15 天ノ川ディストピア
科学館から外に出ると生温い風が頬を打ち付けた。空は青く澄んでいる。
駐車場の軽自動車を目指して歩く。ナツメは座席を倒して昼寝をしていた。窓をノックすると体をビクリと震わせて、上体を起こした。
「おまたせ」
僕は助手席、カフカは後部座席に座る。
ナツメは寝ぼけ眼で僕のことを見ると、大きくあくびをした。
「楽しめました?」
「ああ、お陰さまで。長く待たせてごめんね、それじゃあ、行こうか」
「あー、えっと、プランにあるひまわり畑なんですが、行けそうにないっす」
「ん?」
香川さんのメモに記載されていたひまわり畑は経営不振により、昨年閉園したとのことだった。
計画が大きく狂った。指針を失った船はどういう航路を辿ればいいのか、真夜中の海に放り出されてしまったみたいに、僕は頭が真っ白になった。
「とりあえず、お昼ご飯食べにいきましょ」
当初の予定はひまわり畑の園内にあるおしゃれなフードコートで食事をとる予定だったのだが、無言になった僕へのナツメからの助け船はありがたかった。
チェーン店のイタリアンレストランに移動する。いつかナツメと食べたところと同じだ。店舗は違うが、安定した味を堪能することができる。
「ひまわり畑は残念でしたねぇ」
店員に注文してから、ナツメは呟いた。
「そうだね」
このあとどうしようか、と必死に頭を悩ませるが答えが浮かばなかった。
「そうだ。これ、待ってる間に暇だから描いたんっすけど、よかったら貰ってください」
差し出した紙にはひまわりに囲まれて笑顔を浮かべる僕とカフカの絵だった。鉛筆で描かれている。さすがとしかいいようがないくらい上手かった。プロフェッショナルだ。
「妄想なら潰れた場所へも自由に行けるんすよ!」
鼻息荒くナツメは拳を握った。
絵からは愛情が滲み出ている。
「何をバカなことを言ってるのよ」
カフカはドリンクバーのココアに口をつけ、目を細めて呟くみたいに言った。
「ひまわり畑なんて日本中にあるわ。そこが潰れてるのなら別のところにいけばいいじゃない」
「自分もそう思って調べたんですけど、全部ここからだと遠いんっすよ。お金もないんで今日は行けそうにないんです」
「それならまた今度ちゃんと時間を作って行きましょ。もうすぐ夏休みでしょ? すぐは無理でも、時間はあるわ」
カフカはカップをテーブルに置いて、僕をジッと見つめた。
「そうでしょ?」
確かめるような目付きをしていた。
僕は未来を信じる彼女のその言葉が嬉しくて、大きく頷いた。
食事を取りながら三人で馬鹿話に夢中になった。古い漫画や映画や音楽、小説やゲーム、話に一貫性はなく流動的にトークテーマは移り変わった。
楽しかった。
一時間程度会話が弾み、お皿が空になるころ、次の目的地はどうしようか、話題は振り出しに戻った。
時計の針は一時を過ぎたぐらいで、遊び時間はたっぷりとある。
カラオケ、ダーツにボーリング、ナツメがにこにこ笑いながら遊び場を提案していくが、カフカは一言「帰りましょ」と告げて立ち上がった。
このままグダグダやっていても無駄、というカフカの冷淡な意見が採用され、此度のデートは終了ということになった。
少し寂しいが、カフカらしいその提案を受け入れる。
ナツメの車に乗って日常に送ってもらう。
短かったが楽しかった。
素直にそう思える濃密な時間だった。ナツメの運転も後半には慣れてきて、そういうアトラクションだと思えば楽しめた。
僕の家について、車から出るときカフカが照れ臭そうに頬を赤く染め、お礼を言って、メモ用紙を差し出してきた。
一番最初に香川さんからもらった科学館の住所が書かれたメモだった。
「それじゃあ、また」
「ええ、またね」
短い挨拶を交わす。いつも通りだ。僕らの間に特別な言葉は必要ない。
時間という流れに乗って、ゆっくり大人になるだけだ。
小さくなっていく空色の軽自動車を見送ってから、僕は自宅のドアを開けて靴抜きでスニーカーを脱いだ。
部屋に戻る前に香川さんのメモをなんとなしに広げてみる。
はじめは無かったものが綴られていた。
「これ……」
耳が赤くなるのがわかった。
鉛筆で書かれたそれはカフカのメールアドレスだった。
即刻連絡をとったのは言うまでもないが、返事が帰ってきたのは夜遅くになってからだった。
内容はシンプルに『楽しかったです』というものだった。あんな生意気な口調なくせして、文字になると敬語になるところが、なんだか妙に可笑しかった。
全国の男子学生がそうであるように、僕は彼女のメールに一喜一憂するようになった。
返信速度はそれほど早くないし、お互いメールの速度に差があるので、会話というよりまさしく文通のような感じだったが、それでも彼女からのメッセージ通知は本当に嬉しいものがあった。
子供みたいだが、自分の感情に嘘はつけない。
メールを通じて、僕らはより一層仲を深めた。僕らの関係性に於いて、それはもう上手くいっていたのだ。
彼女と連絡を取り合えるようになって、お見舞いもピンポイントに行けるようになった。検査やら投薬などで、一日のうちの僅かな時間だが、彼女は僕に会ってくれた。
下らない話で薄く微笑むカフカを見て、僕は胸を高鳴らせた。
そんな感じで三日間過ごしていたら、あっという間に彼女が手術をする土曜日を迎えていた。
土曜日は雨だった。
ずっと青空が続いていたのに、ずいぶん久しぶりの雨だった。灰色に塗りつぶされた空を憂鬱な気持ちで見上げる。
雨粒は絶えることなく、金曜の夜から地面をえぐるように激しく降り続いている。古い映画のフィルム傷みたいだ。
本当は病院に行きたかったけど、手術中はもちろんその前後も面会謝絶になるらしく、来ても無駄と釘を刺されていたので断念した。
カフカから手術を受ける一時間前にメールが届いた。
『ひまわり畑、約束したからね』
彼女らしい端的な一言だった。
夜には降り止んだ。雨上がりの夜空には幾千の星が輝いていた。ひんやりとした空気に静かな夜だ。
本物の星空。
ガラでもないが、僕は星に彼女の無事を祈った。神様に祈った。どこかの星の誰かにすがるように祈りを捧げた。
雨に濡れた草の匂いが夜風に乗って室内に吹き込む。
無神論者のくせして、ムシのいい話だってわかっているが、僕にはそれぐらいしかできることが無かったのだ。
手術が終わったらメールをくれると約束していたのに、カフカからの連絡は来なかった。
その日も、次の日も、そのまた次の日も、メールは来なかった。
手術かうまくいったのか、……もしくはその逆か。
結果を知らされないまま週末を過ごした。




