泳いでいく数式の群れが、乱れてだんだん遅くなっている気がします。あせりがつのるばかりでした。健介は汗ばむ額を手でぬぐいました。
「くそっ、どこなんだ? 光ってるやつは」
きょろきょろと首を動かしながら、健介は必死に強い光を探しました。しかし、どこにも見当たりません。ちらっとうしろを振り返ると、空間のゆがみはさっきよりも広がっています。まだ捕獲プログラムは現れていないようでしたが、今にもゆがみを破って出てきそうです。
「あっ」
夢雨の言葉に、健介は急いで足を止めました。足をくじいたのでしょうか、夢雨がわずかによろめきました。
「夢雨、どうしたの?」
「……ううん、なんでもない、大丈夫よ」
言葉とはうらはらに、なんだか夢雨はつらそうです。いつもはすずしい顔をしているのに、今日は健介以上に汗をかいています。
「ホントに大丈夫か? いったん休んでからでも」
「そんなひまはないわ。早く行かないと。ほら、まわりを見て」
夢雨にいわれて、健介はあたりを見わたしました。近くの数式たちは、先ほどと変わらずすいすい進んでいますが、遠くに目をやり、健介の顔色が変わりました。
「そんな、うそだろ」
遠くの空のほうで、数式たちがぽつり、ぽつりと、空中から落下していたのです。それはまるで、たましいが抜けてしまったかのようでした。
「もうすぐ捕獲プログラムもやってくるはずよ。夢の中が徐々に不安定になってるか……ら……」
にぎっていた夢雨の手から、力がふっと抜けました。夢雨はよろめき、ガラス板の上にすわりこんでしまったのです。健介があわててかかえ起こしました。
「夢雨! 大丈夫か? どこか、痛むのか?」
「う……、ごめんなさい。もう大丈夫、ちょっと意識が飛んだだけ」
夢雨はつらそうに顔をしかめています。健介は険しい顔をして首をふりました。
「意識が飛んだだけって、ぜんぜん大丈夫じゃないだろ! やっぱりいったん休んで」
「だめよ、そんなことしてたら、二人ともつかまってしまうわ。……それに、捕獲プログラムの影響で、わたしにもバグが生じてきているみたいなの」
差し出された夢雨の腕を見て、健介はあっと声を上げました。夢雨の腕が、ところどころかすれて消えかかっているのです。
「夢雨、しっかりしろ!」
健介に体をゆすられて、夢雨はよろよろと立ち上がりました。健介が腕を支えます。
「ありがとう、もう大丈夫。ただ、もうほとんど時間がないわ。捕獲プログラムが侵入し始めている。急がないと」
夢雨はおぼつかない足取りで、歩きはじめました。ふらふらで、今にも倒れてしまいそうです。健介が手をとろうとしましたが、夢雨はその手をはたきました。
「夢雨?」
健介はとまどったように、夢雨を見ました。一瞬だけ、はかなげな、折れてしまいそうな夢雨の顔が見えたような気がしました。ドキッとして、もう一度よく見ようとしますが、夢雨の顔はいつもの無表情へ戻っていました。もしかしたら光のいたずらだったのかもしれません。夢雨はあの抑揚のない、静かな口調でいいました。
「このままでは二人とも捕獲プログラムにとらえられてしまうわ。そうなったら健介君も、夢まくらを没収されるくらいじゃきっと済まされないわ。だから早く逃げて」
「なにいってるんだよ、そんなこと」
「いいから早くして。あなたを巻きこんだのはわたしだから、責任はわたしが取る。あなたは早く出口を探しなさい。早く!」
夢雨はぷいっと顔をそむけました。かすかに手がふるえているように見えます。健介は夢雨の手を乱暴につかみました。
「きゃっ!」
「バカなこといってないで、早くこっちに来て! ぼくは絶対に、夢雨のことを見捨てないよ。夢雨、ほら、ぼくに寄りかかって」
夢雨がなにかいう前に、健介は夢雨の肩をかつぎあげました。夢雨はくちびるをかみしめました。
「このままじゃ、あなたも捕獲プログラムに」
「余計なこといってないで、早く出口を探そう。ほら、しっかり歩いて」
健介が一歩一歩、確認しながら歩き始めました。ふらつきながらも、夢雨もなんとか足を進めました。
「……がと」
「えっ?」
「なんでもない」
再び夢雨はそっぽを向きました。健介もそれ以上は聞かずに、あたりを見回しました。
「出口、出口はどこだ?」
泳ぐように進んでいた数式たちは、もうほとんど止まって、音もなく落ちていくばかりでした。健介は歯を食いしばって、その数式たちを目で追いました。
「あっ、あれ!」
夢雨の言葉に、健介も前を向きました。道の先に、目がくらむような光が見えたのです。ガラス板がその光を反射して、太陽がそこに降りてきたかのようでした。
「あった、出口だ!」
健介は夢雨をかかえるようにして、光に向かっていきました。しかし、そのうしろから、ブチブチブチッと、なにかが破ける音が聞こえてきます。夢雨がうしろをふりかえると、わずかに残っていた数式たちが、一瞬で虹色のちりに変わっていくのが見えました。たまらず夢雨がさけびます。
「来たわ、捕獲プログラムよ!」




