「私」と『私』
私はいわゆる二重人格だ。
私の中にもう1人私がいる。
私が二重人格になったきっかけは子どもの頃にある。
その当時私は特に理由もなかったが虐待を受けていた。
殴られ、蹴られ、時に熱湯をかけられ…
「お前なんて」
「お前さえいなければ」
「お前のせいで」
それでも何も知らない私は自分のせいだと思っていた。虐待を受けるのは私がいい子じゃないからだと。
そして、いつしか私は私の中にもう1人の私を創り出していた。
もう1人の私は言った。
『本当はわかっているんでしょう?私は悪くない。悪いのはあいつらだって』
「でも、お父さんとお母さんだもん」
『だから何?だから何だっていうの?それが私が虐待を受けていい理由になるの?』
「でも…」
『でもじゃないわ。もう私は耐えられない。代わりなさい。身体を寄越しなさい。私が全部やってあげるわ』
「ダメだよ。そんなこと…」
『話にならないわね…なんであなたの方が身体を持っているのか。神を恨むわ』
もう1人の私は聡明だった。聡明で、暴力的だったが、逆に私は物分りが悪く、平和的だった。
そして、ある時私の身体がもう1人の私に代わった瞬間があった。
その時とは、私が殺されそうになった時だ。
いつも通り親が帰ってきて、そして殴られた。
いつものように私は何も言わず、ただなされるがままにされていたけれど、その日は一際機嫌が悪かった様で、遂には私の首を絞めはじめた。
今でも鮮明に思い出すことが出来るのは、その時の両親の目はとても人間がするような目ではなくて、なにかに取り憑かれているようで狂気に満ち溢れていたという事。
「ごめんなさい」
ひたすらそう言っていたそんな私に向かって両親は
「虫酸が走る」
「お前のせいで全てが台無しだ」
なんて言っていた。
そして、私はもう1人の私に身体の所有権が代わったのだけど、そこからのもう1人の私は残忍極まりなかった。
まず近くにあった灰皿を手に取り、首を絞めていた父親の頭を全力で殴った。
そして父親の手が離れた瞬間立ち上がり、動揺して動きが止まった母親を同じように殴った。
そして倒れている父親をまた殴った。何度も。何度も何度も何度も。
「男に起きてこられるとさすがに厄介だから、先に殺すのよ。いいわね?徹底的にやるのよ。わかった?」
そう私に語りかけながら灰皿が割れるまで殴り続けた。
次に台所から包丁を持ってきて、母親を刺した。何度も、何度も何度も何度も何度も。
「女はなんとかなるから後でもいいわ。あぁ、でも殺れるなら先に殺ってもいいわよ。最低限気絶まで持ち込めればいいわ。けれど、やっぱりやるなら徹底的にね。殺し損ねると女の方が厄介だから。わかった?」
そうして影も形もなくなるまで刺し続けた。
そうしてもう1人の私は血の装飾がなされた部屋の中で返り血の赤を纏って立ち、笑いながら言った。
「ね?簡単でしょう?」
そしてもう1人の私はドアに手をかけ、アパートの廊下に出て隣の部屋に向かい、いきなりドアを開けてこう挨拶した。
「ごきげんよう。申し訳ありませんが、少し手伝って頂けますか?色々後始末が残っていまして」
そこからしばらくの記憶は私にはない。
次に目覚めた時は、病院のベッドの上だった。
その時には既に私に身体は戻っていた。
看護師や医師が騒ぎ立て、そして警察がやってきて話したのだが、なんでも私は家に強盗が入り、その中で1人生き残ったということになっているらしかった。
もう1人の私はその時
『やるなら徹底的に。言ったでしょ?』
と言った。
今までの虐待の跡は仮初の強盗犯に付けられたということになっているらしい。
その仮初の強盗犯は仮初であることを誰にも知られることなく、記憶の中で風化していくのだけど。
そして程なくして私は退院した。
そしてしばらくぶりに学校に行った。
そして、いつしかいじめられるようになった。
この時
「やっぱり私はこういう運命なのかなぁ」
なんて言っていた。
『運命?くだらないわね』
もう1人の私はそう切り捨てた。
「運命はあるよ。だって私はまた…」
『運命なんかじゃないわ。あなたが悪いのよ。いえ…あなたよりも、周りの奴らが悪いのよ。あなたも少しは悪いわ。でもそれと比べ物にならないぐらいに周りの奴らは悪いわ』
「周りの人達は悪くないよ…」
『いいえ。あなたの悪い癖よ。全て自分が悪いと思い込むのは』
「そう、なのかな」
『ええ、そうよ。あなたは優し過ぎるもの』
私ともう1人の私は、時に喧嘩をしながらも互いを理解し合っていた関係だった。
そうして、またその時は訪れた。
私をいじめていたグループのトップが遂に金属バットを持ち出してきた時、今度こそ死を覚悟した。
しかし、そこでまた私の身体はもう1人の私に代わった。
「2回も殺されかけるなんて、よくある事じゃないわよ」
もう1人の私は強かった。
「いい?正当防衛にしたいなら先に何発か食らっておくのよ。受け身はしっかりね」
私も知らないようなことをもう1人の私は知っていた。
「集団を相手にする時にはまず頭を潰すといいのよ。今回は相手が金属バットなんてものを持っているし、それを拝借しましょう」
言った通りに、まず相手の集団のリーダーの股間を蹴り上げ、落とした金属バットを奪い取って容赦なくその金属バットで頭を殴る。
この時私は両親を殺した時のことを思い出した。
『あぁ…あの時もこんな感じだったかな…』
「覚えているならわかっているわよね?」
『やるなら徹底的に?』
「正解よ」
動かなくなるまで殴った。
その間周りの人たちは何もしてこなかったし、できなかったんだろう。
みんなただただ立ちつくしていただけだった。
「さて、次はどうしようかしら」
もう1人の私がそう言いながら残りの5人を次の獲物を見定める捕食者の様な鋭い瞳で眺め見た瞬間みんな我に戻り、まるで圧倒的な力を持つ捕食者を目前にした非力な被捕食者のように悲鳴をあげながら一斉に逃げ出した。
「5人を今から追うのは厳しいわね」
『徹底的に…じゃなかったの?』
「そうね。徹底的にやるわ」
そう言ってもう1人の私は自分の頭を金属バットで殴ったところで、また意識は途切れた。
私はまたベッドの上で目覚めた。
前回と同じように看護師と医師が騒ぎ立て、警察がやってきたのだが、警察によると、今回の事は過剰防衛にあたるらしい。
『過剰防衛…失敗したわね。やり過ぎたかしら』
裁判では、弁護士さんがいてくれたおかげで刑は少し、軽くなった。
『刑務所ね…ごめんなさい、今回は私がしくじったせいね』
「ううん、あなたは悪くないよ」
『…あなたは優しい。優し過ぎるのよ』
そうして、刑務所の中で3年を間過ごした。
刑務所を出た後、しばらくは平和な平凡な生活を過ごしていた。
そう。しばらくは。
あの時、殺し損ねた5人のうち1人が復讐だとか言って私のところにくるまでは。
「お…お前のせいで!」
「お前があの時あんなことしなけりゃ…!」
「私の…せい?」
「そうだ!お前のせいだ!お前のせいで俺は…俺の人生は!」
「私の…せい…」
「殺してやる!ああああああああああああ!」
「…殺らなきゃ殺られるなら殺るしかないよね。徹底的に」
ふと気がつくと、脚元に赤が広がっていた。
かつてみたドス黒い赤。
その赤は紛れもなく血の赤。
自分の手の中にある赤黒く染まったレンガ片。
そして自分の体に付いた返り血。
そうして気づいた。私はこの人を殺したのだと。
もう1人の私がやってきたように徹底的に。
何度も何度も何度も殴ったせいだろうか、頭が頭の形をしていない。
ああ、今まで通りだ。今まで見た景色と同じように徹底的にやられた後の死体と、その死体から流れ出た血が作る血の海の上に紅に染まった私は立っていた。
もう1人の私ではなく、私として。
そして、私の頭の中は紅く染まり、火花が散り、閃光を放った時、私の中で何かが切れた。
私をどこかに繋いでいた物が切れたせいで私はどこかに投げ出されて、どうすることも出来なくなった。
そして私は一つの結論へと辿りついた。
「私は甘え過ぎた」
『あなたは優し過ぎた』
「私は現実を見ていなかった」
『あなたは優し過ぎただけ』
「私はあなたに頼りすぎた」
『あなたは悪くないわ』
「ねぇ…私は、私?」
『あなたはあなたよ』
「あなたは…私?」
『そうよ。私はあなたよ』
「じゃあ、「私」は最後まで『私』でなきゃいけないね」
『…『私』は「私」だもの』
「やるなら徹底的に。最後の後処理まで。自分の後処理まで。そうでしょ?『私』」
『ええ…そうね、「私」』
「優しいね、『私』は」
「ありがとう、『私』」
そこで「私」の人生は終わりを告げた。
そして、『私』の人生が始まりの鐘の音をあげた。
「結局、あなたを助けられなかったのね…」
「やるなら徹底的に、なんて」
「あなたを助けられないなら意味なんてなかったのよ…」
「けれど、あなたが死を選ぶなら私に止めることなんて出来なかった…出来るわけないの…」
「私は優しくなんてない…甘いだけなのよ…」
「ねぇ、私はどこで間違えたのかしら…」
「私はあなたといたかった…あなたを守りたかった。それだけだったのに私はそれすら出来ない…」
「私はどうすればよかったの…どうすれば、あなたを守れたの…」
「答えてよ…『私』…」
「一体私はどうすればよかったのよ…!」