15話 女神の魔法 ―1―
魔王の使者ヤミを追い払った後、完全に油断していた俺は魔獣に腹を貫かれた。
体が重く感じられ、抗うことも出来ずに地面へと倒れ伏す。
「アキタカさん!?」
「アキタカっ!」
あ……ヤバい……ここまで散々ツッコミまくってたから、HPが…………
仰向けに地面に倒れると、目の前に、最後の悪あがきをしたらしい体長5センチの羽付きキノコが落下してきた。びくびくと痙攣し、十数秒後、動かなくなった。
魔獣の生命力は、俺が思っている以上に凄まじいものだったらしい。
思えば、砦でも神獣の森でも、俺は傍観していただけで魔獣と直接やり合ってはいなかった。
これが、初めて受けた魔獣の攻撃…………強烈過ぎる……
くっそ……どうすりゃHPって回復するんだっけ……?
眠ればいいのか?
……いや、寝ちゃ、マズい……のか?
「あぁ……アキタカさん……血が…………血がぁ……っ!?」
脱いだ上着を俺の傷口へ押し当て、アミューが泣きながら止血しようと試みている。
だが、アミューの服が赤く染まるばかりで、俺の血は止まらない。
アミューの目に浮かぶ涙がみるみる大きく膨れ上がり、音もなくこぼれ落ちていく。
「めっ……女神の、癒しっ! 女神の慈悲! 女神の……女神の……回……復っ! 女神、の…………女神のぉ……っ!」
あるかどうかも分からない女神魔法の名を叫び続けるアミュー。
しかし、どれもこれも、俺の傷を癒すことはなかった。魔法は発動しない。
「どうして……っ、わたしは、女神……なのに…………どうして、なにも…………出来な…………っ! 血よ止まりなさいっ! 女神の命令です! ……止まって……ください……っ!」
アミューに、特別な力はない。
それは、これまで一緒に旅をしてきてなんとなく理解していたことだ。
アミューは女神である。
その証拠に、異世界間を移動する扉を開いてみせた。
俺の体を、この世界に適応する形へと改変した。
だが、それだけだ。
それ以降は、魔法を使うでも、奇跡を起こすでもなく、ただ一人の、明るくて優しくて、ちょっとヌケている天然の女の子として俺の隣にいただけだ。
女神はすべての事象を超越した存在なのだろう。時間の概念を説明する際に、アミューはそれをうまく言語化出来ないでいた。
人間と女神との間には、言葉という人間の生み出した未完成の意思伝達ツールではやりとりしきれない大きな隔たりが、きっとあるのだ。
だから、アミューは今の――人間である俺たちと意思疎通出来る人間の――体を手に入れるために、そして共に過ごせるように、膨大過ぎる魂の容量を相当量削減したのではないだろうか。
人間の体に収まりきらない魂をバージョンダウンさせているのではないだろうか。
俺は最近、そんな風に思うようになっていた。
だから、アミューには特別な力はなく、今のアミューは普通の人間と同じように、驚いたり、困ったり、悩んだり、泣いたりするのではないだろうか。
だから、あんなに楽しそうに笑ったりするのではないだろうか――と。
「いや、です……アキタカさん……っ! 目を、閉じないでくだ……さいっ!」
だから、今のアミューは――
「いかないで……わたしを、独りにしないでください!」
――人間にお願いをしたりするのだろう。
全知全能なる神でありながら、不完全な人間なんかに頭を下げたりするのだろう。
縋りついたり、するのだろう……
「お願いします……女神の奇跡を………………今だけで、いいから……っ!」
自分自身である、もう一人の女神に――現在世界を創り見守っているであろう女神に対し、祈りを捧げ……願う。
なんて、非力なんだ。
非力で……脆い。
これじゃあ、ただの女の子じゃないか。
女神だなんて、とても思えない。
分かっていたけれど、アミューは一人じゃ何も出来ない女の子で……だから……
一人にはさせられねぇ……っ!
こいつを残して死ぬなんて出来るか!
どんな対価でもくれてやる!
アミューの涙を止める力を、俺に寄越しやがれっ!
【受諾――。能力の半分を対価に新しいスキル『女神の騎士』を入手します】
システムボイスの清涼な声が、煮えたぎった脳内へと注がれる。
すっと縮むように、膨張しまくった思考回路がクリアになる。
【女神の騎士】? それは一体……
そう思った時――
ごふっ!
――と、血の塊がノドの奥から吐き出された。
「アキタカさん!? アキタカさん!」
体が限界に達したらしい。感覚が薄らいでいく……
……あぁ、マズい…………寒い…………
「奇跡よ……! 起きなさいっ! 奇跡…………起きて……っ!」
アミューが俺を抱き起こし、細い両腕で強く抱きしめてくれる。
……奇跡ってんなら、こうしてもらえているのが奇跡なのかもな。
ほら、そんなに抱きついたら、服、汚れちまうぞ。
けど……温かいな…………アミュー……
アミューの腕に抱かれて死ねるなら、それはそれでいいか……なんて、血液が足りなくなって思考が鈍り始めた脳が諦めかけた時――
奇跡の足音が聞こえた。
大地を力強く蹴る蹄の音。
そして。
「アキタカッ! アミュー!」
懐かしい、聞き慣れた、小柄なセンセイの声。
この世界の重症患者を何人も救ってきた、マーサ・コモリの声が、はっきりと耳に届いた。
「マーサさん!?」
アミューの声に微かな希望が滲む。
蹄の音が止まり、体重をほとんど感じさせないような軽い足音が駆け寄ってくる。
そして、覗き込んでくる小柄な少女。マーサは相変わらずの白衣姿で、緑色のボブカットを多少ぼさぼさにしつつ、大きなメガネの向こう側から澄んだ瞳でこちらを見て――俺の顔を見るなりほっと安堵の息を漏らした。
「よかった。まだ意識はあるわね」
すぐさましゃがみ、俺の傷口を調べ始める。
「大丈夫。腹部裂傷によって血が多量に流れ出ているだけよ」
いや、そんな「大丈夫、気を失ってるだけよ」みたいな雰囲気で安心出来る症状じゃないと思うんだけどな、俺。
……なんて、軽口が叩けるくらいにほっとしている自分に気が付いた。
マーサの登場に。そして、泣き止んだアミューの顔に。
「サスーンポーションを持ってきたわ。これで傷は癒えるはずよ」
「本当ですか!?」
「えぇ。効果は折り紙付きよ。ただ、それなりにデメリットはあるから、覚悟だけはしておきなさいね」
そんな怖い発言をして、懐から薬を取り出す。
べたっという音がして、マーサの手に深緑の塗り薬がたっぷりと掬われる。
それが患部に塗られると、一瞬ひやっとした冷たさを感じ――次の瞬間、燃えるような熱さが全身を駆け抜けた。
「痛っっってっ!? つか、熱っっっち!?」
沁みる!
筋肉と神経の間に岩塩をぶち込まれたかのように熱く、沁みる!
クリスマスディナーの際に全身に香辛料を塗りたくられる七面鳥って、こんな気分なのかな。
だが、そんな痛みとは裏腹に、薄れていた意識は次第にはっきり覚醒していき、全身に力がみなぎってくるのを感じた。
逃げ場のなかった激痛が薄らぎ、震えが止まらないくらいに寒かった体は、逆にぽかぽかと体温を上げていく。
「……かはっ! ごほっ! ごほっ!」
最後に一度、盛大にむせると、ノドの奥に詰まっていた血の塊が勢いよく飛び出してきて――それを最後に一切の苦痛が体から消え去った。
「…………すげぇな、この薬」
嘘みたいに元気になった。
すぐそこにまで来ていた死の感覚が、もう何も感じられないくらいに遠くへいってしまっていた。
死にかけていたなんてのが嘘みたいに。
「えへへ。すごいでしょ、あたしの薬」
「あぁ、想像以上だ」
「破裂でも切断でも悪性腫瘍でも、この薬一つで完全回復するんだから」
「ホントすげぇな!?」
「生きてさえいれば、塗るだけで即元気!」
「改めて聞くと、効き過ぎてる感が溢れ過ぎなんだけど、大丈夫なのこの薬!?」
「大丈夫よ。命を救う薬なんだから」
命『だけは』助かるとか、そういうことじゃないよな?
「出血も多かったはずだが……」
「それも大丈夫。コレさえ塗れば、血液も増えるから」
「マジで大丈夫なんですかねぇ、この薬!?」
日本だったら認可が絶対下りないタイプの医薬品ですよね!?
恐怖でちょっと敬語になってしまってますけども!
「ただ……さっきも言ったように、デメリットもあるのよね」
デメリット……
やはり、よく効く薬には副作用が存在するのか。
「どんな……デメリットなんだ?」
「……ちょっと臭い」
「どーでもいい!? よく効く薬って、得てしてそんなもんだよ!」
漢方とか、結構キてるしね!
――とは、口に出すとその方面から怒られそうなので言わないけれど!
しかし、本当にあの大怪我が一瞬で治ってしまった。
自分で体験したことだというのに、一切実感がない。
っていうか……
「ファンタジー過ぎんだろ……これ」
常々思っていた。
RPGで初期から手に入る薬草だのポーションだの、使った瞬間瀕死の状態から健康体へと復活出来る怪し過ぎるあれらの薬をよく平気で乱用出来るなと。
ゲームの中の連中はそれを躊躇いなく過剰に使いまくる。
いつかその反動で全身ボロボロになるんじゃないだろうか……と、思っていたのだが。こんな薬があるなら、頼りにしちゃう気持ちも分からんではない。
この薬があるおかげで――
「アキタカさんっ!」
――こうして、泣き顔が笑顔に変わるのだから。
「よかったっ! 心配……っ、しまし……たっ! 無事で…………よがっだでずぅぅぅぅうううっ!」
体を起こした俺に飛びつき、背中に腕を回して、胸に顔を押しつけて憚ることなく泣きじゃくるアミュー。
あぁ、よかった……
アミューを独りにせずに済んだ。
ホント……ほっとした。




