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終わりなき物語と語り部の夢  作者: 上葵
星と彼女と強がりと
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5 兄妹コレクト


 月曜日。気だるくて退屈な週始め。ちらほらと生徒が教室に集まってくる朝の時間。


 朝日がカーテンを映画のスクリーンのように白く輝かせていた。

 止まらないあくびを手のひらで隠し、朝の準備をしていると、金曜日の続きの雑談で盛り上がるクラスメートたちの間を縫うようにして、教室に異質物が紛れ込んでいることに気がついた。

 前の入り口から我が物顔で他クラスの女生徒が入ってきたのだ。リボンの色でわかったのだが、一学年下の後輩だ。

 勇気がある子だな、と思った。

 いくら知り合いがいようと、他のコミュニティに足を踏み入れるなんてそうそうできることではない。

 艶のある黒髪に切れ長な瞳を持つ日本人形のような女の子だった。

 クラス中の注目を集める少女は一番前に座っていた男子に話しかけた。男子は戸惑ったように僕を指差す。

 状況が飲み込めなかった。

 少女は小さく男子に会釈すると、ずんずんと大股で僕の方に歩みより、ついには席の前で足を止めた。

 水を打ったように教室が静まり返る。目標対象物が自分だと思わなかった僕は小さく口内で「嘘だろ」と一人ごちていた。

「おはようございます」

「おはよう……」

 面識もない年下の異性にいきなり朝の挨拶を交わされた。にわかに教室がざわつき始めるが、それ以上に僕の心がざわついている。

「土曜日に病院に来ましたよね」

 予想外の問いかけに考えるより先に「ああ、はい」と頷いてしまった。

 柳眉が逆立つ。まるで親の仇を見つけたかのようだ。

「はっきり言います。迷惑です」

 台本を淡々と読み上げるように彼女は言った。

 意味がわからなかった。

「あの……いきなりなんの話ですか?」

 彼女は病院に『行く』ではなく『来る』と表現した。もしかしたら病院側の関係者なのだろうか、と無意味に脳を回転させる僕を落ち着かせるように、少女は続きの言葉を吐いた。

「兄のことです」

 兄?

 兄……。

 スマホ画面の横顔が脳裏によぎる。

「あ、ひょっとして、香川さんの!」

 合点が言ったところで、香川さん(妹)は辺りを見渡し、嘆息した。

 雑談を続けながらも、しっかりと聞き耳をたてるクラスメートの野次馬根性に呆れているらしい。

「ここではアレなので移動しましょう」

 少女はそう言って廊下に出た。仕方無いので僕もあとに続く。教室のドアを後ろ手で閉めると歓声が上がった。勘違い甚だしい。

 陰鬱な表情で登校するたくさんの生徒たちとすれ違いながら、僕らは廊下をどんどん進んだ。

 香川さんに見せられた写真の通り、端正な顔立ちをしていたが、少しだけ性格きつそうだった。同じ学校だとは思わなかったが。

 階段の踊り場まで来ると少女は立ち止まって僕を睨み付けた。

「兄に卑猥な本を与えたみたいですね」

「あー、そのことか」

 歩きながら考えていたが、嫌な予感は当たるものである。

「汚らわしい。看護師さんの前で取り乱す兄を見て、私がどれだけ恥ずかしい思いをしたか」

「申し訳なかったね……。でも僕も頼まれて仕方なかったんだ」

「アナタの余計なお節介のせいで、私は兄の……いえ、やめましょう。ともかく、甘やかさないでください」

 心中は察するに余りある。

「以後気を付けます」

「持って帰ってください」

「ん?」

「あの本はアナタの持ち物なのでしょう? 兄が吐きましたよ。無理矢理アナタから渡されて、友情に背くわけにはいかないから仕方なく使ってたんだって」

「自己解釈が酷いな……」

 死者に鞭打つのも忍びないので、特別に真実は飲み込んでおくことにしよう。感謝してほしい。

「とにかく、あんな俗物的なものは早々に処分してください。迷惑です」

「はい……」

 なんで僕がこんな目に合わないといけないのだろう。

 ため息をついた瞬間、校舎内に始業のチャイムが鳴り響いた。



 その日は最悪な気分だった。英単語を読み上げても、数式を解いても、化学式を見ても、古典を暗唱しても、ずっと香川さんのことが頭から離れなかった。モヤモヤが募っていく。

 別に急かされるわけではないが、放課後、僕は早速お見舞いに行くことにした。

 セミの鳴き声が響く大通りを通り、白い建物を目指して歩く。熱されたアスファルトから陽炎が揺蕩っていた。

 速度超過した原付が、車道を気持ち良さそうに疾走していく。あんな風に僕も憂鬱を振り払えたら最高なのに、と遠ざかるライダーにため息をつく。

 頻繁に病院に通うのは気乗りしなかったが、エロ本を回収しないと妹さんにどやされそうで怖かったのだ。

 病院についたのは、学校を飛び出してから一時間ほどしてからだった。

「どーぞ」

 ノックをしたらすぐに入室の許可を貰った。香川さんは見舞い客に一瞥もくれず、サイドテーブルにノートを広げ、ガリガリとペンを動かしていた。

「あの……」

「ちょいまち!」

「……」

 何をしているだろう。近づいて、そっと覗き込んでみる。

 見たこともない数列がたくさん並んでいた。

「なんですか、これ」

「ひも理論のホログラフィック原理について論文を書いてるんだ。少し待ってくれ、もうすぐキリのいいところに、よーしよしよし、おし、いいぞ。オーケー。なんだい」

 わけのわからないことを言ってから、香川さんは顔をあげた。


「おー! 心の友じゃないか。何しにきたんだい?」

 僕を見やった彼の瞳は少年のように輝いている。生憎だが心の友になった記憶はない。

「先日お渡しした本を回収しに来ました。お金返すんで」

 端的に要件を伝えると、上機嫌に綻んでいた頬がみるみる強張っていくのがわかった。

「……そんなまさか嘘だろ。そうか、菜種(なたね)の差し金だな。絶対に渡さんぞ! あれは俺の物だぁ!」

 腕をブンブンとふりまわす。子供か。

「妄想で我慢すればいいじゃないですか。得意でしょ。退院したら返しますから」

「なにをバカなことを言っているんだ。想像力は自分の持っている知識や経験がもとになっている。人間のアイデアが無限に出ると思ったら大間違いだぞ」

「まあまあ恥ずかしい体験するよりはよっぽどいいでしょ。妹さんに聞きましたよ。看護師さんに見られたって」

「ああ。ナースもので処理してるときにバッチリとね。個室のトイレを案内されたよ。彼女たちはすごいね」

「……そんなことは聞きたくありません」

「あえて言おう。最高であると」

 変態だった。僕が出会ってきた人の中でぶっちぎりのナンバーワンだ。彼の妹に現実を突きつけてあげたい。

「いいから本は没収です」

 たらったらったー、と脳内でスーパーひとし君の没収音が流れる。

「まて、落ち着け。交換条件だ。俺が生きてきた人生で一番驚いたとっておきの秘密を教えるから、それは勘弁してくれ」

「秘密、ですか? 結構です」

「おいおい俺は物理学者だぜ。宇宙の秘密を解き明かすのが職業だ。知りたくないか? 深淵で神秘の世界を」

 そう言って彼はベッドの横の棚の上にある籠に積まれたミカンを一つ鷲掴みにし、棒立ちの僕にソレを放った。反射で受け取ってしまう。

「これがなにか?」

「皮を剥いてみてくれ」

 見舞い用のパイプ椅子をベットサイドで組み立てて、言葉にしたがって腰を下ろす。

 ミカンを惑星にでも例えるのだろうか。少しだけ興味が出てきた。

 ミカンの底の中央から花を広げるように皮を広げる。柑橘類の良い匂いが広がった。

「剥きましたよ。それで食べるんですか?」

「バカいえ。薄皮もちゃんと取るんだ」

 会話の主導権を握られたので仕方ない。白い皮も剥き、缶詰用みたくツルツルになったそれをこれ見よがしに掲げて見せた。粒が宝石のようにキラキラと輝いている。

「よし、いいぞ。同じようにもう一粒、剥くんだ」

 素っ裸にされたミカンを僕は指でつまむ。

「できましたよ」

「そしてそれを二つ重ねる」

「なんの意味があるんですか……?」

「湿り気と柔らかさがちょうど女性の唇と同じ感触になるんだ」

「聞いて損した」

 二つを一気に口に放り込む。甘さと酸味が口内に広がる。美味しかった。

「ああ、なんて勿体ない。擬似的にキスができるのに!」

「宇宙の神秘とまったく関係ないじゃないですか!」

「誰も物理学の実験とは言ってないだろ。早とちりなやつだな。そんなに物理をやりたいのなら、ほら」

 ミカンを一個手に持ち、その場に落とす。ポスンとシーツの上に落ちたそれを見て、彼は「これが万有引力だ」と分かりきったことを言った。

「もういいですから、本はどこです? あ、その棚が怪しいな」

「まてまて落ち着け、よしわかった。とっておきの秘密を教えてやろう!」

「いえ、もういいですから……」

「いいか、あんまり言いふらすなよ。ナメック星人は口笛に弱い」

「ちょっと棚開けていいですか?」

「よし、少年。散歩にでも行こうか。最近運動しないからめっきり筋力が衰えてしまってね!」

 無理矢理な場面転換の言葉を吐くと、彼は勢いよく毛布をはね除けて、ベッドサイドに立つ僕の手を引いた。見え透いた誘導にしたがって、共に院内をぶらつくことになった。


「それにしてもキミはおかしいね。俺が高校生のころは寝ても覚めても女体……じゃなくて、えーと、異性のことを考えていたぞ」

「それは今もでしょ?」

「違いない」

 白い廊下をゆっくりと歩く。なんだか妙な気分だ。パタパタと忙しそうに走る看護師さんたちと対称的に患者はみんなゆっくりと行動する。

「少なからず僕だって興味はありますよ。それを表に出さないだけです」

「つまらない人間だな。人と仲良くなるには悪口か下ネタと相場が決まっているもんだが」

「苦手な人だっていますよ」

「取り繕う必要はないぞ。いいか、百五十年後には今生きてる人間は全員土に還るんだ。それなら今できることを楽しんだほうがいいに決まってるだろ」

 夏の病院は少しクーラーが利きすぎで、半袖だと肌寒い。二の腕を擦る僕を香川さんは優しく見つめ、

「よし、少年。いまからナンパに行くぞ」

「は?」

 突拍子もない提案をされた。

「な、なんで突然」

「孤独な心を癒すのには他人との交流が一番さ!」

 エレベーターホールで立ち止まり、香川さんはにたりと笑ってから、呼び出しボタンを押した。

 目的地がない僕らの院内散歩に行き先が設定されたらしい。

「入院してるくせにクラブにでも行くんですか?」

 ナンパなんてしたことない。

「外出許可を取ってないから怒られちゃうだろ。アルコールなんてご法度だしな。ロビーに行くんだ」

 到着したエレベーターに乗り込む。

 エレベーター内部の壁に貼られた鏡を使って、香川さんは髪型を整え始めた。

「……冗談ですよね。ナンパなんて」

「こんなところで嘘をつく意味ないだろ。安心しろ。今日はキミの記念日になる」

「まさかとは思いますが、病院のロビーで女性に声をかけるつもりですが?」

「男に話しかけるよりは楽しいだろ」

「不謹慎じゃありません? 看護師さんに叱られますよ」

「それこみで楽しもうじゃないか」

 ダメだ、この人ネジがいかれてる。

「病院でナンパなんて聞いたことありませんよ。入院患者なのにそんな元気見せちゃダメでしょ。って、鏡で髪型を整えるのやめてください」

「エレベーターに鏡がついてるのは身なりを整えるためなのさ」

 前髪を必死にちねっている。大して変化は起きていない。

「鏡は車イスの人が背後を確認するためについているんだと聞いたことあります」

「ちっ、知ってたのか」

 僕の声を無視して香川さんは髪型を整え続けた。エレベーターはやがてロビー階に音声アナウンスとともに到着した、

「さあ、行くぞ!」

 それはさながら船長がクルーに発破をかけるような声だった。


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