15話 女神の魔法 ―4―
「悪かったな、服」
「へ?」
アミューの服には、俺の血液がべったりと付着している。
どす黒く変色し、がさがさに固まっている。あの有り様じゃ、きっと洗濯しても取れないだろう。
服もさることながら、上着なんか酷いもんだ。
元の布の色が分からないくらいに赤黒く染まりごわごわになっている。
二度と袖を通すことは不可能だろう。
「今度さ、服、買いに行こうな」
金なんかほとんど持っていないが、弁償するべきだろう。
あまり高いのは買えないけれど。
「それまでは俺の服を代わりに……」
「あ、それでしたら大丈夫ですよ」
俺の血でくしゃくしゃになった上着を胸に抱き、右手を真っ直ぐ天に向かって伸ばす。
そして、天にいる女神にも届きそうなくらいによく通る透き通った声で叫ぶ。
「『女神の清浄』!」
言った瞬間、アミューの全身を白く眩い光が包み込む。
その上から浮き輪状の水の塊が、アミューの体を撫でるように上から下へとゆっくり降りていく。
時間にして、およそ二十秒。
「ほら、綺麗さっぱりです」
白い光から出てきたアミューは、汚れ一つないぴっかぴかの衣服を纏い、まるでお風呂上がりかのようなさっぱり感でそこに立っていた。
「女神たる者、常に清潔でいなければカッコが付きませんからね」
「…………魔法、なの、か?」
「はい。わたしが使える数少ない女神魔法の一つです」
そっかそっか。
女神魔法、アミューも使えるんだ。
俺はてっきりそういうの使えないのかと思ってたよ。
でも、だったらさ――
「そんなん覚えてる暇があったら回復魔法覚えろやぁっ!?」
「ひゅむっ!? だ、だって! 汗臭い女神とか、泥まみれの女神とか、顔面生クリームの女神とか、カッコ悪いじゃないですか!?」
「どこのバラエティ番組に影響されたんだ、お前は!?」
いつどこで顔面に生クリームを喰らうんだよ!?
「実は、わたしは人間の体を得るために、女神の力に様々な制限をかけているんです。端的に言うとバージョンダウンさせているんです」
「そこまでは想像通りだよ」
「なので、覚えられる女神魔法も限られていますので、何はなくとも清潔感を優先させようとっ」
「そこからが想像外だな!?」
なんで魔獣が跋扈するような世界で命がけの冒険に出るのに清潔さが最優先なんだよ!?
いのちだいじに!
これ鉄則!
「女の子は、オシャレに命がけなんです!」
「オシャレのせいで命を落としかねない状況だって理解しろよ!」
「じゃあアキタカさんは、わたしが汗臭くてもいいんですか!? はっ!? 臭フェチですか!?」
「違うわ!」
誰が女子の汗の臭いに興奮するか!
「あんたたちって、相変わらずそんな感じなのね。よくそれで無事だったこと」
呆れたように……いや、もう見るからに呆れ返って、マーサが肩をすくめる。
メガネを持ち上げ、両目の間、鼻の付け根付近を軽く揉む。
なんだよ、めまいか? そんなに脱力するのか、俺たちのやりとりは?
「そういえば、マーサさんはなぜここへ?」
「あんたたちが診療所出て行ってから一向に戻ってこないからでしょう! どれだけ心配したか」
えっと……戻るとは言っていないはず、なのだが?
「しかも、砦から来た患者さんが、『あの二人ならヴァンガード村に向かったぞ』とか言うしさ! ヴァンガード村って、ここ最近毒素に覆われて封鎖された村じゃない! なんであんなところ行くのよ! ……って、心配だったの!」
「ヴァンガード村のことも知ってたのか」
「当たり前でしょう!? あたし、医者よ? 毒にやられて運び込まれてきた人もたくさんいるんだから!」
ヴァンガード村での対応は、毒素にやられた者を毒素から遠ざけて新鮮な空気を吸わせるというものだ。
俺たちと一緒にいた御者も、今ではすっかり回復している。
なんか、苦い薬草を飲まされたとか言っていたが、それも回復の一助になっていたのだろう。
だが、村の関係者じゃない者や、村人に発見してもらえなかった者たちはマーサの診療所に駆け込んだのだろう。そこしか頼れる場所はないからな。
「あたし、あんたらは絶対毒にやられて動けなくなってるんだって思って……だってあんたたち鈍くさいんだもん! だから様子を見に来てあげたのよ」
「それはまた……迷惑をかけたみたいだな」
「迷惑より心配よ、かけられたのは! ……まったく、手紙の一つも寄越しなさいよね」
いやいや。
日本郵政が大活躍しているわけでもない世界で、手紙なんかそうそう出せないだろう。
誰に渡せばいいのかすら、俺は知らねぇぞ。ポストもないし。
「でも、来てよかったわ。まさか、こんな一大事に遭遇するとは思ってなかったけどね」
「本当に、ありがとうございました。マーサさんがいなければどうなっていたか」
「ホントよ! でも、無事でよかった」
マーサが、傷口があった場所を軽く小突く。
「感謝しなさいよ、偶然が重なって起きたこの奇跡に」
不安を覚えて診療所を出てきたマーサ。
そのタイミングで深手を負った俺。
どちらかのタイミングが少しでもズレていれば、俺はきっと助からなかっただろう。
すげぇ偶然が重なり、俺は一命を取り留めた。
それはもはや、奇跡と呼べる代物なのではないだろうか。
もしかしたら。
アミューの願いが、届いたのかもしれないな。
もう一人のアミュー――女神に。
「改めて、ありがとうな、みんな」
「えへへ……」
「うん。感謝しなさい」
「心配をかけるのは、もうダメ」
「がぉ」
生きている。
俺は今、確かに、確実に生きている。
その実感が、今さらながらに湧き上がってきた。
感謝しよう、素直に。
女神の奇跡に。
「こほん! と、とにかくさ、あんたたちだけじゃ心配で、居ても立っても居られないっていうの? おかげであたしも医療ミス連発しちゃうしさ」
「いや、すんなよ」
「うっさいな! とにかく! とにかくね! ……あたしが一緒にいてあげるわよ」
「は?」
「だって、またさっきみたいな怪我するかもしれないでしょ! あたしがいた方が安心でしょ!?」
「いや、でも、診療所は?」
「ミィツがいるから平気よ」
「誰だよ!?」
「あたしの従姉妹。薬の知識もあるし、ちょっと人付き合いが苦手だから医者にはなれなかったんだけど、知識はあるからナースと協力すれば診療所は回るわ!」
いや、そんな人に押しつけて大丈夫なのかよ。
……つか、ミィツってことは、ミィツ・コモリか? その人はセンセイとは呼ばれてないはずだけどな……あくまで日本では。でんぐり返しは得意だったみたいだけど。
「あたしがいれば、あんたたちも安心出来るでしょ」
「でも、マーサさん……」
「なによ、アミュー。遠慮することなんかないんだって」
「いえ、薬さえいただければ別にマーサさんがいなくても」
「泣くけど、い~い!? そーゆーこと言うとガチ泣きするけれど、それでもいいの!?」
「あぁ、いえ! そういう意味ではなくて……いい意味で!」
「いい意味で用なしとか、あるかぁー!」
……アミュー。
お前は人の心を抉るのが本当にうまいよな。
尊敬は絶対しないけど。
「いるもん! 意地でも一緒にいるもん!」
マーサが拗ね始めてしまった。
こりゃテコでも動かない雰囲気だ。
マジで大丈夫なんだろうか、診療所……
「ニャーミックスも持ってきたし!」
「って、おい!?」
これ見よがしにニャーミックスを掲げてみせるマーサ。
お前、それ持ってきちゃダメだろ!?
「それがなきゃ、薬作れなくなるだろうが!」
「平気よ。…………四日四晩寝ずに薬作りまくったから……」
どんだけ一緒にいたかったんだよ、俺らと。
言われてみれば物凄ぇクマ出来てるな、目の下に。
「あの、アキタカさん……」
「あぁ、分かってる。ニャーミックスの持ち出しは後々困ることになるよな」
「いえ、そうではなくて…………ここまで必死な人と絡むのは若干面倒くさいな、と」
「言葉選んでやれな!? また泣くぞ、あいつ」
え、なに。
お前ってもしかしてスキルの中に【毒攻撃】とか持ってる系?
毒のブレス吐きまくりじゃん。
「……追い返すとか言ったら、薬の中に二つだけ毒薬を紛れ込ませとく……」
「なんか怖いこと呟いたぞ、こいつ!?」
目がマジだ。
こいつはマジでやらかす気だ!?
そしておそらく、サスーンポーションと瓜二つの、素人目には一切判別出来ない毒薬を用意する気なんだ!
「分かった……一緒にいてくれると、旅も安全になるだろうしな」
「さすがアキタカ! 話が分かるわね!」
いや、分かったのは『話』じゃなくて『身の危険』なんだけどな。
何をすれば死ぬかくらい、俺にだって分かる。
まぁ、とりあえずそんなわけで、マーサが仲間に加わった……ってこと、らしい。
アミューもキティも何も言わないし……うん。たぶんそういうことになったんだと思う。
あぁ、俺は抗わないさ。
……怒らしちゃいけない人には逆らわない。
俺が社会人として学んだ大切なことの一つだからな。




