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終わりなき物語と語り部の夢  作者: 上葵
続かない小説家はかく語りき
2/33

2 書籍ミスディレクション


 リノリウムの床に文庫本が落ちているのに気づいたのは少女が廊下の奥に消えてからだった。慌てて追いかけたがエレベーターに乗ったらしく、完全に望月さんを見失ってしまった。どうやら僕が彼女の手を掴んだ拍子に文庫本を落としたらしかった。

 僕が拾った本はコンビニで買ったものよりも数倍下らないものだった。


 あてがわれた病室に戻ってベッドに寝転んでいると、一昨年からこの病院で看護師をしている従姉妹の夜舞さんが見回りに来た。

 体の調子などの問診に、他人行儀に答えながら、「気になるところはない?」と訊かれたので、先程の出来事を話すと「まったくあの子は……」と呆れたように呟いた。

 少しの特徴を教えただけで個人が特定できたのだから、相当な有名人らしい。

「気にしないで。ただの冗談なんだから。少しだけ、ひねくれてるのよ」

「なんであんなこと言うのかな、あの人」

「さあね。まあいろんな人がいるから」

 夜舞さんはベッドの横の検診表にサラサラと何かを書き付けてから、部屋から出ていこうとしたので慌てて呼び止める。

「さっきの子の病室を教えてください」

「教えられるわけ無いじゃない。ちょっと見た目が可愛いからって夜這いでもする気?」

「忘れ物があるんです。文庫本落として行って」

「私が届けるわよ」

 ああ、それでもいいかと、一瞬思ったが、どうにも腹の虫が収まらないので、直接会って文句が言いたかった。その事を告げると、夜舞さんは呆れたように肩をすくめて、

「この時間ならあの子きっと談話室にいるわね」

 と、貴重な情報が得られたので、夜舞さんを見送ってから、談話室に向かった。


 病院に談話室があるなんて知らなかったが、患者と見舞いに来ている人の交流スペースのような所で、思ったよりもわいわいと楽しそうな空間だった。テレビや雑誌なんかも置いてあり、時間を潰すには持って来いだ。ここでならあの忌々しいテレビカードを買わないで済むらしい。

 明日の退院まで利用しようかと、考えながら辺りを見渡していたら、先程の少女が辛気くさい表情で椅子に座り、机に本を広げているのを見つけた。

 静かな苛立ちを抑え、少女の正面に座る。

「……」

 ちらりと目線を上げて、上目遣いに僕を見る。目があったが、声をかけられることは無かった。

「なあ、きみ。これ忘れていったろ」

 文庫本を取り出して、机の上に置く。

「あ」

 ぽっかりと少女は口を開けて、引ったくるように本を奪い取った。

「あなたが持ってたのね」

 顔を赤くして睨み付けられた。

「拾って上げたんだよ。それにしても意外だな。そういうの読まなさそうなのに」

 彼女が落とし、僕が拾った文庫本は、ケータイ小説が書籍化したもので、最近流行りの異世界転生モノだった。

 作者は蟹チャーハン。僕がコンビニで買った本の作者の別作品らしい。

 表紙にはほとんど裸の幾人の女の子が描かれ、フェミニストが見たら児童ポルノに抵触していると声高になりそうなデザインをしていた。一応全年齢だが、裏面のあらすじいわくハーレムチートモノらしい。

「人の勝手でしょ」

 不機嫌そうに唇を尖らせた。

 気の強そうな瞳をしている。

 違和感ばりばりだ。何となくキャラが違うと思った。現に彼女が僕に声をかけられるまで読んでいた本は分厚いハードカバーだ。

「けっこう流行ってるよね、それ」

 少女が胸に抱くあらすじみたいなタイトルをした小説を指差す。

「……そうみたいね」

「でも僕に言わせれば二流作品だよ」

「……なんでよ」

 少しだけ苛立た気に少女は声を荒らげた。

「まず設定がチープだよね。使い古されてるというか。現実世界から異世界って展開がすでに手垢がついた設定だし、主人公がなにをしても強いって言うのもリアリティーないしさ」

「そんなこと言ったら今ある物語は何かしらの模倣になっちゃうじゃない」

「まあ確かにそうだよね。でもさ、だからこそ、他と差をつけるためにオリジナリティーが必要になってくると思うんだよね。その点、その本は作者の工夫が感じられないから駄作だと思うよ」

「駄作……」

 暗い顔して少女はうつ向いた。人の好きなものをこき下ろすのは誉められた事ではないが、先程の件があるゆえ、僕はいつもより饒舌になっていた。

「文体も普通だし、キャラクターに特徴もない、取って付けたような展開に小手先で描かれるストーリー。とてもじゃないけど、読む気しないよね」

「……え」

「ん?」

「え、読んでないの?」

「当たり前だろ。読めるわけ無いよ。ほんとアホみたいな本出してる出版社は芥川や直木に謝ってほしいよね」

「こっ、のっ!」

 少女の瞳にはっきりとした怒りが滲んだ。次の瞬間、顔面に痛みを感じ、視界が一瞬真っ暗になった。

「え?」

 ぱたりと机に本が落ちる。

 どうやら、少女に本を投げられたらしい。

「読んでから文句言え! ばーか!」

 怒鳴れた。

 机に手をついて大声を挙げたので、談話室中の視線が一斉に僕らに向けられた。さっきまで騒がしかったのに、水を打ったように静まり返っていた。

「つっ」

 恥ずかしくなったのか、少女は耳まで真っ赤になると読みかけのハードカバーを持って、部屋から足早に出ていった。

 一人になった僕には、貼り付くような嘲笑と滅茶苦茶けなした本が残された。


 追いかけるほど仲良くは無いし、かといっていま出ていくと視線に負けた気がして面白くない。

 陰口叩かれるのが死ぬほど嫌いなので、その場に留まって、投げつけられた本を読むことにした。

『死んだと思ったら異世界転生してて、気づいたら世界を救っちゃった件について』

 読む気を失うタイトル。書店で見かけて、これを買おうと思う奴の気が知れない。一ページ二ページはつるつるとしたコート紙にカラーのイラストが描かれていた。登場人物紹介かと思ったが、半裸の少女が風呂覗かれて顔を赤くしている挿し絵だった。いるのか、これ?

 すでに期待値はマイナスだが、「読んでから文句言え」と至極全うなことを言われた手前、投げ出すのも寝覚めが悪い。

 プロローグを読み始める。

 一番最初の感想は、文章力は想像以上に高い、という点だ。

 三島や川端を彷彿とさせる美しい文体に自然描写。ティーン向けライトノベルと嘗めてかかっていた僕は度肝抜かれた。作者の語彙も豊富で、僕が知らない日本語や忘れていた単語を違和感なく文章に差し込んでくる。 ひょっとしたらこいつはかなりの実力者かも知れないと思い、本を一度閉じて、再度表紙を見る。

『死んだと思ったら異世界転生してて、気づいたら世界を救っちゃった件について 作・蟹チャーハン イラスト・すきやきうどん改』

「……」

 カラフルな髪色をした幾人かのキャラクターが並んでいる。

 文章が素晴らしくてもストーリーが糞なら駄作に変わりない。

 絵が描けないからって小説を書くような、漫画に毛が生えたような展開を、僕は望んでいない。プロローグは良くても本筋がブレブレなら、書籍はただの資源ゴミに成り果てるのだ。

 さあ、こいつはどうかな。

 と、上から目線で本文を読み進めた僕が小説の主人公に感情移入するようになるまで時間はかからなかった。


「やべぇ……」

 息もつかせぬ怒濤の展開に涙腺は緩みまくっていた。


 気付けば三時間、トイレに行くことすら忘れて、一気に読んでしまっていた。

 面白いの一言だった。

 日本文学史上に残る傑作で、壮大なストーリーの大作で、続きを想像させる名作で、新進気鋭の感性を響かせる怪作だった。

 人は真に面白いものに出会うとソレに引きずられる。

 例えば名曲だったり、絵画だったり、映画だったり、小説だったり。気持ちがずっとその作品に留まってしまうのだ。

 いまの僕はまさにそんな状態だった。

 日が暮れ、談話室が締め切られ、自分の病室に戻ってからも、僕はずっと呆けたままだった。

 冬の曇天が感傷を助長させる。ここまで気持ちが引き摺られるのは「隣の家の少女」を読んだとき以来だった。

 蟹チャーハン先生は天才かも知れない。

 消灯時間を過ぎても僕はずっと『死んだと思ったら異世界転生してて、気づいたら世界を救っちゃった件について』の世界観に囚われていた。



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