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終わりなき物語と語り部の夢  作者: 上葵
星と彼女と強がりと
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4 談義カテゴライズ


 あんな風に言われても、そもそもにして僕はカフカの居場所を知らない。彼女はもうすでに退院しているはずだし、連絡先を交換していないので、ミカンをお裾分けしてあげることもできないのだ。実に残念。ミカンは二つとも僕の胃に収まることだろう。

 白い廊下を歩きながら、浅くため息をついて、ある一室にかけられたネームプレートを横目で見てみた。

 そこはかつて彼女が入院していた病室で、いまは別の人の名前が下がっているはずだ。

『望月』

「……」

 望月カフカ。

 固有名詞を見つけたとき、僕は喜んだらいいのか、悲しんだらいいのか、よくわからなかった。

 やはり、まだ、カフカはここにいるらしい。

「……」

 外で会ったから安心していただけだ。結局、変わらない。

 とりあえず話のきっかけをくれた香川さんに感謝しよう。

 病室を軽くノックする。


「どうぞ」

 不機嫌そうな声が聞こえてきた。いつかよく聞いた声だ。沈んだ声が高くなることを祈って僕は下らない馬鹿話をよく吹っ掛けた。

 ドアを開けると、窓の向こうの青空を眺めるカフカがいた。一度もこちらに目をやろうとしない。艶のある髪が長く伸びている。

 網膜に焼き付いた光景が、実在するものとして目の前に存在していた。

「手術なら受けない」

 冷たく彼女は言った。言葉が飲み込めず、一瞬呆けてしまう。

「手術?」

「!」

 僕が尋ね返すと少女は目を丸くして振り向いた。目が合う。

「な、なんで、アナタがここにいるのよ」

「お向かいさんのお見舞いに……、それより、手術って」

「なんでもない。出てって。今は誰かと話す気分じゃないの」

「ま、まあ、そういうなよ。ほら」

 鞄からミカンを取り出し、テレビ雑誌の表紙みたいに掲げて見せる。幾分と小降りなそれを見て、彼女は眉を潜めた。

「私をなんだと思ってるの。そんなものに釣られないわよ」

「まあまあ」

 ぽんとミカンを軽く放る。放物線を

描くオレンジ色のボールを彼女は両手でキャッチした。


「これ美味しいわね。品種はなに?」

「さあ、言ってた気がするけど忘れた。今度聞いてみるよ」

 彼女の頬が綻ぶまで時間はかからなかった。単純なやつである。

 二ヶ月前、気胸の経過診察に訪れたときは転院したと聞いたのに、なんでまだ入院しているのかと訪ねたら、ココでしかできない手術があり、仕方なく戻ってきたとのことだった。


「お向かいさんと言ってたけど、家族の誰かが入院したの?」

 ミカンの白い筋を丁寧に取り除きながら彼女は訊いてきた。

「いや、僕が入院してた時、同室だった人がいてさ、いま向こうにいるんだ」

「……そう」

 少しだけ声を沈ませて少女はうつむいた。細く小さな手で、淡々と白い筋を取っ手行く。

「カフカ?」

「……たまにはアナタと雑談するのも悪くないかもね」

 無理矢理な場面転換の言葉を吐いて彼女は続けた。

「以前リドルストーリーという物語の類型があることを話したのは覚えてる?」

「尻切れトンボで終わるストーリー展開のことだろ」

「語弊がある言い方だけど、……まあ、いいわ。同じように物語にはパターンがある。

 日常に突然非日常が訪れる、エブリディマジック。

 タイムトラベラーが同じ時間を繰り返す、ループ物。

 少年は少女と出会う、ボーイミーツガール。

 いま挙げたのは各ジャンルの特定のパターンだけど、類型として物語は多くない」

 カフカは指を一本たてて、それを教師のもつ差し棒のように振るった。

「たとえばシェイクスピアの三十六分類が有名ね。でもそうなると、気になってこない?」

「なにが?」

「類型を分析をするということは、それなりのサンプル数がなければできないわ」

「たしかにそうだね」

 対象が一人なら統計学は使えない。

「だからこそ他から模倣される原点が存在する」

「原点?」

「これらの物語には必ず原点があるはずなの。原点があるから模倣が増え、いくつかの類型が生まれる」

 ミカンをパクリと口に放り込み、もぐもぐと咀嚼してから彼女は続けた。

「考えたことはない? 人類史上最高の小説があるとするなら、それはどんな話になるのかしら」

 窓の外は夏で蝉が鳴き、部屋の外ではパタパタと慌ただしい看護師さんのスリッパの音が聞こえてきた。

 人類史上最高の小説。

 これまた壮大な話だ。

「もし、本当にそんなものがあるとするなら、一度読んでみたいものよね」

 肩を竦め、少女はパクリとミカンを食べた。

「読者によって変わってくるだろ」

「言い換えるわ。絶対多数の人に最も好まれる小説。それはなにか」

「……聖書じゃないの?」

 思いっきり呆れ顔をされた。

 小説かどうかはさておいて、活版印刷の技術は布教のために発展したと聞いたことがある。わりかし自信ある解答をしたのに、カフカは納得いってないようだ。

「もういい。あなたに相談した私がバカだった」

 相談された覚えはないが、わりと真剣に答えたので、そう言われるのも心外だ。

 僕が言葉を装填する前にカフカは続けた。

「ただ今後の創作活動で有意義な意見がほしいだけだったから、アナタがその程度の意見しか出せないのなら詮も無い。私はただ書くだけだから」

 書くだけ。

「もしかして、いま、次回作の相談されてたの」

「さあね」

 ぷい、っと不機嫌そうに視線を外される。なんにもない青い空を眺めている。雲一つない良い天気だ。こんなに晴れるのも珍しい。

 猫に嫌われたみたいで、少しだけ悔しい気持ちになったので、話題を変えることにした。

「そういうキミのベストは? 名前にちなんでフランツ・カフカの変身かい?」

「読んだことないわ」

「僕もないけど……」

 あらすじだけは知っていた。ある朝、男が目を覚ますと一匹の巨大な毒虫になっていたのだ。

「そもそも彼は男だし、カフカはファミリーネームだし、作品はシュールだし。そんなの娘の名前につけるなんてどうかしてるわ」

「好きなんだろ。カフカが」

「……」

 呆気にとられたような表情を一瞬浮かべてから少女は捲し立てた。

「フランツ・カフカは生前はパっとしない人生の、若くして結核で死んだ男だった。彼の友人が作品を世に送り、大きく広げ、今日ではシュールで独特な世界観をカフカ風と呼ぶほどの作家に押し上げたのよ」

 耳が赤い。どうしたのだろうか。

「自分が死んだら遺稿は破棄するように依頼してのに、友人は勝手に発表したのよ。ひどい話よね」

「そうか? 友情に厚いいいやつじゃん」

「行きすぎた友情は暴力よ」

 カフカの目はなぜかつり上がっている。

「そ、それでキミがいままで読んだ中で一番面白かったのは?」

「わからない……けど、そうね。あえて一番を選ぶのだとしたらフランシス・ホジソン・バーネットの小公女。秘密の花園も良かったけど」

「セーラ?」

 世界名作劇場でそんなのがあった気がする。

 どちらも読んだことが無いので、内容を知らなかった。

「まあ、間違いじゃないわね。そういうアナタは?」

「なんだろ。さっきから結構悩んでるんだけど、パッと思い浮かばないんだよな……」

 色々と浮かぶが、ベストと言われるとむずかしい。

「人間失格でしょ?」

「またそれかよ。違うっつうの。いや、確かに共感できるところはあったけど」

「人間失格の主人公はモテモテよ。共感できるの? 共感するのは田山花袋の蒲団じゃなくて?」

「僕だってそこそこもてるから」

「ほんとに?」

「……」

 嘘だけど。


 カフカは元気そうだった。

 血色はいいし、機嫌もいい。どこも悪いところは無さそうだった。

 僕はいまだに彼女が入院している理由を知らない。というよりも知りたくなかったのだ。それを認めてしまうと、なんだか未来が確定してしまうような気がして。

 結局その日も他愛もない会話をするばかりだった。お見舞いの最終時間まではまだ結構あったが、検温に来た夜舞さんに見つかってしまい、首からぶら下げた面会カードの宛先がカフカじゃないことがバレて、どやされた。

 挙げ句の果てには、ゴミ箱に捨てられたミカンの皮も見つかってしまい「大晦日の時、カップラーメン食べて死にかけたこと忘れたの!?」と無断で飲食したことも含めてガチ説教された。

「じゃあ、また」

 半ば追い出させるように病室から出ていく僕を見守るカフカの目は優しかった。

 いつかと同じ、いつもと同じ風景だ。

 夕陽が白い廊下を朱に染める。

 病院を出ると、黄昏の空に『夕焼け小焼け』のチャイムが響いていた。植え込みの枯れたアジサイが強く香った。



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