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終わりなき物語と語り部の夢  作者: 上葵
星と彼女と強がりと
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8 説得アナリシス


 夜舞さんとランチを終えて、再び僕は望月カフカの病室に向かうことにした。

 無理矢理手術を受けさせることはできるが、本人の気力が大事なのは言うまでもない。

 彼女は何度も待ってほしい、と繰り返してきたらしい。延期を重ねて、待てるギリギリが来週の土曜日なのだ。

「きっと手術が怖いのよ。励ましてあげて」

 と夜舞さんは言っていたが、カフカが臆病になる性格とは思えなかった。シャツを貼り付ける汗が、冷房で冷やされ気持ち悪かった。

 この季節は毎度毎度建物の外と中との気温差にびっくりする。

 寄り道することなく院内をまっすぐ進み、カフカの病室をノックする。

「どうぞ」

 と返されて、扉をスライドする。カフカは呆れ顔で僕を見た。

「さっき帰ってって言わなかったっけ? 記憶と鼓膜のどちらが不良なの?」

「たしかに言われたけど、検査なら午前中に終わったって夜舞さんに聞いたぞ」

「……はっきり言わないとわからないの? 一人にしてほしいの」

「小説を書いてるからか?」

 机の上にはノートと筆記用具が転がっていた。消しカスが綴り目に溜まっているのが見えた。

 彼女は執筆をするとき、いつも一人になりたがった。

「……」

 無言でしばし見つめあう。

 誤魔化せないと判断したのか、観念したように口を開いた。

「……ええ。そうよ。筆が乗って来たところなの。だから邪魔をしないで」

「ストーリーが決まったの?」

 僕の質問に嬉しさを隠せないといった風に「むふふ」と含み笑いをした。

「ええ。サイコーの展開を思い付いたの。しっくり来る納得のデキよ」

 新しいオモチャを買って貰った子どものような笑顔を浮かべている。心底書くのが楽しいのだろう。そういう顔だ。

「だから……」

「?」

「だから手術を受けたくないのか?」

 カフカはバツの悪そうな顔を浮かべた。

「違うわよ。別に書きたいから手術を待ってほしいわけじゃない」

「書き上げたいんだろ?」

「……妙に勘が鋭いのね」

 僕の言葉が冷や水になったらしい。少女は笑顔を凍らせて僕を睨み付けた。

「小説ならいつでも書ける。何を焦ってるんだよ。手術が終わって健康になってから書けばいいじゃないか。読者もそれくらい待てる」

「中途半端な終わり方は良くないと言ったのはあなたよ」

「そこで終わるわけじゃないだろ」

 線香花火は燃え尽きる寸前、一番明るく輝く。なんてろくでもないことを考えていてしまった、

「無理して書けば体を壊してしまうだろう。なによりもまず健康が、」

「そんなのは健康しか知らないやつのセリフだわ」

 カフカは僕の言葉に被せるように、不機嫌そうに続けた。

「未来を妄信的に信じてる、あなたたちにはきっとわからない」

「無理しなければ未来は来るだろ」

「時間の経過とともに現在が移動しているだけよ。遠い先を信じているあなたたちにはこの一秒の大切さがわからないのよ」

「そうかも知れないけど、君にだって未来はある」

「世迷い言よ。愚かだわ」

 ヒステリックに彼女は叫んだ。

「あなただけじゃない。みんな、みんなどうして明日が来るって信じてやまないの? 隕石が落下して地球が滅びるかも知れないのに、どこかの国がミサイルを発射するかもしれないのに、なんで世界が平和だと信じてるの? 明日世界が終わるとしたら、来週末の手術の予定なんてたてるわけがない」

「ミサイルなんて飛んでこない。なんでそんな生き急いでるんだ」

 彼女はそのままの意味で、『今』を生きると言っているのだ。

 そんな刹那的な生き方を僕は認めたくなかった。

「消えてしまう前に、産み出した物語の結末を描かなければならない。それが作者の義務だから」

「悲観的になるなよ。大丈夫だ。根をつめる必要はない」

「……話しても無駄ね。出てって」

 熱くなっていた彼女の表情が一気に冷めていくのがわかった。

 少女はなにも言わずノートを前にして、ペンを持った。

「一分一秒も無駄に出来ないの。さようなら」

 なにか言いかけて、なにも言うべき言葉が見つからず、逃げるようにカフカの病室を後にした。


 窓の外には夏が広がっているのに、冷房が利いた廊下はまるで冬のようだった。

 結局なにも言えなかった。

 僕は背中を白い壁に預けて、どうすればよかったのかを必死に考えたが、答えが浮かぶことはなかった。


「また来てくれ」

 廊下の奥から若い男性の声が聞こえた。それと誰かがすすり泣く声。

 顔をあげると、病室から香川さんの妹と二人の男女-おそらく両親だろう-が出てくるところだった。

 妹さんはしきりに鼻をならし、目元をぬぐっている。どうやら泣いているらしい。それを支えるように父親が彼女の肩を抱く。

 よたつきながら、彼らはエレベーターホールに消えた。

 窓の外の木陰が風に揺すられている。

「……」

 悪寒が走る。

 重たい足を引きずって、香川さんの病室を覗いてみた。

 白衣を着た医者が一人残って香川さんと話をしていた。

 低くか細い声だったので、内容はよく聞こえないが、香川さんは無表情で淡々と医者の言葉を聞いている。

 ふいに香川さんがなにか冗談を言ったらしかった。張りつめた表情をしていた医者は笑い、廊下に出ようと歩き始める。

 僕は慌ててドアの隙間から顔を外し、なんでもない表情をつくって横にずれる。

 ドアを開けて出ていく医者が僕を訝しむような目で見て、去っていく。

 状況が読めなかったが、僕は帰ることした。

『やあ、そこにいるんだろ』

 気配を隠したつもりだったが、通じなかった。

「隠れてないで話そうぜ。出てこいよ」

 青い顔でげっそりとした香川さんがニコニコと笑っていた。


「あの……、大丈夫ですか?」

 そんなに長く顔を見なかったわけではないのに、以前会ったときよりもやつれているように見えた。

「ん? 今朝倒れたけど、この通り戻ってきたぜ」

 なにも言えない。ダメだ。僕は。言葉につまってしまう。

 こんな辛い気持ちになるなら、病院に来るのはもうやめよう。

 首筋から全身に冷たい血液が巡るような錯覚が起こった。

 僕は勘違いしていたのだ。

 誰かと触れ合いたいのなら、児童館やコミュニティセンターに行けばいい。絶望と希望が渦巻く病院は遊び半分の気持ちで来て良い場所ではない。

「避けられないことについてとやかく感じるのは愚かだぜ」

 愚か。

 カフカもそう言っていた。

 他人をバカにするときに使う言葉だ。未熟者を蔑むために使う言葉。僕にぴったりだ。

「……なんだよ、その顔。悪いもんでも食べたのか」

 笑えない冗談を言って、香川さんは続けた。

「座れよ。話そう」

 彼は机の椅子を指差した。

「それより、君らすごい言い合ってたな。こっちにまで声が聞こえたぞ。空気読め空気」

「すみません」

 椅子に腰掛けて、僕は頭を小さく下げた。

「……元気がないな。なにがあったんだい?」

「別に大したことはありませんよ」

「……そうか」

 香川さんはそう言って、枕元に置いてあったスマホを掴んだ。

「プラネタリウムに行きたいな」

「突然なんですか?」

「俺が物理学を志したのは小さい頃遠足で行ったプラネタリウムがきっかけなんだ。広い宇宙はロマンだ。どんな悩みや辛さも宇宙に比べた等しくチリのようなものだ」

「……たしかにそうかも知れませんね」

 香川さんと話していると物事は解決していないのに、なんだがすごく癒される。

 僕が出会ってきた誰よりもきっと大人なのだろう。

「宇宙の神秘を探る者は何度も何度も失敗している。挫折を繰り返して前へ進むんだ」

 明るい昼間に星は見えない。無いものを探すように香川さんは青い空を見上げた。

「昔は地球を中心に太陽が動いていると考えられていた。でも、いまは間違いだと誰もが知ってる。……本当にそうなのかと疑ったことはないかい?」

「地動説をですか?」

「例えばだよ、君は海外旅行に行ったことはあるか?」

「ないです」

「じゃあ、もしかしたら本当はアメリカなんて国は存在しないのかもしれないな。メディアが作り上げた架空の国だとしても、実際に行ったことない君に判断をつけることは不可能だ」

「えーと、思考実験ですか?」

「違う違う。教科書だけが真実とは限らないって話だ。宇宙は未知で溢れている。真実をロケットが切り開いていくんだ」

「教科書が間違ってたら文科相とPTAがぶちギレるでしよ」

「俺が言いたいのはつまり世の中を疑えってことさ。真実は自分の体験によって構築されるんだ。常識にとらわれてるようじゃ宇宙にはいけない。地球軌道ランデブーではなく、月軌道ランデブー。物理学は疑って疑って疑って自分が本当に納得できる答えを探す学問なんだ」

「よく、わかりません」

「プラネタリウムの星空は天動説なのに、なぜ君は地動説を信じているのか?」

「えっと、だって、そうやって教わったから……」

「君が信じていれば地動説だって天動説になる。宇宙に行った人だけが、真実としての地動説を唱えることができるんだよ」

「なんだか哲学みたいですね」

「トライアンドエラーだ。望む回答が得られるまで、君はアタックし続ける権利がある。信じる道を進めば良い。宇宙を解き明かしてきた者はいつもそうしてたんだ」

「僕は別に宇宙の神秘を解き明かしたいわけじゃないですよ」

「じゃあ、なにがしたいんだ?」

「僕はただ……」

「ただ?」

 大晦日に見た海に浮かぶ星空を思い出す。

「彼女に笑っていてほしいだけです」




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