初夏の淡い昼下がりにて
それでも僕は待ち続けた。
きっと術後でまだ携帯がいじれないだけなんだ、とか、シャイなカフカがメールし忘れてるだけなんだとか、必死に頭で言い訳をして、現実から目を背けるように携帯を何度も確認した。
いくら確認しても送ったメッセージに既読はつかず、通知が来ることはなかった。
ついに我慢できなくな って電話帳からナツメを呼び出し、カフカの近況を確認することにしたが、スピーカーから聞こえたのは『電波が届かないところにいるか電源が入っていないためお繋ぎできません』という音声のみだった。何度かけてもそれが流れるだけで、その度に僕の胸には絶望が落ちてきた。
暑くなった体が熱を帯びて、叫びだしたい衝動にかられる。
カフカからの連絡が来ない間、いろんな事があった。
地球の裏側では銃撃戦が繰り広げられ、隣の県では殺人事件が起き、政治家がセクハラで訴えられ、タレントが麻薬所持で捕まったりしたが、僕の生活においてそれらが密接になることはほぼほぼないだろう。
人生そんなもんなのかもしれない。
数日経って色々と心の整理がついた頃、何の気なしにテレビを見ていると、卓球で日本代表が負けたとスポーツニュースがやっていた。
『今』が過ぎた僕らはどうやって生きていけばいいのだろう。
きっと答えを知っている人はいない。
もて余した休日、外出の準備をしていると、感情を逆撫でするように、インターホンのチャイムが鳴った。
壁掛け時計を見ると、約束の時間にはまだだいぶ早かった。
まさか、と僕は半ば駆け出すように玄関のドアを開ける。
立っていたのは宅配便のお兄さんだった。
勢いよく開けすぎたので、少しだけ驚いた表情を浮かべながら、伝票にサインを求めてきたので快く応じる。
「ありがとうございました」
とお互いにお礼を言い、宅配便のお兄さんを見送った。
後に残されたのは小さな段ボール箱を抱えて玄関マットに立ち尽くす僕だけだ。
なんの荷物だろう、と箱に貼られた伝票を確認すると、僕宛で親展と書かれていた。
「……」
送り主は、望月カフカ。
「カフカ……?」
僕は思わず彼女の名前を呟いて、急いで箱をその場に置いて、ガムテープを急かされるように剥がして中を開けた。
入っていたのは一冊の茶色い本とノート、それから便箋だった。
茶色い本はカフカが綴っていた彼女の日記で、
ノートは表紙に漢数字の四と書かれた彼女の創作ノートだった。
なぜこれが送られて来るのか、混乱したまま僕は便箋の裏面に書かれた『望月カフカ』という文字を見て、静かな喜びを覚えた。封を切り、中の手紙を取り出す。糊が強く、封筒の切り口はビリビリになった。
流麗な筆致に丁寧に綴られた文章。
カフカの直筆の手紙で間違いなかった。
『拝啓』
その文字をみた瞬間、目頭が熱くなるのを感じた。グッと堪えて、目を動かす。
網戸から夏の風が廊下にまで優しく吹き込んでいた。セミの声が風に乗ってこだました。震える手で手紙を持つ。
『あなたがこれを読んでいるということは、全部が全部、そううまくいかなかったということです。
遅かれ早かれそうなる運命だったので、避けられないことに関してとやかく言うのは時間の無駄です。』
文字は彼女の言葉として、彼女の声になって、僕の鼓膜で弾けた。
『あなたにいくつかお願いがあって、この荷物を託しました。叶えてくれとは言いませんが、あなたに知っていてほしかった。
茶色い本は最期の二年間を綴った日記です。冬の図書館で持ち主の許可なく中身を読んだあなたなら、私の隣に常に絶望が鎮座していた、ということもご存知だと思います。
何をしても、どこにいこうと、ソレは常に私に付きまとい鎌首をもたげてニタニタと笑っていました。それでも私が最後まで楽しく過ごせたのは、私を支えてくれたたくさんの人が、私が笑顔でいてほしいと願ってくれたからだと思います。心から感謝してますが、きっとここにありがとうと書いても伝わることはないと思うので、日記に全部の思いを託して、あなたに読んでほしいと、ただそう思いました。
隠していたい個人的な出来事や心情がたくさん綴られた日記帳ですが、私がこの世からいなくなれば、結局それを恥と思うこともないので、どうぞ中身に関しては自由にしてくださって結構です。
ただ欲をいうなら、あなただけに知ってほしくて、出来ればそれ以外の他人には見られたくありません。ワガママかもしれませんが、それが今の私の純粋な思いです。
もう一つの荷物、四番目のノートに関しても、特に多くの説明をする必要はないと思いますが、一応付け加えておきます。
ソレは私の『原動力』であり、『世界』で『想い』で『言葉』です。
最後まで書くことは出来ませんでしたが、想い描いていた流れをラスト数ページに残しました。
もし、私が居なくなった後の世界で、私の残した物語の続きを多くの人が知りたいと願ったのなら、私の代わりにそれを発表してくれると、凄く嬉しいです。私はただ物語を読んでもらうためにずっと綴って来ました。ただソレだけのために、私はペンを握り続けたのです。
誰かが私の作ったストーリーにやきもきしてワクワクして妄想してくれる、想像しただけで、こっちも楽しくなってきます。
もし、続きを望む声がないのならば遺稿は燃やしてください。間違ってもフランツカフカの友達のように世に送り出すなんてことはしないように。それはありがた迷惑です。
最期に思い出だけを語ろうと思います。
ワガママばかり言ってごめんなさい。
偉そうなことを言ってごめんなさい。
下らないことを言ってごめんなさい。
あなたは私の狭い世界を広げてくれた、ただ唯一の人です。
海辺へ連れていってくれてありがとう。
宇宙へ連れ出してくれ、ありがとう。 面と向かって言うと照れてしまうから、手紙にして残します。
ありがとう。
あなたと過ごした数日はそれまで生きてきた十数年より、ずっとカラフルで色づいていました。
人はなんのために生きるのか、その目的を探るために死なずにいるのだと思います。
だから、きっと、意味を見いだすことができた私は幸せです。
チョコレートを持ってきてくれてありがとう。
あのときあれを受け取ってしまうと、未練が生まれてしまうと思って冷たく突き放してしまいました。本当はあなたとずっと話がしたい。バカな話をずっとしていたかった。だけど、私は去っていく人だからあなたの人生を邪魔するわけにはいかないから。そう思っていたのに、あなたという人はまったくしつこいです。
私がどれだけ振りほどいてもあなたは必ず私の手を握ってくれます。私の前を歩いてくれます。隣で支えてくれます。後ろで私の背中を押してくれます。
もう一日だけ、時間があるのなら、キレイな体を持って、あなたとずっと海辺を歩きたい。疲れるくらい延々と歩いて、海岸線をのんびり散歩したい。
そして、一緒に笑って、水平線に沈む夕日を見て、そして死にたい。
叶うことなら、そういう風に去りたかった。
でも、きっと、私がいなくても、時間は前に進み、あなたはちゃんとした大人になるから。
大人になったあなたの側にいる誰かが私の歩めなかった未来を歩んでくれるのならば、私は嬉しいです。
ちょっぴり悔しいけど、あなたが幸せでいてくれることが私の望みです。
こんなに、長く書くつもりは無かったのに、」
文字は歪み、紙は水で濡れたようにふやけていた。続けて次の行にこう書かれていた。
『あなたは私にとって大切な人でした。
伝える言葉シンプルな方がいいのに、長くなってしまいました。
最後にひとつだけ、あなたとひまわり畑に行きたかった。
……なんだか、願い事ばかり書いてしまって未練たらたらのが丸わかりですね。
私のことは忘れてください。あなたの迷惑になるなら、記憶から削除してください。
ありがとう。さようなら
七月二十一日
初夏の淡い昼下がりにて
望月カフカ』
手紙はそこで終わっていた。
僕は彼女の存在を確かめるように、一度だけ涙を流した。
蝉時雨が室内に響く。
近くの小学校から子供のはしゃぐ声がした。僕らを置いて日常は滞ることなく進んでいく。
手紙はカフカの素直な感情が綴られている、ような気がした。
僕はこの後どんな気持ちで過ごせばいいのだろうか。どんな顔をすればいい。
忘れられるわけがない。
こんな手紙をわざわざ僕に寄越して、彼女はなにを考えているのだろう。
「ズルいよ」
静かだった。僕の意識が遠くへ行くように、辺りは一転無音になる。夏真っ盛りの外は騒がしいはずなのに、僕は目眩がするくらいの静寂に包まれていた。
お礼を言うのは僕の方だ。
別れの言葉は絶対に言ってやらないが。
手紙をそっと胸に抱いて、僕はただ巡る季節に思いを馳せた。




