第一話
「ねえねえ、『ほたるの夕べ』の最終巻、読んだ?」
「読んだ読んだ。わたしあれ買っちゃったよ」
「ええっ、うそでしょ、あれ面白い?」
「面白いっていうか、かわいい感じ? 絵もかわいいし、ほたるちゃんがけっこう萌えるのよね」
五月になり、クラス替えのぎこちなさがようやくなくなった六年三組の教室では、女子たちがおしゃべりに花を咲かせていました。
――そうそう、ほたるちゃんがかわいいんだよ――
少し離れた席で、めがねをかけた男の子が耳に神経を集中させています。ときどきうなずいては、にやにやしていました。
「あー、でもそれなんかわかるかも。あの子のしぐさとかかわいいんだよね」
――ホントそうだよね。ああ、ぼくも話に混ざりたいなぁ――
「しっかしよぉ、あそこで津田が三振してなければ、もっとチャンスが広がったのに、なぁ、健介」
突然横から話をふられて、めがねをかけた男の子、健介はあいまいにうなずきました。
「うん、そうだよね」
――耕平君、ちょっと静かにしててよ――
健介はキッと、話しかけてきたいがぐり頭の男の子をにらみつけました。しかし、いがぐり頭の男の子、耕平は、どこ吹く風です。
「それにストーリーもいいんだよね。パティシエ修行で、ほたるがベルギーに行く飛行機を待っているんだけど、そこに別れたはずのヤマトがかけつけるのよね。それで、夢を選ぶのか恋人を選ぶのか決めるんだけど」
――あそこのシーン、ほたるちゃんの表情が切なくって、とってもイイんだよね。見開きで悩んでる表情が見れて、あぁ、ほたるちゃん――
「それにあそこでバントじゃなくてヒッティングを選んでおけばなあ。バントするにはランナーの足が遅すぎるし、バントはピッチャーの真正面に行くし」
――うるさいな――
「ちょっと、ネタバレしちゃだめよ、わたしまだ読んでないんだから」
――ぼくは発売日当日に買ったもんね――
「助っ人のバレンタインもダブルプレーだし、だめだよなぁ。って、聞いてるのかよ、健介」
耕平が健介の肩をつかんで、ぐいぐいっとゆさぶりました。健介は思わずわっと声をあげてしまいました。
「おい、健介どうしたんだよ、お前話聞いてなかっただろ」
「あ、いや、ごめんよ耕平君。ちょっとぼーっとしちゃって。確かにネタバレはだめだよね」
「はぁ?」
首をかしげる耕平を無視して、健介はおそるおそる、会話をしていた女子たちを盗み見ました。どうやら気づかれなかったようです。健介は再び耳をそばだてました。
「でもそんなにいいかな、あれ。だってほたるって、なんていうか優柔不断っていうか、あっちにふらふらこっちにふらふら、そんな感じじゃない? シンジ君が出てくるとそっちになびいちゃうし、あのパティシエの先生ともいい感じになってるし、読んでるといらいらしてきちゃうわ。はっきりしろっていうかさ」
「あんたって、なんだか男子みたいなこというわね。ふらふらするのがいいんじゃないの。あーあ、ほたるみたいな恋愛してみたいなあ。うちのクラスの男子なんか、全然子どもっぽいっていうか、だめだめよね」
――ぼくもほたるちゃんみたいなかわいい女の子と恋愛できたら――
「あーあ、最後のエラーもめちゃくちゃだよな。全然プロっぽくないっていうか、だめだめだぜ」
耕平の声をなんとか耳から追い出そうと、健介はぎゅうっと目をつぶりました。
「おい、健介、大丈夫か? お前なんだかおかしいぞ」
なにか耕平がいっていますが、もうその声は聞こえてきませんでした。
「まあ、わたしにはどこがいいのかわかんないけど、でもあんたがいうように、あのマンガ、絵はすっごくかわいいよね」
その言葉に、健介はにこにこしながらうなずきました。そんな健介の額を、耕平がぴとっとさわりました。
「わっ、びっくりした、どうしたの耕平君」
「『どうしたの』はこっちのせりふだよ。さっきからぼーっとして、おれの話も上の空で聞いててさ。熱でもあるんじゃないのか?」
健介はぶんぶんっと首をふりました。
「ないよ、大丈夫だからさ。それに話もちゃんと聞いてたよ。昨日の日本代表のゴールが、すごかったって話だろ」
「いや、おれ、プロ野球の話してたんだけど」
耕平があきれ顔で健介を見ました。しかし、健介は耕平に気づかれないように、またも女子たちの会話に気を向けます。
「でもさ、ほたるの夕べって、男子にも人気あるって知ってる?」
「ああ、それ知ってる。ほたるちゃんがかわいいから、隠れファンが多いってことでしょ。ちょっとキモいって感じよね」
「ホントホント、男のくせに少女マンガ読むなって感じ」
健介の顔が真っ青になっていきます。思わず女子のほうへ顔を向けそうになりますが、それより先に耕平が、いすをがたっといわせて立ち上がりました。
「おいおいお前ら、今なんか男子がキモいとか、そんなこといってなかったか?」
「なによあんた、勝手に話に割りこんでこないでよね」
「そうよ、それともなに? もしかして耕平、あんた、ほたるの夕べの隠れファンなの?」
女子たちが、バカにしたように鼻で笑いました。
「なっ、ちげーよ、ただ、お前らがおれたち男子にケチつけようとしてたから、それで文句いおうと思っただけだよ」
「ホントかしら、ムキになって否定するところとか、絶対怪しいよ。あんた、隠れファンなんでしょ?」
「だから違うっていってるだろ! そんな少女マンガなんて、読む気にもならねえよ。な、健介!」
いきなり話をふられて、健介もつられて立ち上がってしまいました。ひじが机にあたって、はしっこにおいてあった筆箱が、ガラガッシャンと、派手な音を立てて床に落ちます。うしろの席で眠っていた女の子が、むくっと顔を上げました。
「ねえ、健介君はどっちなのよ? あんたも隠れファンなの?」
女子にせまられて、健介はしどろもどろになってしまいました。
「いってやれよ、健介! 少女マンガ読む男子なんていないんだって!」
「ぼくは、その、そんなの読まないよ……」
つぶやくようにいうと、健介はいすに座りなおし、がっくりと肩を落としました。そのとなりでで、耕平がガッツポーズしています。
「ほらどうだ、いったとおりだろ、だいたい男子が少女マンガなんて読むはずないんだ。へへっ、わかったか」
「なによ、耕平のくせに、生意気なこといって。そんなこといって、家に帰ったらこっそりほたるの夕べ読んだりするんでしょ。『ほたるちゃーん!』とかいってさ」
「だれがそんなの読むかってんだ。な、健介」
「うん……」
うしろでいすが動く音がしました。振りかえると、さっき眠っていた女の子が、教室の外へ出て行くのが見えました。教室のドアを閉める前に、女の子は切れ長の目で健介をじろりとにらみつけました。
「おー、こわ。あんまりうるさくするから、『眠り姫』の夢雨様がお怒りだ」
耕平が頭をぽりぽりかきながら、小声でつぶやきました。
――眠り姫? なんで夢雨が眠り姫なんだ――
女の子が出て行ったあとを、健介はしばらく見つめていました。




