5 脆弱リドルストーリー
続きはないという彼女の言葉が静けさに支配された病室にじんわりと溶けていく。
「は?」
我が耳を疑った。
普通に考えてあり得ないと思った。
「なにを言ってるんだ。あんな良いところで終わるわけあるかよ。打ちきり漫画じゃあるまいし」
「終わりなんだもん。だれがなんと言おうと完結してるの」
不機嫌そうに少女は眉根を寄せた。
「リドルストーリーっていうの。読者に結末を考えさせる話。それよ」
「……冗談だろ?」
「本当の話よ。この物語はこれでお仕舞い。蟹チャーハン先生の次回作にご期待ください」
茶化すような笑みを浮かべ、パンと表紙を軽く叩いてから、少女は文庫本を棚に戻した。
「リドルストーリー……ってなんだよ。作者のズルじゃないのか?」
「ズルじゃないわ。立派な手法よ。例えば『女か虎か』って知らない?」
「なんだいそれ」
「百年くらい前のフランクストックトンって人の短編小説よ」
「聞いたこともない。どんな話なんだ? 」
「ざっくり説明すると、あるところに残虐な王様がいて、彼には目にいれても痛くない一人娘が居たの。その姫と身分違いの若者が密通していることが判明し、それに怒った王様はその国独自の処刑方で彼の罰することにしたの。その方法が闘技場で罪人に二つのうちどちらかの扉を選ばせるというもので、扉にはそれぞれ人食い虎と美女がいて、虎が出た場合は食い殺され、美女が出てきた場合はその人と結婚できるの。処刑の前日、姫はあらゆる手段を用いて、扉の先に何がいるかを調べ、そして答えを手に入れた。だけど、若者を助けるということは自分よりもはるかに美人な女性と若者が結ばれるということ。王様の気性の荒さを引き継いだ彼女にはとてもじゃないが耐えられない。かといって虎を選べば愛しの彼は殺される。悩みに悩んだ末、姫はついに答えを出すの」
「え、答えあるの?」
「ううん。若者が扉の前に引きずり出されたところで、姫が彼に合図を送り、彼は一つの扉を選択する。そこで物語は終わり。作者は最後、結末は読者に委ねると宣言し、物語はこう締められる。扉から出てきたのは女か、それとも虎か」
淀みなく続いた彼女の言葉途切れ、じっと僕を見つめてきた。
「それで終わりよ」
「……知らなかったよ。ミステリー小説でよく見られる手法だね。芥川龍之介の藪の中とか。でもさ、それとこれとは違うんじゃないかな」
僕は本棚にしまわれた本を指差す。
「いいえ、これも立派なリドルストーリーよ。それ以上はあなたが思う結末を出せばいい」
少女はめんどくさそうにため息をついた。
「でも、そんな、終わりかたって……。短編ならまだしも長編でやるのは反則じゃないのか?」
「人は達成した物事よりも、未達成で終わった出来事の方が印象に残るの」
「そういうもんなのか?」
「あなただって見えそうで見えないパンチラ好きでしょ?」
その答えには返答しかねる。
「心理学でいうツァイガルニク効果というやつよ。盛り上がったところでCMに入ると気になって仕方ないでしょ? 未完のままだと、緊張が続いてすっきりしないのよ」
確かに思い当たるふしはあるが。
「それを余韻とよぶこともある。作者が意図してやっているのだから、物語はそれでおしまいなのよ」
締め切った窓の向こうから風の音が聞こえた。
「でも、やっぱり納得できないよ。そうだ。それ確か原作はウェブ小説だろ? 書籍化してないだけで、実はちゃんと調べれば続きあるんじゃないのか?」
「ないわよ。しつこいわね」
彼女の冷たい言葉を無視して、僕はお見舞い用のパイプ椅子を取り出して、彼女の横に設置し、そこに腰を落ち着けた。それからポケットからスマホを取りだし、検索エンジンで蟹チャーハンを検索する。大量の中華飯店のホームページに混じって、小説家蟹チャーハン先生のマイページにたどり着いた。
彼女の言うとおり、作品はそこで終わっていた。コメントで続編を求める声が多く寄せられているが、その一つ一つに蟹チャーハン先生は丁寧に「結末はご想像にお任せします」と返している。
「嘘だろ。ずるいだろ。そんなの」
「余韻が残っていいじゃない」
「余韻って、蟹チャーハン先生、結末を思い付かなかっただけじゃないのか?」
「だーかーらー、結末は読者が考えるんだって」
「考える、ね……」
「物語を読んでると次どうなるのか、何が起こるのか、たくさんのことを予想するでしょ?」
「そりゃあ、そうだけど、さあ……」
反論を探したが、特に装填すべき言葉が見つからなかった。言葉を濁した僕ににたりといたずらっ子のような笑みを投げ掛け、少女は続けた。
「ちなみにあなたはどんな結末が訪れると思う?」
「そうだな。結婚式を取ると思う」
「じゃあ、村は滅ぼされるわね」
「いや、なんだかんだでライバルは村を救って……」
「それはないわよ。ライバルは姫が好きだから、村を助けるために結婚式を中止にして主人公が来るまで、動かないわ。結婚式が中止になれば次に姫と結ばれるのはライバルだもの。村が滅んでも彼は辛くもないしね」
「で、でもそれはきみの想像だろ?」
「……そうね。まあ、ライバルがどう動くかは、想像次第だもね。まあ、私は個人的にはそういう行動を取ると思うわよ」
僕もまったく同意見だった。
「……調べればしっくりくる結末があるかも」
僕は再び検索エンジンに蟹チャーハン先生の名前を入力する。
たくさんのウェブの海のなかを必要な情報を求めて探し回る。
「ふっ」
少女は少し呆れたような息をはくと、棚から本を取り出して読み始めた。
「あ」
予想外の文章を見つけた僕は思わず声をあげてしまった。
「サイン会がある!」
カフカが顔をあげて僕を見た。
「作者のサイン会だよ」
「……」
朗報にカフカは無言になった。
特設ページのホームページをスクロールして詳細を確認する。
「こうなったら作者に直接聞きに行こうぜ」
「……うーん、どうかしら。迷惑だと思うけど」
初対面の印象とは真逆だ。意外と臆病なところがあるらしい。
「細かいことが気になると夜も眠れないんだ。刑事コロンボ好きだったからね。サイン会の日程は……」
新作の発売記念で開かれるサイン会。
ツイッターで告知された日程は本日だった。
「おお、本日だぞ、これ」
「……そ、そう」
俺の熱量に気圧されたみたいに、カフカは困ったようにこめかみを掻いた。おかしな子だ。僕以上に蟹チャーハン先生のファンに違いないのに、なにを斜に構えているのだろうか。
「場所は、っと……!」
「……」
「嘘だろ……!」
サイン会が開かれるのは地元駅の地下の書店。
学校帰りに何回か買い物をしたことがあるくらい馴染みの店だ。
「こ、こうしちゃいられない」
僕は慌てて鞄をもって立ち上がった。
「サイン会に行ってくるよ。一時スタートなんだ」
「サイン会……、蟹チャーハン先生が? 見間違いじゃないの?」
「そんなわけないだろ」
時計の針は頂点を指している。
「サインをもらう条件は蟹チャーハン先生の書籍を二冊以上買うことみたいだ。僕もこの機会に集めてみようと思ったし、なんなら君の本にもサイン貰えるように頼んでみようか?」
「遠慮しておく」
おかしな子だ。目と鼻の先でサイン会が開かれているのに行かないなんて。夜中に本を取り戻しに来るくらい熱狂的なファンなくせに変なところで冷めている。さすがに入院患者を連れ出せないので、僕は一人で書店に向かった。