8話 ヴァンガード村とネコ面の戦士 ―1―
……乗り切ったぜ、馬車。
「アキタカさん……うっぷ……鉄道、作りましょうよ……現代知識チートとかで」
「無茶言うなよ……うぅっぷ……鉄道建設の知識なんか持ち合わせてねぇよ」
「アキタカさんのお祖父さんかお父さん辺りが、趣味で線路敷いて、手作りの汽車とか走らせる趣味持ってたりしなかったんですか?」
「どこの無法者だよ、ウチの親族は」
勝手に鉄道なんか作れるか。
DIYにも限度があるっつぅの。
「……少し、横になりたいです」
「……なってんだろ、もう」
俺たちは、ようやく停まった馬車の客車で横になっていた。
床で雑魚寝だ。
座席は細過ぎて、このぐらつく三半規管を抑えることは出来ない。この気持ち悪さを乗りきるには、床で大の字、これが最低条件だ…………気持ち悪い。
そもそもが、客車というより『椅子の付いた荷台』という方がしっくりくるクオリティなのだ、快適に過ごせるはずもない。
「アキタカさん……外の空気、吸いたいです……わたし…………」
ぴくりとも動けそうもないアミューが、死にそうな声で懇願してくる。
荷台を覆う幌を開けてくれと。
俺たちの馬車は、大きめの荷台に幌がかけられているような造りで、幌付きの軽トラックのような仕上がりになっている。
荷台の側面と御者台の後方に座席が設けられ、最大で八人ほどが座れる仕様だ。
向かい合う座席の間、荷台の中央には結構な容量の荷物が載せられる。
そこに、二人して寝転がっている状況なのだ。
幌は、地味に遠い。
冬場、こたつに入ってテレビを見ている時、リモコンが見当たらなくなってテレビ本体のボタンでチャンネルを変えに行かなきゃいけない――くらいの面倒くささがある距離だ。
幌はどこでもめくれるようになってはいるのだが、出入り口として使用している後方以外は、雨風をしっかりと防げるようにロープで頑丈に固定されている。こいつを開けるのはそこそこ面倒だ。
なので、出入り口の幌を捲りに行く。
まぁ、俺自身、乗り物酔いで気分が悪く、外の空気を吸いたいと思っていたところだしな。
幌さえ開ければ新鮮な空気が流れ込んでくるだろう。
排気ガスや光化学スモッグとは無縁の、この世界なら。
そう思って幌を捲り上げると、そこは――
真紫の、毒々しい瘴気に覆われた村だった。
おぉう……深呼吸一回でレッツゴーヘブンしそうな風景だ。
「はぁぁ、新鮮な空気が、すーはーすーは!」
「待て待てアミュー! 死に急ぐな!」
床に寝そべって外の景色を見ていないアミューは、流れ込んできたやや冷たい風を躊躇いなく肺へと送り込んだ。
外の景色を見たら確実にむせるな、こりゃ。
「いいから、一度外を見てみろ」
強引にアミューの体を起こし、外の惨状を見せつける。
真紫に染まる村。
その異常な光景を。
「むらさき…………ブドウ味ですね」
「違う違う! そんないいもんじゃないから! お前乗り物酔いで酩酊してないか!?」
酔い方の種類が違うような気がする、こいつの場合。
明らかに村の様子がおかしい。
香りも、少しおかしい。硫黄を酸っぱくしたような、あからさまに体に悪そうな臭いが漂ってきている。
微かに、目がしぱしぱする。
まずいな。
ここに長くいるのは危険だ。
「おい、御者さん! 馬車を戻してくれ。この街から少し距離を取るんだ」
「…………」
「御者さん!」
「…………きゅう」
「御者さんっ!?」
御者台側の幌を留めているロープを解き、幌を捲り上げると、御者が目を回していた。御者台の上でぐったりしてやがる。
しっかりとこの毒ガス的な紫の空気を吸い込んだらしい。
いよいよマズい!
実害が出始めた!
なんとかしてここから離れなければ!
「は、はいよー! 馬! 動け! 引き返すんだ! 走れ!」
「…………」
「馬ぁー!」
「…………ひひんぬ」
馬までガックリしてるー!?
初めて聞いたよ、脱力した馬の鳴き声!
「ひひんぬ」って言うんだね!? 初耳だよ!
くそっ!
こんなところにアミューを留まらせるわけにはいかない。
かといって、ここまで世話になってきた御者を放置も出来ないし、アミューには先に逃げてもらって、俺が御者を担いで…………なんてことを考えている時だった。
「きゃあっ!」
突然アミューの悲鳴が聞こえた。
振り返ると、ネコの面を付けた集団がアミューを取り囲んでいた。
鬣の付いた、獅子の面を被ったヤツが、アミューを羽交い締めにしていた。アミューの口には布が押し当てられている。
「テメェら、何者だっ!?」
焦りが全身を駆け巡る。
心臓が跳ねて、腸がこむら返りを起こしたかのように引きつって吐き気が食道を駆け上ってくる。
そして、それ以上に――
激しい怒りが頭をカッカさせる。
アミューに何してやがる!?
アミューの身に何かあったら、テメェら全員ただじゃおかねぇ!
ケンカの経験などないくせに、真っ正面から突進する。
勝ち負けなんかどうでもいい。
ヤツらをアミューから遠ざける。
アミューを掴む腕を一本残らず払いのける。
それだけ出来りゃ、あとはどうなってもいい。
「アミューを離せっ!」
獅子の面に向かって、大振りの、渾身の右ストレートを繰り出す。
しかし、俺と獅子面の間に、ネコの面を被った長身のヤツが潜り込んでくる。
突然現れて、俺の繰り出した右ストレートを造作もない様子でさらりと『いなす』。
全力の右ストレートが、見当違いの方向へ流されて体のバランスが崩れる。
がら空きになった俺の腹に、長身のネコ面の拳が打ち込まれる。
体内の空気が、一瞬で押し出された。
「……がっ、は」
続いて二打、三打と重いジャブがテンポよく打ち込まれ、俺の闘争本能は一瞬のうちに刈り取られた。
くじけそうになる。
けれど、アミューだけは守らなければ!
「こ……んの、ヤロウっ!」
気力だけで拳を握る。
だが、振りかぶることすら出来ずに腕を絡め取られ、アゴに重たい一撃をもらう。
ヒザによる強烈な一撃が俺の脳を揺さぶる。
「心配しないで」
ネコ面の向こうから聞こえてきたのは、その体格からは想像も出来ない清んだ少女の声で……
「ぶふっ……!」
荷台の床に倒れ込んだ俺の顔面に靴底が押しつけられて、ぐ~りぐりぐりと、体重を乗せて踏みつけられる。
「私たちは、敵じゃない」
「じゃあ、この扱いはなんだ」と言いたい。
顔、踏むかね!?
「黙ってこれを顔に」
カラン……と、硬質な音がして、俺の顔の横にネコの面が落とされる。
なんでこいつらと同じ面を……と、アミューを見ると、獅子面によって無理矢理ネコの面を着けられていた。
「さぁ、早く。手遅れになる前に」
その声音に、俺はなんとなくこいつらを信じてもいいんじゃないかという気になった。
顔を踏まれているのでよくは見えないが、耳をそばだててみれば、無数の足音が御者台の方へと向かい、何かをやっている音が聞こえてくる。
この音は、御者を助けようとしているのではないのか?
「さぁ」
「……分かった」
どちらにせよ、力では抗えない。
完全に叩きのめされてこのザマだ。下手に抗っても状況は何も変わらない。
なら、罠だろうがなんだろうが、ヤツらの口車に乗ってやる。どっちみち、俺にはそれしか選択肢はないのだから。
俺に与えられたネコ面を手に取り、顔に被せる。――と、口のところにゴムのような感触の突起物があった。
咥えろと言わんばかりの場所にあるそれを口に含む。……ゴム臭い。まるで、新品のシュノーケルのような味とにおいがする。
…………だが。
「……息が、楽だ」
面を通して吸い込んだ空気は、先程までの体を蝕むような臭いも、気管がイガイガするような感覚もなく、美味しいとは言えないまでも、普通に吸い込むのに苦労を必要としない正常な空気だった。
ガスマスク、なのか。この面は。
「旅の者。急を要するがゆえ、説明が遅れた。この地は危険なのだ。我々を信じてついてきてほしい。そなたらを救いたい」
獅子面の向こうから渋みのある男の声が聞こえてくる。
声だけで判断するなら四~五十代くらいだろうか。
「我がヴァンガード村に用があったのかもしれぬが、今村に入ることは叶わぬ。我らと共に、仮の集落へとおいで願いたい」
「仮の集落?」
「ヴァンガード村のみんなが避難している、新しい集落。私たちの仮の住処」
俺の問いに答えたのはネコ面の女。
ヴァンガード村の者は、この毒ガスの発生によって村を追い出されたようだ。
けれど、全員で別の場所に避難しているらしい。その点はほっとしたな。
「分かった。案内してくれ」
「うむ。馬車は仲間に任せ、歩ける者は我々と共に来てほしい」
「アミュー、歩けるか」
「は、はい…………」
アミューの声が弱々しい。
まさか、毒ガスを結構吸い込んでしまったのか?
「…………わたし、ゴムの味って苦手で……嘔吐いちゃって…………ぉうっぷ!」
「うん。元気そうだな。じゃあ歩こうか」
毒ガスよりマシだろうが、ゴム臭い方が!
「この面も万能ではない。少しでも早くここを離れよう」
獅子面の言葉に頷いて、俺たちは馬車から降りる。
馬車は、ネコ面の者たちが数人で運んでくれるようだ。
とりあえず山賊の類いではなさそうなので、こいつらを信じ、ついていくことにしよう。
「アキタカさん!」
歩き出そうとした時、アミューがネコ面の向こうから怯えるような声で俺を呼ぶ。
村の方向へと指を差し、真っ直ぐにそちらを凝視している。
何事かと目をこらすと……
「……なっ!?」
――何か、いた。
紫色の濃い毒ガスにかすむ森の奥に、爛々と輝く『何か』の瞳が浮かんで、こちらをじっと見つめていた。
それも、無数に。
「アミュー、行くぞ」
「…………」
「アミュー!」
「は、はいっ!」
得体の知れないモノに魅入られたかのように立ち尽くしていたアミューの腕を引き、足早にその場から立ち去る。
背を向け、決して振り返らずに。
それから、ネコ面たちの集落に着くまで、俺たちは何も話さずひたすらに足を動かし続けた。




