15話 女神の魔法 ―2―
「アミュー。心配かけて悪かったな」
「……アキタカさん」
顔を上げ、泣き腫らした目で俺を見るアミュー。
その大きな瞳に、精一杯の笑顔を向けて言葉を送る。
「もう大丈夫だか……」
「臭っ!?」
両腕を「ぴーんっ!」と伸ばして、懐いていない飼い犬を無理矢理抱っこしようとした時のような拒否感で、アミューが俺から顔を逸らす。
「だから言ったじゃない。この薬を使うと臭くなるって。聞いてなかったの、アミュー?」
「患部じゃないんですか!?」
「ううん。息。っていうか、口?」
「沼ですよ!? 沼を丸々一個一気飲みしたみたいな臭いしますよ!?」
「まぁ、効いてる証拠だから、それ。ほら、『良薬は鼻に臭し』って言うしね」
「言わないですよ!? 初耳です! いや、初鼻ですっ!」
いや、うん。
変な言葉生み出してんじゃねぇよとか、いろいろ言いたいことはあるんだが……
口臭いとか言われたら、もう何も言えねぇよ!
結構ショックデカいからな、口臭指摘!?
そそっと、アミューから離れ、体の向きを変える。
「はぅ!? アキタカさんが地味にショックを受けてらっしゃる!?」
「いいんだ……いいから、こっち来んな」
「あ、あの! 違うんです! いきなりで驚いただけで……そ、そうです! わたし、ザリガニ釣り好きでしたし、沼の臭いはノスタルジーです!」
「……フォローになってねぇよ…………くすん」
「泣かないでくださぁい! アキタカさぁん!」
アミューが、さっきとはまったく異なる涙を浮かべる。
ふふ……泣きたいのはこっちだ。つか、ちょっと泣いてるしね。
「そんな言い方は、アキタカが可哀想」
背後にキティの気配を感じる。
そっと俺の隣へ来てしゃがみ、そして俺の顔を真っ直ぐ覗き込んでくる。
「私は、全然平気。アキタカを拒絶したりしない」
そんな優しい言葉を、――ネコ面の向こう側から言ってくる。
「毒素扱いかっ!?」
「違う。これは私のチャームポイント。アキタカのそれは被害妄想。……こーほー」
「これまでしてなかった酸素ボンベ的な音鳴らしちゃってんじゃん!?」
もういい!
お前らなんぞ知らん!
俺はこの先一人で生きていく!
山奥でひっそりと隠居生活してやる!
「大丈夫よ。その沼臭は一時的なものだから」
「沼臭って名前付けるほどありふれた事象なら、さっさと対策立てろよ! サスーンポーション‐ペパーミント味‐とか開発しろよ!」
「ダメよ。その沼臭がしなくなったら、薬が全身に行き渡ったって証拠だから。完治すると臭いはなくなるわ」
マーサが俺の前に屈み、そっと顔を近付け……鼻を摘まむ。
「……うん。もうちょっとだね」
「お前、今の一動作で俺の心『ざっくー!』抉られたからな!?」
「大丈夫大丈夫。みんなこんな臭いしてるから。アキタカだけじゃないって」
「みんな一緒だから平気なんて強固なメンタル持ち合わせちゃいねぇんだよ、こっちは!」
癒しだ!
癒やしが必要だ!
そうだ、ぽんちゃん!
「ぽんちゃん! ぽんちゃんだけは俺の味方だよな!?」
「…………がぉ」
すーーーーーーーっげぇ遠くにいる!?
そんな臭いですか、俺の息!?
「違う。あれは、反省」
キティがネコ面を外してぽんちゃんを睨む。
……すげぇ怖い目で。
…………え?
なんだよ?
「ちょ……キティ?」
「魔獣を仕留められないばかりか、生死の確認もせずにアキタカの命を危険にさらした」
キティの顔には、感情と呼べそうなものは、どこにも見当たらなかった。ただただ冷たく、ぞっとするような無表情でぽんちゃんを睨みつけている。
「……アレは、神獣失格。野へ還ればいい」
「ちょっと待てって!」
立ち上がり、キティとぽんちゃんの間に体を割り込ませる。
キティの視界からぽんちゃんが見えなくなるように。
いや、キティの方がデカいから難しいんだけど、それでもなんとか視界を遮る。
「俺を心配してくれたのは嬉しいが、ぽんちゃんをそこまで責める必要はないって」
「魔獣をここへ連れてこずに放置しておけば、魔獣はやがて死に、誰にも被害は及ばなかった」
「いやいやいや! もしかしたら復活して、また胞子とか吐き出しまくったかもしれないだろう?」
「そうなれば、サンバライダーが再び駆除する。アキタカの命を危険にさらすことはない」
「いや、そうじゃなくて……!」
キティがぶち切れている。
神獣を信仰する民でありながら、……いや、もしかしたら神獣を信仰する民だからこそなのかもしれない、神獣の失態を許せないのは。
「私たちの一族は、生涯をすべて捧げて神獣様を崇め奉っている。それが、人間に危害を及ぼす者であってはいけない。人間に害をなす獣は神獣ではなく、魔獣と言う」
キティの声には一切の感情が含まれていない。
淡々と、当然そうであるべきである事実を述べているに過ぎない――そんな口調だ。
けど……
「ぽんちゃんはまだ子供なんだ。いきなり何もかもうまくいくわけないだろう?」
「子供だから人を殺しました……なんて、通用しない」
「だから、俺を傷付けたのは魔獣だろ? ぽんちゃんじゃない」
「でも、この場所に連れてきた」
くぅ……どう言や分かってくれるんだ。
「あのな、ネコってのは狩りをした後に獲物を飼い主の元に持ってくる習性があるんだ。だから、あれは本能で、しょうがないことなんだよ」
「習性……本能?」
「あぁ。それだけ俺たちに懐いてくれてるってことさ」
「でもアキタカさん。ネコが獲物を持ってくるのって『お前は狩りも出来ないんだろう、ほら、こうやるんだぞ』って、自分よりも格下の相手に手本を見せているんだって聞いたことがありますよ」
「うん……ちょっと黙ってようか、アミュー」
いいじゃねぇか、懐いてるってことで。
なにも格下認定されてるとか、そんなことは知らなくてもさぁ、な? 分かるよな? な?
「今回はたまたまあぁいうことになったが、これでぽんちゃんも学習したし、二度はない。俺はそれでいいと思う」
「人の命は二つない。……私はさっき…………アキタカが死んでしまうと、本気で………………怖かった」
「キティ……」
人は感情をうまくコントロール出来ない生き物だ。
恐怖が激しい怒りに変わってしまうなんてことはよくある。自分の心を平静に保つために、抑圧から解放されるとその反動で極端な方向へ感情が振り切れてしまうのだ。
キティは、それだけ心配してくれたということなのだ。
俺は、もうそれだけで十分だ。怒りなんか、必要ないんだよ。
「ありがとうな、キティ」
そっと、キティの頭に手を載せる。
変な意味は一切なく、ただ、感情がささくれ立っている一人の少女の心を落ち着かせるために、ゆっくりと遺伝だという白い髪を撫でる。
接客のために読んだ人間心理の本に、人は人の体温を感じると心が落ち着くと書いてあった。
頑なに心を閉ざし耳を塞いでいる相手を説得するためには、体温を感じさせるとうまくいく確率が上がる。
例えば、ケンカした彼女と仲直りするなら雨の日に一本の傘に入って話をするといいとか、営業先の人間とは会ってすぐに握手を交わし体温を感じさせておくと話がうまく運ぶとか、そういう事例があるようだ。
なので、俺もキティへ自分の体温を伝える。
俺のために怒ってくれたキティの小さな頭をゆっくり撫でる。
「キティもぽんちゃんも、俺にとってはどっちも大切な存在なんだ。仲直りしてやってくれないかな?」
「…………でも、アキタカを傷付けた……」
「俺は、そうは思ってねぇよ」
「…………アキタカが、許すなら………………いい」
「そうか。ありがとな」
耳を真っ赤に染め俯くキティ。
やはり褒められたり礼を言われたりってのは恥ずかしいみたいだな。俺もこれくらいの歳のころはそうだったからよく分かる。
「あの、アキタカ……」
「ん?」
俯くキティの顔を覗き込む。
感情を刺激しないように、そっと。優しく。
「……まだちょっと、沼臭い」
ほっほ~う。
俺を傷付けたぽんちゃんを許せないと言ったその口で俺を傷付けますかぁ!
むしろお前のその言葉の方がぽんちゃん以上に俺を傷付けているからね!?
心の傷って、完治するのに時間かかるんだよ!?
まぁ、俺は大人だからそーゆーこと口にしないけどさ!
「アキタカは…………やっぱり、他の大人とは……ちょっと、違う」
囁くような声で言って、キティが俺から体を離す。
その顔は、微かに笑っているように見えた。
無表情な娘だと思っていたのだが、意外と表情豊かな娘なのかもしれないな、本来は。
もっといろんなことを学べば、キティは変わるだろう。
そうだな、例えば……『許し』とかをな。
「ぽんちゃん。――おいで」
「がぉっ!」
腰を屈め両腕を広げて呼ぶと、ぽんちゃんは全力で疾走し、俺の胸へと飛び込んできた。
大人である俺が、キティに『許し』の手本を見せてやる。
そして何より。
「がぉ~、がぉ~! あぉぉお~!」
こんなに心を痛めていたぽんちゃんを救ってやらなきゃな。
甘えたようにノドを鳴らし、頭をぐりんぐりんとこすりつけてくる。
くりくりの瞳に涙が浮かんでいる。
やっぱり、こいつは全部を理解してるんだな。人間の感情も。自分のしでかしたことの意味も。
「次は気を付けような」
「がぉ!」
吠えながら、……前足で鼻を塞ぎやがった。
うん。完っ全に理解してんだな、お前は。よぉく分かったよ。
でも俺、今『許し』の実演中だし。全然怒らないけどね! 全然ね!
……なんて、冗談が言い合える仲ってのは得難い貴重なものだもんな。良しとしよう。
「がぉ~! あぉ~!」
抑圧されていた感情をぶつけるように、ぽんちゃんは盛大に甘えてくる。
まだまだ子供だもんな、ぽんちゃんは。
本来なら、親獅子が教えることがたくさんあるのだろう。
けどぽんちゃんの親は、もういない。
なら、俺がいろいろ教えてやらなきゃいけないのだ。きっと。
ほら、あれだ。もうここまできたら俺らが親代わりっつうか、飼い主みたいなもんだからな。
ペットの躾は飼い主の責任だ。




