23話 王と呼ばれる魔獣 ―1―
山を踏み抜こうとするかのような重々しい足音が山林の中にこだまする。
怒り狂ったような荒々しい鼻息が聞こえてくる。
「傷を負って怒りに我を忘れている様子」
「八つ当たりだろ、それ!?」
キティの分析は正しいのだろうが、納得のいかない理不尽なものだ。
だが、理屈などどうでもいい。アレがここまでたどり着けば……毒素にやられた三人を連れて逃げきることは不可能。
しかし、この三人を見捨てていくこともまた、俺たちには出来ない。
なら、どうするか――
そんなもんは決まっている。
「アミュー。お前たちは患者を連れて早く下山するんだ」
「アキタカさんは!?」
「ヤツを引きつける!」
俺はもはや愛機となった『ファラウェイ・スマート』に足をかける。
ロックを解除してタイヤカバーをオープンにする。
「危険過ぎます!」
「大丈夫だ。『ファラウェイ・スマート』なら、あのカバ王の突進からも逃げきれる」
「山道ですよ!?」
「それ以外に方法はないだろう!?」
「でも……っ!」
「マーサ! アミューを頼む!」
「う、……うん」
「アキタカさん!」
引き留めようとするアミューから目を逸らし、『ファラウェイ・スマート』の電源を入れる。
カバ王はもうすぐそこまで迫ってきていた。
「キティ。すまんがみんなを頼むぞ」
「…………武運を」
そんな泣きそうな顔で言うなよ。
祈っていてくれればいいから。
『ファラウェイ・スマート』に乗り、体を傾ける。
静かなモーター音と共に俺の体がゆっくりと前進する。
「じゃあ、麓で会おう!」
言い残して、発進する。
こちらへ向かって突進してくるカバ王へ向かって突進していく。突進し返す!
「そんなに喰いたきゃ、追いついてみろ、カバ王!」
「ブボォォオオオ!」
接近してから、挑発するように目の前でわざとスラロームをしてやる。
左右に機体を振り、カバ王の視線をこちらへ向けさせる。
だが、野生の獣はやはりしたたかで、逃げ足の遅い方を選んで獲物と判断するようだ。
カバ王がアミューたちの方へと視線を向ける。
させるかよ!
カバ王の前に回り込んで急旋回――わざと砂埃を上げるようにタイヤで地面を抉り取る。
「ブボゥ!?」
砂利が顔面にかかり、カバ王は不快そうな声を上げる。
デカい顔を振り、そしてこちらを睨みつける。
そうだ。俺を見ろ!
近くで見ると恐ろしいほどにデカい。
こんなバケモノに狙われるなんて、悪夢以外の何物でもないが……俺の勝利条件はアミューたちが無事に下山することだ。
注意を引きつけて逃げきるくらいなら、俺にだって可能だ。
膝が震えるが、『ファラウェイ・スマート』に乗っていれば問題なく移動出来る。
さぁ、カバ王。
お前が好きそうな言葉をくれてやろう!
「ボクの顔を食べなよ!」
「ブボォォオオオオオッ!」
俺の言葉を聞いて、カバ王が完全に狙いを俺に定めた。
体の向きを変え、足を踏みならして、こちらへ突進してくる。
高速後退、旋回、前進!
後ろを振り返り、カバ王が追いかけてきていることを確認しながら俺は逃げ始める。
時折地面を抉るように蛇行して砂利と泥を跳ね上げる。
追ってくるカバ王の顔にこれでもかと浴びせかけるために。
「ブボォオオオオオ!」
怒りに我を忘れ、カバ王の目が真っ赤に染まる。
完全に俺しか見えていないようだ。
こうなれば、あとはひたすら逃げ回るだけだ。
アミューたちから遠ざかるように山を登っていく。
分かってはいたが、山道は凄まじいまでの悪路だった。
でこぼこした地面に、積もり重なった枯れ葉、雑草。そこに倒木や折れた枝、デカい岩なんかの障害物が目白押しだ。
そんな悪路を懸命に駆ける。
離れ過ぎず、けれど絶対に捕まらない速度で。
一瞬でも気を抜けば転倒してしまいそうだ。……それはそのまま、俺の人生の終了を意味する。
「俺も、美味しい顔パンマンみたいに空を飛べればよかったのにな」
そんな軽口を叩いていないと、恐怖で叫びそうだった。
俺を狙う肉食の獰猛な獣が追いかけ回してくるのだ。それも、トラックみたいなサイズのバケモノが、トラックみたいな速度で。
ぶつかって死んじまったら、また別の異世界に転生でもしてしまいそうだな。
時速にすれば60キロくらいは出ているだろう。
女神コンボでパワーアップしていなければ『ファラウェイ・スマート』でも逃げきれなかったところだ。
膝を使い、アップダウンの激しいでこぼこの道を減速することなく走る。
気分はモーグルの選手だな。ジャンプこそしないが――
「ぅおあっ!?」
――とか思っていたら、道が急に途切れて『ファラウェイ・スマート』が宙に浮いた。
数秒間滑空した後、衝撃と共に着地。
激しく左右に揺さぶられるが、膝のクッションを最大限駆使してなんとか耐える。
転倒すれば、死ぬっ。
「死ねるもんかよ!」
大きく体が傾き、地面がすぐそこまで迫ってくる。
カカトを返し、足首をひねって、土煙を巻き上げつつドリフトする。右手を地面に添え、ギリギリのところで乗り切った。
手元に落ちていた長い棒を、なんとなく拾ってみた。
軽く、脆そうな枝。
小学生が拾って振り回しそうな、貧弱な枯れ枝。
到底武器にはならない。
なのに、手に持っているだけで不思議と勇気が出てきた。
人間は、何かを握っていると落ち着くらしい。
振り返ると、俺が落下してきたらしい崖が目に入った。
1メートルほどの落差。
よく転ばなかったものだと、今さらながらに思う。
そしてその崖から、巨大な魔獣が飛び出してくる。
カバ王が俺を追って崖からジャンプしてきた。
空飛ぶ大カバ。
飛ばねぇカバは、ただのカバだ――とでも言いたげな堂々としたフライングスタイル。
「飛んでも所詮、カバはカバだよ!」
着地のタイミングを見計らい、カバ王の顔に目掛けて枯れ枝を投げつける。
「ブボォッ!?」
枝は都合よくカバ王の目に当たり、巨大なカバがもんどり打つ。
そばにあった木が、巨体に押し潰されて倒れる。へし折られる。根っこから押し倒される。
こいつ、改めてとんでもねぇ……
「ブボォォオオオオオ! ボォオオオオァアアアアアアアア!」
怒髪天を衝く。
怒り心頭に発したカバ王が獰猛な声を上げる。
聞くだけで寿命がすり減りそうな恐ろしい咆哮。
俺の脳裏には、とある定型文が3D映像でくっきりと浮かび上がっていた。
三十六計逃げるに如かず!
ダッシュ!
全力ダッシュ!
もうここまで来たら、きっとカバ王は俺しか狙わない。
振りきるくらいの気持ちで、全速力で『ファラウェイ・スマート』を走らせる。
ぐんぐんと周りの木々が後方へと吹き飛んでいく――そんな感覚になりそうなほどの疾走感。
悪路による衝撃は加速によりどんどん大きくなっていくが、そこはそれ、オフロード用に開発されたオートバランス機構がうまく俺をアシストしてくれる。
さすがにこれだけの速度を出せば振りきれ……
「ブボォォオオオオオオオッ!」
きっちり追いついてきてる!?
しかも、ちょっと距離詰まってない!?
あいつの最高時速は何キロなんだよ!?
生身の生物が出せる速度じゃないだろう!?
筋力もスタミナも、まさにバケモノ級のキング――カバ王。
これはさすがに誤算だった。
ここまでのバケモノだとは思わなかった。
転倒すれば死。
転倒しなくても……追いつかれて…………死?
『ファラウェイ・スマート』はぐんぐん山を登っていく。
どれくらいの標高があるのかは分からないが、微かに霧のようなものが立ちこめてくる。
もや?
いや、雲……か?
と、思ったら滝だった。
遠くから水の音が聞こえる。
そこからの水蒸気が冷やされて霧のようになっているらしい。
視界が悪くなる。
転倒のリスクが跳ね上がる。
しかし速度を緩めるわけにはいかない。
すぐ後ろからは獰猛なカバ王が迫っているのだ。
この霧を隠れ蓑に、どこかで息を潜めていた方がいいんじゃないだろうかと、そんな考えがよぎった……が、その直後にもっと別の考えがよぎった。
上書きだ。
塗り潰されたのだ。
俺の目の前に広がるその光景を目にした瞬間に。
……これは賭けだ。
だが、うまくいけば完全にカバ王を撒くことが出来る。
逆に言えば、その賭けに出なければ、いつまでたってもカバ王からは逃れられない。
下手をすれば、麓までついてきてしまって、関係のない場所へ被害が及んでしまうかもしれない。
ならば――




