13 動的デート
テスト休み期間中は、補修の連絡がいつ来るかわからないので、家で待機していなければならない、とされているが、一歩も外に出るな、なんて無理がある。なぜなら僕は高校生で、夏は開放的な気分になるからだ。
十時に喫茶店プラージュと約束していたが、三十分前についてしまった。
モーニングコーヒーを注文し、文庫本を開く。ずっと読もうと思って読めずにいた井伏鱒二の『山椒魚』だ。
朝なのに喫茶店の中の時間は水の中にいるみたいにゆっくりと流れていく。
短い短編だったので、すぐに読み終わった。
ユーモラスで面白い作品だったが、あまり記憶には残りそうもない。
コーヒーを飲み終わり、おかわりを注文しようかと迷っていたところ、入り口の鈴がチリンチリンと音をたてた。顔をあげると、白いワンピースを着たカフカが店内に入ってくるところだった。
私服姿をみるのは久しぶりだったが、胸が高鳴るくらい似合っていた。
カフカは店員の案内を「待ち合わせです」と断って、「お待たせ」と僕の正面に腰を落ち着けた。
柱の壁掛け時計を見ると、待ち合わせ時刻ピッタシだった。
「遅かったね」
と、遅刻ではないが、冗談めかして言うと「ルロイ修道士をリスペクトしてるの」と応えられた。
「誰だっけそれ。なんか聞いたことある気がするんだけど」
「プレーンオムレツ愛好家のカナダ人よ」
椅子を引いて正面の席に腰をおろした少女は穏やかな微笑みを浮かべる。
謎が深まっただけだった。
店員が注文を聞きに来たが、カフカは「待ち合わせをしていただけなので」と断って、僕に店を出るように促した。
「もう行くの? 朝ごはんぐらいならおごるよ」
プラージュのモーニングセットはなかなか旨い。トーストにコーヒー、スクランブルエッグとサラダがついて三百五十円だ。
「時間は有限なの。ちゃっちゃっか行きましょう」
伝票を持って、レジにて精算する。店員の「ありがとうございました」を背中で受けて、外に出ると、ムアッとした夏の熱気に取り囲まれた。
カフカの雪のように白い肌が太陽に照らされる。
「今日は暑くなりそうだね」
少しも日に焼けていない少女の肌を見て、日焼けでもしてくれたらいいのにな、なんてバカなことを考えてしまった。
「それじゃあ、駅に行こうか。ここから電車で三十分ぐらいのところに科学館があるんだ」
「いやよ」
断られた。
「はい?」
まさかの展開に脳が追い付かない。
「車で行きましょ」
「……」
イヤな予感がした。
カフカが指差した先には空色の軽自動車があり、路上駐車していた。貼られた若葉マークが太陽に照らされ輝いていた。
さも当然のように助手席のドアを開けてカフカは座る。
おい、まさかだろ。
言葉に出来ず、その場に立ち尽くしていると、運転席のウィンドウが開いてナツメが軽く手をあげた。
「乗る前にボンネットをボンボン叩いてくれません?」
「え、なんで?」
「猫ちゃんが下に入ってるのを防ぐためっす!」
免許取り立てのマニュアル人間の指示に従ってから、後部座席に着席する。
「まずは科学館っすよね。そのあとはひまわり畑。昨日アプリで予習してきたんで安心してください!」
「ナビをいれよう」
ナツメが自信満々な時はろくなことにならないと短い付き合いで学んだ僕は備え付けのナビに科学館の住所を入力した。
「前よし! 右よし、左よし! 上よし、下よし! 発車します! 科学館に向かって出発進行!」
保護者同伴だなんて雰囲気ぶち壊しにもほどがある。この間からナツメは僕らの邪魔をして楽しんでいる節がある。
昨日と同じようにエンジンを一度ふかしてから、ナツメの「スカイハイ号」はゆっくりと動き出した。ネーミングセンスとドライビングテクニックを磨いて出直してほしい。
「いやぁ、ほんとは二人きりで楽しんで欲しかったんすけど、ちょうど暇だったし、センセーに頼まれたんで、すみませんねぇ」
ニタニタと笑いながら言われた。うるさい。
「ま、まあ、僕も電車賃が浮いてよかったです」
精一杯の虚勢をはって、返事する。
僕のよこしまな想いが見透かされているようで、くやしかった。
「センセーったら照れちゃってまったく素直じゃないんだからぁ」
「歩くのがめんどくさいだけよ。車ならのんびりしながら行けていっ、……!?」
曲がり角でハンドルを切りすぎたのをあわてて修正したので、車体が左右に大きく揺れた。
「い……?」
カフカは青ざめている。本当にのんびりいけると思っているのだろうか、さっにから僕は冷や汗が止まらない。
「あー、すみません、運転まだ慣れてなくて」
「……嘘でしょ……」
カフカの誤算はナツメが免許取り立てということを失念していたことだ。
「そういえば教習の教科書のコラムで知ったんすけど、ウインカーを点けるときカッチカッチって音が響くじゃないすか。あれって緊張してる時の心臓の鼓動の間隔と同じになってるらしいんすよ。ウインカーを点けるときに油断しないで運転に集中させるための工夫なんですって、面白くないっすか?」
面白くない上に、そんなもの無くても同乗者の緊迫感はマックスだ。ナツメはカフカが指摘しなければサイドミラーを畳んだまま運転を続けていたことになる。
免許取り立ての運転は恐ろしい。大通りではノロノロ運転してるのに、市街地とか狭い道とかでスピード出すから意味不明だ。
カフカは無言になって、ずっと青ざめている。緊張感がやばい。恐怖で奥歯をカチカチ鳴らす音のほうが、よっぽど心臓の鼓動とリンクしそうだ。
どうにか車内の変な空気を解さなきゃと考えていたら、映画で見た面白い話を思い付いた。
「そういえば車は20世紀のタイムマシンなんだってさ」
「パーフェクトワールドっすね! 自分好きなんすよ! クリント・イーストウッドにケヴィン・コスナーの演技が光る名作っす」
ナツメのほうが反応した。あんたは頼むから運転に集中してくれ。
「どういうこと?」
「母子家庭で厳しくしつけられてきた幼い少年を脱獄囚が人質にして逃走するんですか、いつしか二人の間には親子愛にも似た友情が芽生えていくんす」
僕より先にナツメが粗筋を説明し始めた。頼むから黙っててくれ。
「そ、そうじゃなくて、タイムマシンってくだり」
悪路でもないのに、車体がガタガタと揺れる。「ああ、それは」と声をあげようとしたナツメを制して僕が説明をする。
「車は前に進み続けてるだろ。つまりフロントガラスに映るのは未来で、リアウィンドゥに映るのは過去。早く未来に行きたいのならアクセルを踏んで、のんびり行きたいのならブレーキを踏めばいい。そして、車を降りたところが現在になるんだ」
「ふぅん。面白い考え方ね」
常に現在が移動し続けているとカフカは病室で言っていた。少しだけ考え方のヒントになればいいと思ってした小噺だ。
「いやぁ、ほんっと泣けるんすよ。いい映画っす! 特に最期のシーンがもうほんと、クリント・イーストウッドって神っすよねぇ!」
雰囲気をぶち壊すナツメの口にガムテープを貼りたかった。
科学館は都心から離れた郊外にある。車通りも少ないので、初心者ドライバーの運転でもそれほど恐怖を感じず、進むことができた。
ついたのは十一時になる前だった。
平日の昼間は空いていて、駐車場はガラガラだったが、大型のバスが何台か止まっていて、小学生や幼稚園の団体がちょうど出ていく最中だった。遠足かなにかだろうか。閉めきったガラス窓すら透過してわーわーと元気な声が車内に響いた。
「よーし、それじゃ車庫入れするっすよ!」
謎の気合いを入れてからナツメは車をバックで駐車し始めた。ガラガラなのでどこにでも停めたい放題なのに、わざわざはじっこを選んでバック駐車しようと奮闘している。三回切り返してようやく停めることに成功したナツメは大きく息をはいて、「……ミッションコンプリート」とハードボイルドな口調で呟き、ギアをパーキングにいれた。
「いやぁ、駐車は六本目のバーが見えたらって習ったのに、本番は見えませんねぇ!」
謎の感想を漏らされた。
「それじゃあ、行きましょ」
運転手よりもヘトヘトな顔したカフカがドアを開けて外に出る。僕もシートベルトを外して、ドアを開ける。
「行かないの?」
運転席に腰かけたまま動こうとしないナツメにカフカが前屈みになって訊ねた。
「ここで待ってるっす。ちょっとやりかけの仕事もあるんで」
ナツメはそう言うとダッシュボードからパッドを取り出し、シガーソケットから伸びる充電ケーブルを挿入した。
「お二人で楽しんできてください」
「せっかく来たのにもったいないわよ」
「まあまあ。これ以上デートを邪魔するとさすがに野暮ってやつですし、いまも十分楽しんでるんで平気っすよ。それにプラネタリウムって途中で寝ちゃうんで苦手なんすよ」
ニタニタ笑いながらナツメは僕にウインクしてきた。




