花凛1‐3:
1‐60:
でも、コイツが池田綾子だという保証はどこにもない。あくまでも花凛の勘である。だけども……花凛は勝負に打って出た。
綾子の背後に立つ花凛はちょっと腰を折って前屈みになり、綾子の耳元に顔を近づけて、市乃の声色と口調を真似て小声で囁く。
花凛:『綾子様ぁー、綾子様ぁー』
すると……綾子とおぼしき女子は不意に耳元で声がしたことに焦ってビクッと背筋が伸び、慌ててエロマンガと教科書を開けたままテーブルに伏せる。
おぼしき女子:『市乃、遠宮花凛についての情報、入手できたのか?』
綾子とおぼしき女子は、発した言葉の内容からしても池田綾子本人に間違いないだろう。綾子は自分の背後に立ってる女子が長尾市乃だと思い込み。振り向いて姿を確認しようとはせず、そのまま小声で会話を続けた。
花凛:『綾子様ぁ、それがですねぇー……【大変な事態】になってしまいましてぇー……』
綾子:『【大変な事態】だと?いったい、何があった?』
花凛は綾子が自分のことを市乃だと勝手に思い込み、さらに会話が成立してるのが可笑しくて、吹き出すのを堪えてる。
花凛:『えーとですねぇ、綾子様ぁー……花凛様の身辺調査をしてるのが御本人にバレてしまいましてぇー……』
綾子:『何だと!?』
花凛:『それで、ですねぇー……花凛様御自ら綾子様と直接、話をしに行くとおっしゃられて、さきほど、ひとり部室を出られたよーなのですがぁー……』
1‐61:
綾子:『何だと!?遠宮花凛があたしを探しに行っただと!?』
綾子は暫し黙り込んだのち、無意識に親指の爪をガリガリ噛んでいた。その様子を見て花凛は綾子がそれに動揺してるのだと分かり、余計にからかってやろうと思った。
花凛:『もしかしたらぁー……もう、すでに綾子様のすぐ後ろにいらっしゃるかも知れませんよぉー?』
綾子:『…………っ!!!?』
綾子はこの言葉にビクッとした。そして……『もしかしたら、今、自分に話しかけてるのが長尾市乃ではなく遠宮花凛本人ではないか?』と思ったら、この上ない緊張感と焦りで心臓が一気にバクバクしてくる。
花凛:『どーしましたかぁー、綾子様ぁ?思いっきり表情が強張っちゃってますよぉー?』
綾子:『そっ……そんなことは……ない!』
基本、【内弁慶】な綾子には、今、後ろを振り返って確認する勇気がなかった。そして、それを後ろの花凛に見透かされないよーに顔を正面に固定したまま、どーにか平静を取り戻そうと努力する。それに対して花凛は、更なる大胆な一手を打とうとしていた。
花凛:『そんなこと……絶対にあるでしょ、綾子様ぁー?』
花凛は自分の顔を綾子の視界に入れようと、さらに体を前に乗り出してヌゥーっと顔を前に回り込ませる。そして、綾子の視界には花凛のツインテールのテールの黒髪が顔より早く映り込む。
1‐62:
綾子:『…………っ!!!?』
この時、綾子は人生の中でいちばん生きた心地のしない瞬間を味わう。
綾子:ー……と、と、遠宮花凛だ!!ー
綾子の視界に花凛のアップの顔が入った時、綾子はあまりの恐怖で声も出なければ体も固まったみたいにビクリとも動かず……。
綾子:ー……こ、殺されるぅー!!と、遠宮花凛に……ぜっ、絶対に殺されるぅー!!ー
全身から噴き出た冷や汗で濡れた肌を気持ち悪く思いながら、この時が1秒でも早く過ぎ去ることをただただ神に祈った。
花凛:『よっ、池田綾子。あたしが遠宮花凛だけど』
綾子:『………………』
綾子には花凛の話しかける小さな声も【死へのカウントダウン】のよーにしか聞こえなかった。綾子はおでこにも冷や汗をにじませた柴犬みたいな意外と可愛らしい顔に涙目を浮かべてどーにか頷いて答えてみせる。
花凛:『少し話があるんだけど……いいか?』
それに対して綾子は全身を強張らせたままコクリ、コクリと小さく頷く。
花凛:『心配するな。あたしはお前をブチ殺しに来たわけじゃないよ』
綾子:『…………』
さすがの花凛も綾子の様子がおかしいと気づいた。だから、まずは綾子の緊張を解こうと、自らが会話をリードして答えやすいネタを投げかける。
花凛:『つか、お前……さっきはどーして偉そうにしてた?せっかく可愛い顔してるのにもったいない……。【ナチュラルに】してた方が絶対にウケがいいと思うぞ』
1‐63:
これは花凛の本音だった。つか、花凛の中では『瀬尾十家の血をひく女=(イコール)何様気取りだ、お前?』って不快極まりない印象が幼少から強くあって……。だから花凛自身、【十家の娘】ってだけでどーしても身構えてしまう性分だったりもした。
ただ……恵依をはじめ、さっきの長尾市乃のおかげもあり、花凛の中ではそんな印象を『実物を判断してから考えるか?』って感じに修正がかかっており。だから花凛は、自身のことを裏でコソコソと探ってる綾子と【事を構える】前に、綾子の【人となり】を自身の目で確認して判断しようと思ったのだ。
花凛:『もしかしたら、お前……【恵依のために】そーいようと思ってるのか?だったら、それは【逆効果】になると思うから止めた方がいいぞ?』
花凛のこの言葉に、花凛自身は何の根拠もない。ただ……それは池田綾子という女子にはじめて触れ、少なすぎる情報と綾子のプロファイリングをもとにフッと出てきたものだった。
綾子:『お前に……何が分かる?』
綾子は花凛のこの言葉にイラッときた。と同時に全身を支配してた恐怖と緊張が一気に解け、長年抱き続けてた花凛への憎悪がフツフツと温度を上げ始めてく。
花凛:『何も分からないよ。だから、教えてくれないか、お前と恵依とのこと?』
でも、目の前の花凛は自分を敵視するよーな感じが窺えないのはもちろん、むしろ逆に自分に対して親身になってくれてるのでは?と疑いたくなるくらい友和な感じが漂ってた。
1‐64:
でも、綾子はすぐには応じれなかった。『恵依のことについてはお前の方が知ってるだろ?』って、変な嫉妬心が行く手を阻んだからだ。
花凛:『お前は恵依とは【幼なじみ】なんだろ?あたしにもさ、幼い時にひとつ屋根の下で一緒に生活してた【幼なじみ】がいるんでさ……。だからさ、今のお前の気持ち、ちょっとは分かるんだよ』
綾子:『…………』
花凛の言う【幼なじみ】とはもちろん瑠華のことだ。花凛だってもちろん、長らく会ってない瑠華のことを時おり考えたりはするが……。でも、花凛には綾子のよーに【嫉妬をする】という感情はなく……。つか、瑠華については【本家の跡取り】だからと自ら一線を引いて、あまり踏み込まないよーにしてる節すらあるが……。でも、それは花凛自身が無意識的に築いた【自身が傷つかないための防護壁】ではないかと思う時もあったりする。
花凛:ー嫉妬は苦しい……ー
その実、人とコミュニケーションを取るのが苦手な花凛は周りと上手いことやれる子たちに知らず嫉妬してる時がある。それは自身でも自覚してるところであり……ゆえに『嫉妬するより前に自身のやれることをしっかりやろう』と心がけ、メンタルを意図的にコントロールしてるのだった。そんな花凛は綾子を『自分とちょっと似てるところがあるかもしれない』と思ったのだ。
1‐65:
綾子:『……分かった。少しだけ……話をしよう』
綾子が持ってる【花凛の元情報】は【周りが絶賛してやまない完全無欠の美少女】だった。自身が内弁慶かつ天然系ポンコツキャラだと痛すぎるほどに自覚してる綾子は恵依と離れて池田の本家で修行してる時、稽古をつけてくれる【御師匠様】から花凛の話を何度か聞かされた。御師匠様の口から花凛の話が出てくるたびに綾子は羨ましくも妬ましくも思い……でも、どれだけ稽古をしてみても花凛にはまったく届く気がせず……。挙げ句は恵依が花凛の【お側付き】になったと聞かされて『遠宮花凛が全部悪い!』と、己の不出来さや無力さまでも花凛の所為にして稽古も何もかも放棄してしまい……。その所為で御屋形様の逆鱗に触れて中学卒業まで自宅に帰してもらえず……。んで今日まで、花凛に対する嫉妬と憎悪でどーにか自分を形成してた始末だった。
でも……実物の遠宮花凛を目の前にして綾子は『確かに完全無欠の美少女かも知れないけど……』と思いつつ『どこか弱いヤツなのかも知れない』とも思った。
綾子:ーコイツは……椎名家の【あのクソ生意気なムカつく女】よりも……本家の瑠華様に近い感じがするな……ー
綾子は花凛のイメージを自身が嫌ってる【十家筆頭の椎名家の菖蒲】に大きく寄せてたのだが……それを大きく修正することにした。
1‐66:
綾子は立ち上がって、開いたままテーブルに伏せてあった教科書と18禁の百合エロマンガを脇に抱えると、花凛に『外で話をしよう』と言って図書室を出る。そして二人は図書室の前の廊下をさらに西へ進んだ表の非常階段の踊り場に出た。昼行灯のよーな歴史研究部の部室や遮光レースで陽射しを和らげてた図書室とは違って、外は真っ青な空と夏に向かうかのよーな眩い陽射しが二人を包んだ。
花凛:『なあ……どーして直接、恵依に会いに行かないんだ?お互いに知らない仲じゃないんだし……その方が手っ取り早いだろーに……』
まずは花凛の方から切り出した。踊り場のコンクリート製の手すりに両肘を置いてそれに身を預ける花凛は眩い陽射しに目を細めながら、それでも青い空の彼方に視線を遣る。
綾子:『どーして?って言われてもなぁ……。何か……恵依と顔を合わせる勇気がなかったって言うか……』
綾子は花凛の隣に立って、手すりを背もたれ代わりにして頭上にある階段をぼんやり仰ぎ見る。つか、今の綾子はさっきまでの【偉そうな感じの】綾子ではなかった。素のままの、ナチュラルな綾子だった。『花凛にはこれでもいいか?』と思えたのだ。
綾子:『つか、お前はどーして強くいたいと思うんだ?』
1‐67:
綾子は『花凛は本家の瑠華に近い存在だな』って思った時から『でも……瑠華よりは弱いな』とも思った。
瀬尾家の行事で何度か瑠華とは面識を得て見知ってる綾子は、瑠華のことを【他には真似のできない、天上天下、唯我独尊、天真爛漫、天照大神みたいな姫様】だって印象を抱いてるが……。それに対して花凛は【無邪気な子どもっぽさが残る一方、品のいい少女らしさと静寂と混沌の闇を併せ持つ、繊細かつ脆弱な光を灯す月の姫様のよーだ】って印象を抱いたからだ。
花凛:『ホントのところは……どーなんだろーなぁ……?』
花凛にしてみたら【強くあること=(イコール)生き残ること】なのだが……。でも時おり、『そーまでして生き残る必要があたしにはあるんだろーか?』とも考えたりしてた。
綾子:『おい、おい!お前が露骨にそんな様じゃあー、【カタにハマりすぎ】だろーに?【ただの悲劇のヒロイン】ってだけじゃあ、面白みに欠けるだろー?』
花凛:『こっちこそ、おい、おいって言いたいよ!大体何なんだよ、あたしのこと、大して知りもしないで【ただの悲劇のヒロイン】だの【そんなんじゃ面白みに欠ける】だのって言いやがって!』
花凛は綾子が【自分とちょっと似てるヤツ】だと思って心を許したところで【思いもよらない言葉】が返ってきたことに露骨にイラッときた。
1‐68:
綾子はアッサリと感情的になってムキになった花凛を鼻で笑う。
綾子:『だって……お前は何もしなくったって【誰からも愛でてもらえる存在】じゃん?本家の瑠華様とか、恵依とか、黒御門のスーパーメイドさんとか、ウチの御師匠様とか、もちろん母親の花京様とか、それと本家の御当主様とか【瀬尾の隠密の御当主様】とか。それに比べて、あたしなんてさぁ……何をやっても上手いことできないし……んで、いっつも叱られてばっかりで……挙げ句は、どーゆー訳だか?完全無欠のお前と比べられる始末……。実物拝むまではマジ殺してやりたいほど憎んでたけどぉ……』
花凛:『…………』
花凛は清衛門のもとにやってきてからは【瀬尾十家や本家との交わりを一切断ってきた】から……まさか、自分のことが外で話のネタとして上がることがあるとは思ってもみなかった。そんな花凛は綾子の妬みに当てられて、当然、困惑するのだが……。
綾子:『でも……実物の遠宮花凛とこーして話ができる機会があってマジよかった!これで【恵依が花凛に惚れてる理由】があたしなりに理解できたしさぁ……』
花凛は綾子の言葉に『……ん?』と首を傾げた。市乃から聞いた綾子の心象だと【恵依にずいぶんと執着してる】感じだったし……。現に、市乃をわざわざ越境入学させてまで自分の身辺調査をさせてたぐらいなのだから……。でも、その割にはずいぶんとアッサリしてると思ったのだ。
1‐69:
花凛:『なあ……』
花凛はストレートに綾子に聞いた。『お前はあたしのところから無理やりにでも恵依を奪おうとしてるんじゃないか?』って。すると、綾子は『そりゃあ、とんでもない勘違いだな!』とゲラゲラ笑いだす。
綾子:『そんなこと、冗談でもやってみろ?あたしが恵依にブッ殺されちゃうよ!』
花凛:『………えっ?』
合点の行かない花凛に綾子は説明する。
綾子:『つか、花凛は……恵依について【とんでもない誤解】をしてるみたいだな?』
花凛:『……誤解?恵依について……あたしが?』
長らく一緒に生活して見てきてる自分が恵依について誤解をしてるよーには思えない。『不可解だな……』って表情をしてる花凛に綾子が言葉を注ぐ。
綾子:『まず……恵依はあたしのことなんて、どーせ今だって【妹か出来の悪い子分】ぐらいにしか思ってないんだって。それぐらいのこと、長らく会ってないあたしだって想像つくんだよねぇー』
花凛:『じゃあ……だったら、何で?』
綾子:『そう匂わせておいた方が【あたしが花凛に近づくのが早い】って思ったから』
花凛:『……えっ、あ、あたし!?』
綾子:『そう!あたしの目的は最初から遠宮花凛だよ!』
花凛は【思いもよらないネタ明かし】にビックリする。そんな花凛を見て、綾子はまたゲラゲラ笑う。
綾子:『つかつか、【猪突猛進でイケイケ狂暴女の】恵依が、自分の本性隠して【汐らしい女の子を演じて】まで一緒に居たがる遠宮花凛って生粋のお嬢様にずっと興味があってね……』
1‐70:
花凛:『恵依は……イケイケの狂暴女……なのか?あたしには全然、そんな風には見えないんだけど……』
花凛からしたら綾子の言う恵依のキャラはまったくの真逆だ。
綾子:『そりゃ、そーだろ?だって、【自分が惚れた女】に嫌われたくはないだろ?恵依はさ、昔っから【一度決めたら何があっても一直線!】って感じのヤツだったからさ……』
確かに……花凛には綾子の言葉に思い当たる節がある。恵依と清衛門の屋敷で共同生活をするにしたって、言い出したのは恵依の方だったし……。それに対して清衛門は『十家の娘をウチで面倒見るわけにはいかない!』と幾度となく断ったにもかかわらず、最終的に清衛門も恵依の両親も根負けして、それが叶い。さらには【人を簡単には信用できない】花凛の酷い扱いにもめげず直向きにコツコツとやり続けてきた恵依に花凛もよーやく心を開いて、結果【お側付き】にしたわけで……。過去を振り返れば、綾子の言ってることは存外、的の真ん中を射てたりしてる。
花凛:『つか……恵依は【あたしにホントに惚れてる】……のか?あたしは恵依のこと、今までそんな風に……思ってみたことがなかったんだけど……』
動揺して戸惑う花凛は『どーすればいい?』って感じの表情をしながら、綾子に助けを請うよーな感じで聞き直す。すると綾子は、そんな花凛の頼りない表情を覗き見てまたゲラゲラ笑いだす。
1‐71:
綾子:『別に……そんなに動揺しなくったっていいじゃん?【誰かが誰かを好きになる】ってよくある話だろ?【女だからって男を好きにならなきゃいけない】なんて決まりはないし……【女だから同性の女を好きになっちゃいけない】なんて決まりもないし……。まあ、【愛されキャラ】の花凛はそーゆーのに鈍そーだから気づかないんかも知れないけど……恵依はフツーに【ガチ】だと思うよ。そーじゃなかったら、住み込み生活までして花凛に尽くしてないって!』
花凛:『うーん……』
それを聞いて花凛は困惑した表情を浮かべて唸って俯いてしまった。
花凛:『あたしは……そんな恵依にどう応えてやればいいんだか……正直わからない……』
綾子は『花凛は【そーゆーの】に疎いヤツなんだな』って思いつつ、『もしかしたら、存外尽くすタイプの女なのかもな?』なんて勝手に分析して。でもでも、そんな真っ直ぐで純粋な花凛だからこそ、愛されて止まないんだろーなとも思い。そして、綾子自身もまた、そんな花凛が可愛すぎてハグしてあげたい気分になる。
綾子:『だったらさぁ……恵依を抱いてやったら?』
花凛:『…………へっ!!?』
それを聞いて花凛はビックリして、奇声にも似た甲高い声が思わず漏れ出た。俯いた顔をバッと上げ、顔中が一気に真っ赤になり、困り果てて涙目になる。
1‐72:
花凛:『いやいや……だ、だって……あたし……今まで1回もエッチしたこと……ないし……』
綾子:『そりゃあ、恵依だってそーだろ?小学の時から花凛と一緒に住んでるんだし。お互い【初めて同士】なんだから別にいいじゃん?』
花凛:『でも……』
真っ赤な顔の涙目で困り果ててる花凛は助けを求める感じで綾子の方に体ごと向ける。綾子はそんな花凛がまたまた可愛くて……思わず花凛をギュッと抱きしめた。つか、抱き止めてあげたくて仕方なかったのだ。
花凛:『……!!?』
綾子:『つかさぁ、エッチするしないはともかく……【自分のこころのまま】を恵依に表現すればいいんじゃないか?花凛は花凛だし……』
花凛:『う、うん……』
綾子にそう言われて花凛は、綾子の背中に手を回して真っ赤になった顔を綾子の頬にくっつけてギュッと抱きつく。
花凛:『でも……恥ずかしい……』
それは今の綾子も同じだった。つか、綾子は目の前の【少女みたいな】花凛に魅入られて、どんどん心を引き寄せられてる気がしてならなかった。
綾子:ー花凛が大人になったら……花京様やウチの御師匠様みたいになっちゃうんかなぁ?できれば、大人になっても今の花凛のまんまがいいなぁ……ー
綾子は顔をくっつけてる花凛の頭をしばらく優しく撫でてやる。
綾子:『つか……あたしだって恥ずいよ』
そして、そう言ったあと花凛の体をゆっくり離して。
1‐73:
綾子:『まあ、そんなわけでさ……』
綾子は自分でも何を言ってるか?意味が分からなかったが……。『とりあえず、これ以上はヤバイ』って思えて……花凛のもとから立ち去ろうとする。すると花凛はそんな綾子の手を掴まえて行かせまいとする。
花凛:『な、なあ、綾子……恵依には会わなくていいのか?』
花凛はどーしてだろ?綾子に行ってほしくなくって……どーにか繋ぎ止めようと話を戻して続ける。
花凛:『今度の土曜日、市乃と南條がウチに来るんだけどさ……。何だったら、綾子も一緒に来たらどーだ?』
すると綾子は……花凛の話を聞いてたんだか?聞いてなかったんだか?しばらく黙ってたのち、何かを思い出したみたいに手をポンッと叩いて花凛に言う。
綾子:『何だったらさぁ、あたしも【花凛のお側付き】にしてくれない?恵依も【お側付き】だし……。んで、あたしも花凛の【お側付き】になったら色々と世話ないし』
綾子からの突然の申し出に花凛は一瞬、困った顔をする。でも、次の瞬間には迷いも躊躇いもなく冷静に頭を巡らせてた。
花凛:『あたしは構わないけど……。つか、綾子は【跡取り】だったりしないのか?池田の御当主様や綾子の両親はそのこと、ちゃんと了解してくれるのか?』
綾子:『確かにあたしは【池田家の跡取り】だけどぉ……別に問題ないと思うよ。つか、逆に【あたしが本家の花凛様のお側付きになるんだよ】って聞いたら、ウチのばあちゃんも親も御師匠様も大喜びしちゃうよ!』
1‐74:
花凛:『そーか……わかった。なら……』
花凛はスカートのポケットからスマホを取り出して、綾子の目の前でさっそく電話をする。
花凛:『もしもし、瑠依子か?あたしだけど……』
そして、電話の向こうの瑠依子にその旨を伝えると……瑠依子は『ずいぶん性急な話ですね?』と、いつもの花凛らしくない花凛を制しにかかろうと思ったが……。
瑠依子:『お嬢様がそうおっしゃるのでしたら、速やかに遂行します。その旨、池田の御屋形様と本家の御当主様に打診して……。それで御当主様から了解の旨の返答をいただいたのちに綾子様を迎え入れる準備を始めたいと思いますが……それで宜しいですか?』
花凛:『ああ、それで頼む』
瑠依子:『分かりました。では、早速』
そこで電話はピシャリ終わった。いや、正確には終わりにしたのだ。電話の向こうの瑠依子は花凛との会話中に【それで起こりえるかも知れない様々な危険】を弾き出しながらも、花凛の力量と成長の可能性に賭けた。それは自らの人生を花凛に捧げて終生、付き添う瑠依子ならではの思考の在り方だった。
瑠依子:ーでも、この案件……取りかかる前に奥様(花京)のお耳に入れておいた方がいいですね?お嬢様は恵依様を【お側付き】にしてる実績があるから、綾子様を【お側付き】に迎え入れるのには大した問題は生じないとは思いますが……ー
1‐75:
そーして……綾子の【お側付き】の件は瑠依子から花凛の母親である花京に伝わり……。
花京:『そーでありますか……わかったのであります。この件はあたくしが動くのであります。なので瑠依子はいつもどーり花凛ちゃんのお世話をお願いするのであります』
そして、この件は花京が動いたことで二日も待たずにアッサリと了解の打診が本家の御当主よりもたらされ、さらに久々に家に帰ってきた花京からの口から花凛たちに報告された。
でも……それに何よりビックリしたのは他でもない恵依だった。
恵依:『つか……何で急に綾子が花凛たんの【お側付き】に……?』
恵依は今まで見たことない驚き様を花凛たちに見せてた。それを見て花凛は恵依にはちょっと気まずくて……恵依と視線を合わせないように下を向いたり横を向いたり、ビミョーに落ち着きがなかった。
花京:『綾子ちゃんの方から花凛ちゃんにお願いしたのだとか……。そーでありますよね、花凛ちゃん?』
そんなところへ母親の花京が花凛に話を振ってきた。もちろん、瑠依子以外の恵依と紗世は【寝耳に水】のことだったし……ましてや、市乃を使って自分のことを嗅ぎ回ってた綾子をどーして【お側付き】にしたんだか?……恵依と紗世には花凛の行動がまったくもって理解できなかった。
花凛:『あ、ああ……うん……。そ、そのぉ……綾子は話してみたら意外と……いいヤツだったし……。そ、それに……恵依とは【幼なじみ】だろ?だから……』
1‐76:
花凛の言葉に恵依は露骨にムスッとする。花凛の言い訳が【いかにも恵依のためだから】と言わんばっかりだったからだ。
恵依:『【花凛たんのお側付きになった】今のあたしにとって、綾子のことなんてどーでもいい!』
恵依のここまでの激怒の様を花凛をはじめ、瑠依子や紗世も見たことがなかった。
恵依:『もしかして……花凛たんは【あたしじゃ不満だ】って、遠回しに言いたいのか?』
花凛は『それはマジ違うからっ!』と、明確な意思表示をすべく首を何度も横に振る。でも……恵依の怒りはまったく収まらない。
恵依:『それとも、何か?あたしは今の綾子を知らないけど……【あたしより綾子の方が自分好みだから】とかって言いたいのか?』
これにも花凛は首を何度も横に振って否定の意思表示をしてみせる。
恵依:『じゃあ、どーゆー考えがあって【初見の綾子をいきなりお側付きにした】んだか?……あたしや紗世が納得できる説明をしてもらおーか?』
恵依は花凛がチヤホヤされて簡単に舞い上がっちゃうよーなキャラではないことを十分に承知してたし……そんな単純に綾子の言いなりになるよーなキャラでもないことも承知していた。そーなると……恵依的には『花凛が綾子のことを信に足る人物だと、感覚的に判断した』ことになり……。さらに、自分や紗世に相談もなしにそれを一人で決断したってことは『自分らが綾子が【お側付き】になることを拒否するかも知れない』っていう危険を確実に排除して実行するためだと考えられるからだ。
1‐77:
端から見るからに花凛は明らかに【押されて】追いつめられていた。恵依の鋭い勘働きが存外、的を得ていたからだ。
花静:『【お側付き】の身の上が終生の忠誠を誓う御主人様を追いつめてどーするのでありますかっ!?貴女は花凛お嬢様に心底からの信を置けないのですかっ!?そんな些細なことで自分の主の信が揺らぐなど……それこそ【お側付き】として失格です!恥を知りなさい!』
花京が見守る姿勢を崩さないと判断した【花京の専属メイドで瓜二つの見た目を持つ】花静が花凛に助け舟を出す。
花静:『花凛お嬢様は心優しき御方です!おそらくは池田家の綾子お嬢様の真心からの懇願を御慈悲で聞き入れた形であったのでありましょう。それにより池田家に対する心証も良くなり、かつ、日々、精勤してる貴女の心的負担も僅かながら軽減できると考えてのこと。それぐらいのこと、汲み取れなくて花凛お嬢様の【お側付き】が勤まりますかっ!?』
恵依は花静の言のすべてには納得がいかなかったものの……でも、自分が綾子のことを【第二の瑠華のよーな存在になり得るかも知れない】という危険性にイラついてたのは事実であった。
1‐78:
恵依:『分かりました……。僅かでも花凛たんのことを疑ったのは事実ですし、【この程度のことで】取り乱してしまったのは【あたしの未熟さのせい】です。己の至らなさをこの場で謝ります』
恵依は花凛に深々と頭を下げて詫び入る。そんな恵依の姿を見て、花凛は余計に気まずかった。
花凛:『いや……謝るのはあたしの方だ。済まなかった』
花凛は居たたまれず、椅子から腰を上げて恵依に頭を下げた。
花凛:『つか……仮にもし、恵依に綾子の話を持ち込んだなら、恵依は間違いなく拒否るだろーなって思ってさ……。それだと、綾子も可哀想かなって思ってさ……』
恵依:『…………』
花凛の言うとーり、恵依はそんな話を持ち込まれたら、その瞬間、拒否するだろーと思った。恵依にしてみたら、瑠華に限らず【花凛に近づく女な皆、自分の敵】なのだ。綾子が幼き日の【幼なじみ】にせよ、花凛をターゲットにしてきてる以上、恵依的には迂闊に心許せないのだ。それが醜い嫉妬だと言われよーとも一向に構わなかった。瑠華以外の女のことまで構ってられるほど、恵依には心のゆとりがなかったのだ。
花凛:『綾子は言ってた……長らく離れてたって恵依は自分のことを妹か子分程度にしか見ないんだろって。でも、アイツはそーだと分かってたって恵依を追いかけてココまでやってきた。だから、あたしは……』
1‐79:
恵依は【普段の花凛】が主導権を握ってグイグイ引っ張るよーなキャラではないことはもちろん分かってた。分かってたゆえに……【内に秘めてる】花凛の感情を引き出したかった。瑠華と同様、【自分も特別な存在だ】って花凛に示してほしかった。
恵依:『あたしは花凛たんのことを信じてるけど……。でも、花凛たんはあたしのこと、ホントに信じてるのか?前にも言ったけど……あたしは何があっても花凛たんのもとから離れるつもりはないよ?』
花凛にとって、こーゆー時の恵依の存在はズシリと重く感じられたのかも知れない。そして、その重さが花凛を息苦しくしてたのかも知れない。
花凛:『……ああ、分かってるよ』
それでも花凛は恵依のことが嫌いってわけではなかった。ただ……花凛は恵依にとって【自身の存在が重苦しいものでありたくない】と思っており、最大限の許容をもって接しようと努力してたのである。
花京:『もし、花凛ちゃんのこと、許せなくなったら……首を絞めて殺しちゃってもいいのでありますよ?母親のあたしが許可するのであります』
花凛:『……えっ!?』
花京は二人のやりとりを楽しそうに俯瞰するよーに眺めながら、【冗談にも聞こえないシメの一言】をブチ込んできた。これには花凛以上に恵依の方がビックリした。
花京:『殺してやりたいほど憎く、それでも誰よりも愛でて止まないのなら……それは致し方のないことなのであります。愛する側、愛される側、双方に同じ覚悟が要るってことなのであります』
1‐80:
それを聞いて花凛は俯いてしまった。自分は誇大妄想にも似た世迷い言を真顔で堂々と吐けるほど【誰かを心から一途に愛したことのない子ども】だと思って気恥ずかしくなったのだ。
花凛:ーそーゆー言い方をされたら……まるであたしが【浮気者】みたいじゃないかよっ!?ー
でも、恵依は花凛とは違った。花京にニコリと笑い、晴れやかな面持ちで言葉を返す。
恵依:『叔母様、あたしは大丈夫ですよ。殺してやりたいほど憎いなんて……今も昔も、これからもずっと続くのだし。そんな程度で花凛たんを殺しちゃうだなんて……そんなんじゃあ、花凛たんの【終生のお側付き】は勤まりませんから』
瑠依子:『あたしも恵依様の意見に同感です。お嬢様は御自身で思ってらっしゃるほど【愛され乙女】ですから。そんなことにいちいち一喜一憂して振り回されては、コッチが先に焼き切れてしまいます。ですもの、超合金級の心を持った可愛いげない女に自身が望んでなくても勝手になってしまいますよ』
花凛は【ここぞとばかりに】援護射撃を撃ち込んできた瑠依子を思わず睨んだが……瑠依子はプイッとソッポを向いてしまった。瑠依子にしてみたら、瑠華はもとより恵依だって【邪魔な存在】なのだ。そこへ来て綾子まで加えてくる……メイドとしての自分以前に【一個人としての】自分は当然、許せることではなかった。
1‐81:
つか、恵依にしても瑠依子にしても【遠慮なしに】花凛に物申してるにはわけがあって……。花京がいる時だけ花凛は普段の強い花凛じゃなくて【子どもっぽい顔をしてる】花凛に様変わりするからだ。そして今回の花京の【帰宅】は今までにないぐらい長い時間の滞在だと分かってるから……そりゃあ、【ここぞとばかりに】なるのである。
花凛は心底から『コンニャロー……』と、恵依と瑠依子を恨めしく思った。そんな【大人げない】娘の花凛を花京は頭を撫でながら宥める。
花京:『こーゆー憎まれ口を受け止めるのもまた、メイドを持つ者、お側付きを持つ者の務めなのであります。でも、そのお務めがあること自体、花凛ちゃんは自身が果報者であると感謝をしなくてはいけませんよ?誰彼皆、平等に愛してもらえるわけではないのでありますから』
花凛はムッとしながら花京の言葉を聞いてたが……でも、その言葉が決して間違ってるものではないことは分かってた。
花凛:ーつか……つか……ー
でも、『どーしてあたしなんだよっ!?』って反発したい時があるものの……。でもでも、【今ある形が崩壊してしまう】ことが誰よりも怖かった。
花凛:『……ったく!』
花凛はこれ以上、この場に居合わせたくなくて……母親の花京の手を引っ張って風呂場に消えてしまった。それを見た花静をはじめ、恵依や瑠依子、紗世は思わずホッコリする。花京が帰ってきてる時だけは花凛には子どもに還って素直に甘えてほしかったのだ。
1‐82:
さて、母親の花京の手を引っ張って風呂場に逃げてきた花凛だったが……。花凛は恵依と一緒に風呂に入るのは何ともないのだが……それが母親の花京だと、どーも緊張してしまうと言うか、恥ずかしいと言うかで、目の前で裸を晒すのですら躊躇う始末だった。
【母娘水入らず】……それが花凛には苦手だった。年に指折ってしか居合わせない花京と【いったい、どーすればいいんだ?】と言った感じの花凛は、最近、よーやく【母娘らしくなってきた】って感じで……。それ以前は口ひとつ聞こうともしなかったのだ。花凛的には【大した進歩】だと、自分で自分を誉めてやりたいって言ったところだが……。
花京:『花凛ちゃん……あたくしが脱がしてあげるのであります』
当の母親の花京はそんな花凛の胸中なんて知る気もなく……。勝手に【娘は内気な子なんだな】って思い込んでる節があり……要らぬ世話を勝手に焼こうとする。
花凛:『別にいいって!服ぐらい……自分で脱げるし!あんたが思ってるほど、あたしは子どもじゃないんだからっ!』
娘の目の前でガサツに服を脱ぎ捨て素っ裸になった花京を見て、花凛はますます自分の裸を晒すのが嫌になった。
花凛:ーどーしてコイツは胸デカイし、筋肉質の割には女っぽい体つきをしてるのに……。どーしてあたしは貧乳で、クビレもあんまりなくてガリガリで、オマケにお尻もちっちゃくて……。はぁー、マジ自分の体が嫌だわー……ー
1‐83:
花凛は【幼児体形の延長】みたいな女っ気のない自分の体つきにコンプレックスを抱いてた。
花凛:ーつか……今回は自分の方から【地雷、踏んじゃった】なぁ……。恵依や瑠依子からの追求を逃れるためとはいえ、娘のあたしと【必要以上にベタベタしたがる】コイツと一緒の風呂に入るだなんて……ある意味、自殺行為だわー
オマケに花京は【そんなこと、お構いなし】に抱きついてきたり、胸や尻を揉んできたり、気にしてるところを平気でズバズバ言ってくる。
花凛:ーあたしだって、好きで【ガリの貧乳】やってるわけじゃないんだよ、……たくっ!喰ったって太りもしないし、自分でおっぱいとお尻を揉んでみたって、まったく育たないし……。コッチはフツーの女の子っぽい体つきになりたいってのに……ー
さらに花京の大人の女っぽい体を目の前で晒されて、変に気恥ずかしくなる。花京の大人の女の裸と醸し出してる色っぽさや艶やかさにドキドキもするし……。また、同じ女として憧れもするし……。娘の花凛にとって母親の花京は【色んな意味で手も足もでない】存在なのだ。
こんなシチュエーションの時は毎度のことではあるが……花凛は卑屈な性根で花京の目の前で服を脱いで素っ裸を晒す。
花京:『花凛ちゃんは相変わらず【スレンダー】なのでありますね。羨ましいのであります』
1‐84:
花凛:ー何が【スレンダー】だよっ!?【色気のないガリガリ幼児体形】だってハッキリ言えよっ!?ー
花凛は露骨にイラついてる態度を見せながらツインテールをほどいて、肩甲骨の下ぐらいまである長い髪を下ろし。苛立ち紛らわせに右手でバサッと後ろ髪を一度靡かせたあと、花京の言葉をスルーして早足でスタスタと浴室に消えていった。
花京:『あっ!?花凛ちゃん、あたくしを置いてかないでほしいのであります!』
そして、花京も花凛のあとを急ぎ足で追いかけていった。
遠宮家の浴室は壁面全部をガラス張りにして庭を一望できる露天風呂仕様になっていて、浴槽は6畳ほどの広さの総石畳造り。湯は瀬尾十家の池田家の本家が所有する温泉の源泉をローリーで定期的に運搬して入れ替えして、濾過機能付きの循環給湯システムで24時間いつでも沸かしたての湯槽に入れるよーになっている。そんな【こだわり自宅風呂】になってるのは亡き清衛門が大のお風呂好きであったからで……花凛もまた、清衛門の影響で最低限、朝と晩は必ず湯槽に浸からないと気が済まない大のお風呂好きであった。そして、幼少から花凛を妊娠するまでの時間を遠宮家で過ごした花京もまた、大のお風呂好きであった。
ちなみに……花京が【帰宅】した際は母娘で一緒に風呂に入ろうと言い出したのは花京自身で。年に数回しか接することができない実の娘とコミュニケーションを取るのに【お肌とお肌のふれあい】が手っ取り早いと考えたからである。
1‐85:
花京【帰宅】の際は、毎度気恥ずかしい思いをしながらも、でも、一度だって拒んだことのない花凛は、一緒のお風呂の時だけは【子ども】に還れる感じがして……何だかんだ言う割には好きだったりした。
それに、花京は36歳という年齢の割には顔も肌も20代半ばぐらいにしか見えず、オマケにスタイルも良く、美人。娘の花凛にとっては【自慢の母親】だったりもした。
ただ、花京は年齢の割には【精神年齢がとんでもなく幼い】っていう難点があったりもするが……。
いつもなら、この二人が風呂に入ってしばらくすると、花京が花凛に【ちょっかい】を出しはじめ……。『ギャアー!!』っていう花凛の大きな悲鳴のあと、『何しやがるんだ、この変態エロババアーっ!!』っていう外にまで聞こえる怒鳴り声を皮切りに浴室内は湯が壁面や床に思いっきりぶつかる音やらで一気に騒々(そうぞう)しくなり。その声に慌てて駆けつけて不用意に浴室の扉を開けた時には『バシャーン!』と飛び火的に湯をかけられる始末だったが……。でも、今日はいつになく穏やかかつ静かで……扉の外で中の様子を窺うべく聞き耳を立ててる瑠依子や恵依や紗世は『どーしたんだろ?』って逆に心配になった。
それもそのはず。花京はいつものよーに花凛に【ちょっかい】を出してるのだが……当の花凛がいつもみたいに乗ってこない。花凛は重そうで深刻げな表情を崩さないまま、口を真一文字に結んで少しうつ向き加減に揺れる湯に視線をやってた。
1‐86:
こんな花凛に花京も『おや?』と思った。【ちょっかい】を止めて、花凛の隣に身を寄せて、その横顔を窺いながら聞いた。
花京:『どーしたのでありますか、花凛ちゃん?』
すると、花凛は隣の花京にその表情を向けて重そうに口を開く。
花凛:『なあ……。あたしは【ホントの親父殿】とはいつ、会えるんだ?今もドコかで生きてるんだろ?』
その言葉に花京は一瞬、動揺したが……。でも、次の瞬間には【いつもどーりの】花京の表情に戻ってた。花京は娘の花凛がどーゆー経緯から【伏せてある事実】 にたどり着いたのか?気になるところではあったが……ここに至っては詮索は無用だと悟った。花凛はある程度のことを把握したうえで自分にこのことを聞いてるのだと察したのだ。
花京はひとり娘の花凛が複雑な瞳の色をしてるのを不憫に思った。そして、その元凶の一端に自分が大きく関与してることに自身を責めずにはいられなかった。それでも花京は【いつもどーりの】自分を装う。どれだけ自身を責めてみたって花凛の過去を変えられないこと、心を深く傷つけ寂しさと孤独を抱かせたことには変わりないのだから……。
花京:『花凛ちゃんの言うとーり、清吉さんは今もちゃんと生きてるのであります。【然るべき時】が来たら、その時は……清吉さんは父親として花凛ちゃんの前に姿を現すのであります』
1‐87:
花凛:『ふーん、そっか……。なら、いいや』
市乃から聞いた話が【極秘のもの】であることは花凛も重々承知している。その当事者のひとりである母親の花京にはホントなら色々と聞きたいところなのだが……花凛は敢えて父親のことだけを聞くことにした。今の自分には物心つく以前のことはまったく記憶にないのだが……もしかしたら、まだ赤子だった自分を抱いてくれてたのかもしれないホントの父親が今もちゃんと生きてるって花京の口から知れただけでも花凛は嬉しすぎて感極まって泣き出してしまいそうだった。
花京:『清吉さんも娘の花凛ちゃんに【堂々と】会いたかったと思うのであります』
花凛:『……ん?』
花凛は今、花京の言った言葉に違和感を感じた。
花凛:ーもしかして……【ウサギのおじさん】があたしのホントの親父殿だったのか……?ー
そして、その違和感は花凛の過去の記憶にある違和感とリンクさせる。花凛が思い出した【ウサギのおじさん】とは、命を狙われていた幼少期に何度か命を助けてくれた【可愛らしい白ウサギのお面をつけた、めちゃくちゃ強くて、007みたく高そうなスーツを着た、カッコいい雰囲気を醸してたおじさん】のことである。そして花凛は遠宮家に引っ越してきたあとも何度か【ウサギのおじさん】を見かけてる。
花京:『今度会う時は……【白ウサギのお面】はつけてないのであります』
花凛:ーやっぱり、そーか……ー
1‐88:
花京の言葉を聞いて、花凛はもう一度、【ウサギのおじさん】に会いたいと素直に願った。そーしたら、目頭が急に熱くなって……涙がボロボロとこぼれ落ちてきた。花凛はそれにすぐさま気づいて、花京に気取られぬよう右手で慌てて涙を拭う。けども花京はそんな花凛の機微に気づかないわけがなく……そっと抱き寄せて頭を撫でて慰める。
花京:『【至らない母親】のせいで……ホントに申し訳ないのであります』
この時、花凛は【自らの心の弱さ】をひどく憎んだ。普段は母親の花京にずいぶんな憎まれ口を叩いてる花凛だったが……まさか、娘の自分に詫びるよーな言葉を吐くとは思ってもみなかったのだ。花凛にとって花京は【母親であると同時に、いつかは越えねばならない巨大な壁のよーな存在】であったから……その花京が娘に自らの弱さを晒すのは、花凛的にはショックで嫌だった。
花凛:『別に……あんたのせいじゃないだろ?ひとりの力じゃあ、どーにもならない現実だってあるだろーし……』
花京:『確かに……そーでありますね。己の無力さ、非力さをすくずく痛感させられるのであります』
花凛:『あたしなんか……あんたと比べたら、もっと無力だし非力だよ。あんたに限らず、瑠依子や恵依、清衛門爺や紗世、それに瑠華……みんながいてくれたことに感謝してるよ。もし、あたしひとりだったら……今ごろはどーなってたんだか……』
1‐89:
扉の向こうで花凛母娘の様子を窺ってた恵依たちだが……。
瑠依子:『これ以上は野暮です、引き上げましょう』
扉の向こう側では何やらかを話してる風は窺えるが……。それ以上のことは分かり得ないと判断した瑠依子は小声で恵依にそう促して、自らは真っ先に踵を返してリビングへ戻っていってしまった。
そして、恵依もまた瑠依子の見解には同感であり……。
恵依:ー昨日の今日だもんな……。花凛たん的には色々と受け止められないこともあったろーな……ー
紗世の肩をポンッと叩いて、瑠依子の後を追うよーにリビングに戻っていった。
紗世:『…………』
けども……紗世だけはしばらくひとり残ってた。
紗世:ーあの様子だと……瑠依子様も花京様の今回の長期帰宅の理由を知らないと見えますね……ー
そして、扉の前でしゃがみこんで、ひとり考え事に耽ってた。
紗世:ーつか、花凛様が市乃様から過去の話を窺い知って……。そーしたら次は綾子様の方からいきなり【お側つき】の話を持ち込まれて、それをアッサリ了解されてしまって……。そーしたら、今度は花京様の長期帰宅……。今まで花凛様の身の回りは【こーも忙しくなかった】のに……これはホントに偶然なのでしょーか?ー
紗世は花京がこのタイミングで帰宅した理由を『花凛や瑠依子では処理しきれない厄介事を花京が処理するために帰ってきたんじゃないか?』と直感で思ってた。
1‐90:
紗世:ーそーなると……次は瑠華様あたりかなぁ?瑠依子様の話によれば……ここんとこの瑠華様は、瀬尾の本家を抜け出してSPに捕縛されるなんて騒ぎを何回か起こしてるらしいし……。もしかしたら瑠華様、花凛様と一緒にいたくて【そんなこと】やってるよーな気がするし……。もし、それが間違って成功して瑠華様がこの家までやってきちゃったら……【瑠華様を保護するそれなりの存在】が無くちゃ、本家のSPに強制的に連れ戻されちゃうと思うし……。それを阻止するために花京様がウチに長期帰宅してるって考えたら……ー
紗世はどれぐらいの時間、考え事に耽ってたのだろーか?
花凛:『おい、紗世……お前、こんなとこに座り込んで何、やってるんだ?』
浴室の引き扉がガラリと開いて……と同時に、湯上がりの花凛の声にハッとしてビックリした紗世は四つん這いでものすごい速さで後ろへと下がってく。
花凛:『おい、紗世?』
紗世:『……あっ、はい、花凛様!』
紗世は不思議そーに自分を見つめる花凛に怪しまれまいと、四つん這いの状態からその場で慌てて立ち上がり……メイドらしく花凛と花京に深く頭を下げて一礼する。
紗世:『きょ、今日は……あたくしめが瑠依子様や恵依お嬢様に代わって御二人の着替えの支度を……』
そう言って紗世はバタバタと走って二人分のバスタオルとヘアバンドを用意して、まずは花凛から体を拭き始める。
1‐91:
紗世:ーふぅ~……。あたしがここにいるの、変に怪しまれてなくてよかったぁ~…ー
花凛をアッサリとかわした紗世だったけれども……。でも、花京には見透かされていたよーだった。紗世は花凛の着替えまでを済ませると、次に花京の着替えの手伝いをしよーと傍まで歩み寄った。すると花京は『お願いするのであります』と紗世に丁寧に頼むのだが……終始ニコニコしてる。
紗世:ーこれは……もしかして……ー
紗世は花京の絶やさぬ笑みに嫌な予感がしてならず……。
花京:『変な心配はしなくてもよいのでありますよ?そーゆーのは【大人の役目】でありますから……。あなたはいつもと変わらず花凛ちゃんや恵依ちゃんに仕えてくれればよいのであります』
案の定、花京の言葉には【それっぽい主語】はなかったけれども……。でも、おそらくは【自分が憂いてるところを確実に見透かされてる】と紗世は思った。
紗世:『……あっ、はい、奥様!』
花京:『紗世ちゃん、あたくしの方は大丈夫ですから……花凛ちゃんの髪を乾かしてやってほしいのであります』
花京にそう言われ、紗世は申し訳なさそーに花京に一礼をしたのち、ドレッサーに座って待つ花凛のもとへ踵を返した。
紗世:ーでも、まあ……確かに奥様の言うとーりだよねぇ……。ここは奥様に甘えてすべてを委ねますか?ー
でも……この日の紗世の予感は後日、見事に的中する。だが、それは紗世の予感を大きく上回った【瀬尾家の一大事】にも匹敵する出来事で……。この時、居合わせた紗世は改めて遠宮花京という人物の凄さに感服するのだった。




