4話 信仰心と僧帽筋 ―3―
目が覚めると、窓から差し込む光がオレンジに染まっていた。
随分と眠ってしまったらしい。
後頭部の下には、相変わらずごりっとした感触があった。
え……ずっと膝枕していたのか…………途中で「これ、なんかおかしいな」って気が付いてくれればよかったのに。
「アミュー。悪かったな、もう大丈……」
振り返ると、そこには大きなハンマーが転がっていた。
「ヒザですらないし!?」
ならせめて、柔らかいのにして!
診療所の中なのだろうが、見たことのない部屋の真っ白なベッドの上に寝かされていた俺は、少し痛む頭を押さえつつ起き上がった。
どうやら、患者を寝かせておく場所らしい。
俺以外には誰もいない部屋は、とても静かだった。
「あっ、目が覚めましたか、アキタカさん」
もきゅもきゅと、何かの肉みたいなものを食べながら姿を見せるアミュー。
……あぁ、そうか。この感じ……今感じているこの気持ちが……殺意ってヤツなんだ。
「とりあえず、この枕の説明をしてもらおうか?」
「あぁ、それですか? アキタカさん、適度に硬い方が好きなのかと思いまして、『大金槌~人間のヒザとほぼ同じ硬さバージョン~』を貸してもらったんです」
「どこで使うんだよ、この微妙に役に立ちそうもない金槌!?」
ヒザで釘は打てねぇぞ。
「どうですか? 随分と長く眠ってましたけど、疲れ取れましたか?」
「……頭ががんがんする」
「あはは、寝過ぎですよ~」
「金槌のせいなんだけどな!?」
寝てHP回復したから、がんがん突っ込んでいくぞ!
覚悟しとけよ!
「お前の膝枕はどうなったんだよ?」
「二秒で脚がしびれました!」
早々にリタイアしてんじゃねぇよ!
もうちょっと頑張ってくれよ、せめて。
「そうそう。アキタカさん、たぶんレベルが上がっていると思いますよ」
「え?」
「寝ていたからシステムボイスには気付いていないかもしれませんが、わたしを……あっ……女神を信仰してくれる人が増えたんです」
俺が寝ている時に何があったんだ?
――と、辺りを見渡してみると。
「……筋肉、なかったね」
「女神の使者って……ふにゃふにゃね……」
「小指二本で体持ち上げられたしね……」
部屋の入り口に群がっているナースたちに、すっげぇ冷めた視線を浴びせられていた。
寝て起きたら好感度がナイアガラ……何があったんだ?
つか、あの最後の人が俺をここまで運んでくれたのか? 小指二本で?
……マジで、何されてたんだ、俺。
「その点、女神様はむっきむきらしいわよ!」
「素敵よねぇ……ムキムキの女神様……」
「女神様の僧帽筋……はふぅ……」
なんか気絶したぞ、最後のヤツ!?
「ちょっと、アミュー?」
「な、なな、なんでしょう?」
「お前、いつからムキムキになったんだ?」
「そ、そそ、それは、その……ア、アキタカさんが知らなかっただけで、わたしこれでも鍛えてるんですよ」
「とんでもなく目が泳いでるぞ」
「ゆ、有酸素運動です!」
目が泳いだくらいで有酸素運動になんぞなるか!
大方、俺が眠っている間に女神ageをして信仰を集めやがったのだろう。
詐欺じゃねぇか。そんなやり方は好ましくない。
「えい」
「ふにゃぁぁああ!?」
アミューの二の腕を掴むと、大福のようにふやふやの柔らかさだった。
「これのどこが筋肉だ?」
「それはそのっ、筋肉の綾といいますか、筋肉も方便という感じでして……だ、だって、ここの人たち、筋肉を無条件で崇め奉ってくれるんですもん!」
「それで、女神はすごく筋肉質って吹聴したのか?」
「誰も不幸にならない、可愛い嘘です!」
俺が蔑まれた目で見られてんだけど!?
「診療所のみなさんは信仰という心の拠り所を得られ、アキタカさんはレベルが上がって、安易なハーレムも結成前に壊滅して、いいこと尽くめです!」
最後に本音がポロってないか、今の?
どんだけ目の敵にしてんだよ、ハーレム。……まぁ、欲しかったわけじゃないからいいけどさ。
「ただまぁイラッてしたから、今後お前のことはムッキムキとして扱うことにする」
「ふぇえ!? なんでですか!?」
「よっ、キレてるキレてる!」
「ボディビルダーへの掛け声やめてください、なんかヤな感じです!?」
自分で言ったんだろうが、女神はムキムキだって。
甘んじて受け入れろ、現実を。いや、おのれの生み出した虚構を。
「こら、アキタカ」
むにっ!
と、俺の頬に肉球が押し当てられる。
視線を向けると、マーサがニャーミックスを手に立っていた。
……俺の頬を揉むのに使ってんじゃねぇよ、ニャーミックス。薬を作れ、いいから早く。
「つか、なんで呼び捨てなんだよ?」
「あんたみたいな軟弱筋肉、呼び捨てで十分でしょ?」
「……さっきは感動して泣いてたくせに」
「泣っ…………あ、あれは、女神様に対する感謝だもん! ムッキムキの女神様に対するね!」
「う……ムッキムキ……」
自分で蒔いた種で軽く心を痛めるアミューのことは知ったこっちゃないが、どうも俺が寝ている間に俺への評価がかなり落ちたようだ。
俺に向かってしまっていた信仰心を女神へ向けるためとはいえ……なんか切ないな。
「女神の使者への信仰心は、女神への信仰心としてカウントしていいんじゃねぇのか?」
こっそりと確認するが、アミューは首を横に振る。
「天使がたくさんいれば、思想や理想も異なり、中には神と相反する者も現れます。すったもけでも、ルシフェルという天使が天界から離反してすったもけの女神と敵対したということがありましたよね?」
「堕天使ってヤツか?」
「はい。すったもけの堕天使です」
「『すったもけ』入れなきゃダメなのか?」
堕天使を信仰しても、それは神への信仰とはならない。
また、複数いる天使の中のたった一人だけを信仰する者がいたとしても、それもカウントには入らないらしい。
なんとなくは、分からんではないが……
「つか、俺……天使なの?」
「そうですよ。女神の使者と言えば、天界の使い――すなわち天使です」
俺自身がくるくるパーマで羽根を生やした全裸坊やになる想像をしてみる。
……放送コードに堪えられない。とても人様にはお見せ出来ない見苦しい映像になるな。
天使って、もっとこう、芸術的な美しさが必要なんじゃないのか?
「ですので、わたし本人か、もしくはわたしを象徴するような像や品物、または神獣への信仰でなければカウントされないんです」
女神を象徴する像や物ってのは、仏教で言うところの仏像とか、キリスト教で言うところの聖遺物とか、そういった類いの物だろう。
で……
「神獣?」
「はい。この世界には、神の御使いと呼ばれる聖なる獣が存在しているんです」
「白蛇とか、白キツネとか?」
「すったもけではそうでしたね。彼女、美白とかすっごい好きでしたし」
「大人女子か!?」
女神が美白にハマった結果なのか、白蛇とか白キツネ!?
「あと、龍なんかもそうですね。水神とか呼ばれて」
「そういうのも有りなのか?」
「神獣は、女神の分身と呼ぶべき生き物ですから」
なら、龍の置物とかでも有りになるのか。
日本をはじめ海外にも龍好きは結構いたし、こっちでもファッションに取り入れたりしたら好感度は上がりそうだな。
「なので、アキタカさんへの余計な好感度はひねり潰しておきました。てへっ☆」
「うん、それに関してはあとでゆっくり話し合おうな? な?」
おのれの好感度を上げるために、他人の足を引っ張んじゃねぇよ!
「ちょっと、なに二人でしゃべってんのよ?」
不服そうにマーサが言う。
お前には聞かせられない話をしてんだよ。
まったく、気の利かない……
「お子様め」
「なぁぁ!? あたしのどこがお子様よっ!」
うにゃーうにゃーうにゃーうにゃー
うにゃーうにゃーうにゃーうにゃー
うにゃーうにゃーうにゃーうにゃー
うにゃーうにゃーうにゃーうにゃー
ニャーミックスやめろっ!
そういうオモチャじゃないから!
「ニャーミックスを持ってきちまっていいのか? 薬、足りてないんだろ?」
「そうね。ちょっとこねるのが楽し過ぎてクセになっちゃったわ」
なってる場合じゃねぇだろうが。
「それじゃ、あたしは薬を作ってくるから、あんたたちはゆっくりしてて」
「いや、いつまでもここにいるわけにはいかねぇよ」
「は?」
うにゃー
「なんでよ?」
うにゃー
「いいから……ニャーミックスを人に使うな……」
そういう家電じゃねぇんだよ。
ったく……うどんこねる時は、ちゃんと洗ってから使えよ。
「ウチの診療所を手伝ってくれるんじゃないの?」
「ニャーミックスがあれば薬は作れるだろう? この後も、女神の遺産を探して、正しい使い道を人々に教えて回らなきゃいけないんだよ」
俺たちは単純な労働力ではない。
その労働を助けるための手伝い、それが俺たちの本分だ。
なので、ここでの役目はもうおしまいだ。
長居は無用。早急に立ち去り、次を目指さなくては。
「…………別に、もっとゆっくりしてってもいいじゃん」
なんだかスネ始めたぞ、メガネっ娘が。
そうやってふてくされて俯いていると、小学生に見えるな。
ボブカットの髪を弄り、口を尖らせる。
「……飴ちゃん食べるか?」
「子供扱いすんな、ばかぁ!」
うにゃー!
ニャーミックスに押され、俺は床を転がる。
くっそ。
マーサに視線を合わせるためにしゃがみ込んだのが失敗だった。思いの外綺麗に後ろでんぐり返りになって、ちょっと恥ずかしいし、めっちゃ笑ってるアミューはあとでお仕置き決定。
「ふ、ふん! いいわよ、じゃあ! 行くならさっさと出て行けば!? じゃーね、ばいばい!」
白衣を翻して、マーサが部屋から出……ようとしたところへ、ナースが一人駆け込んでくる。
「大変です、センセイ!」
ただならぬ雰囲気に、室内の空気が固まる。
「どうしたの?」
マーサの声にも緊張の色が滲む。
「それが……大怪我をした患者さんが運ばれてきて……」
「なによ。そんなの、いつものことじゃない。それに、これのおかげで薬はすぐに作れるでしょ?」
ほっと息を漏らしたマーサだったが、ナースは一向に緊張を解かない。
強張った顔のまま、彼女にとって最も重要であるのだろう情報をマーサへと伝える。
「その、患者さんというのが…………ベシーロ様、なんです」
「え……」
ごとり。と、重たい音を鳴らしてニャーミックスが床へと落下する。
マーサの顔が真っ青になっている。
「なんだ? どうかしたのか?」
マーサとナースの焦りようは尋常ではない。
そのベシーロという患者がその理由のようだが……
「この国……終わるかもしれないわ」
マーサの口から、とんでもない言葉がこぼれ落ちていく。
終わる?
この国が?
「ベシーロ様はね…………最前線の防衛を任された騎士団の指揮を執る、騎士団長様なのよ」
国王に代わり、この国の防衛の要となっていた騎士の負傷……離脱。
それは、一国が滅亡の憂き目に遭いかねない、一大事だった。