11 懇願オーセンテック
病院のナースステーションでお見舞いの受付をしていると、夜舞さんが不機嫌そうな顔で話しかけてきた。
「おつかれ」
酒場のカウンターにもたれかかるように机に手をつくと、じっとりとまとわりつくような視線を僕に送ってきた。
「……おつかれさまです」
なんの挨拶だよ。
「ねえ。ほんとはあの娘と一緒に居たんでしょ?」
夜舞さんは遠くを見るように目を細めて僕を見た。
「あなたに連絡して、カフカは数十分で帰って来た」
猛禽類を思わせる目付きで睨み付けられる。
「その数分後にお見舞いに来るなんて隠す気もないのね」
「図書館に行ったらたまたま居たんです」
嘘偽りのない真実を話す。僕が彼女に病院に戻るように言付けたことを含めてだ。
「ふぅん。なんでもいいけどさ」
夜舞さんは乗り出すようにカウンターに手をついた。
「私は医療従事者だから、健康を阻害する逢い引きは反対よ」
「それ、すごい勘違いしてますよ」
僕らの間にロマンスなんてない。あるのはただの人情だ。
「身体を大事にね。あなたにも言ってるのよ? 肺は大丈夫なの?」
「お陰さまで」
「そっ、よかったわ」
夜舞さんはひらりと手を振り、奥のバックヤードに帰って行った。
大きく息を吸って吐く。違和感はない。絶好調だ。
影の功労者に対する敬いが足りないような気がする。
病室をノックするが、返事はなかった。しばらく待ってみても誰も出てくる気配はなく、薄く扉を開け「すみませーん」と小さく声をかけてみたが、やっぱり返事はない。どうやらまだ診察中らしい。
外で待っていようかとも思ったが、なんにもせずボーと突っ立っているのもなかなか辛いものがある。慌ただしく働く看護師さんの視線から逃れるように、室内で待たせてもらうことにした。
来客用の椅子を引っ張り出して、腰を落ち着けた。
ずいぶんと検査が長引いているらしく、カフカはなかなか来なかった。
何分くらい経っただろうか。スマホをいじるのも飽きて、ぼんやりと外を眺める。
先程まで晴れていたのに、雲が出てきていた。降水確率はゼロパーセントなので雨具の心配はしていないが何だか不安になる空模様だ。
けっこう長く待ったが、戻ってくる気配はないので、日記をベッドに置いて、おいとまさせていただこうかと考えていたところ、脈絡もなく、扉が開かれた。
「あ」
顔をあげると敷居の前にカフカがたっていた。
「……いたの」
彼女は泣いていた。
「あ、ごめん。本がさ。たぶん君の持ち物だと思って……」
「ああ」
目元をぬぐって、少女はベッドの上の日記に目をやった。
「読んだ?」
「……少しだけ」
「そう」
嘘をついてもしょうがないので、正直に僕は応えた。
カフカは呆れたように薄く笑うと、扉を後ろ手で閉めて、ベッドに向かって歩き始めた。
「あ、僕、そろそろ帰るよ」
慌てて立ち上がり椅子をしまう。
「少し待って」
「え」
カフカはクリーム色の入院着の前留めの紐をほどいた。
「なにしてんの!?」
突拍子のない行動に僕は慌てて目をそらした。
「読んだのならわかるでしょ?」
入院着を棚にいれる音がし、衣擦れの音が響いた。
「わからないよ。何だっていきなり裸になんて」
そういうことか。そういうことなのか?
心臓が高鳴って、血流が早くなる。
お父さん、お母さん、僕は今日、大人になります。
「着替えるために決まってるわ」
耳元で声がした。
目線を戻すと、黒い瞳と目があった。
「退院するのよ」
私服姿のカフカは目尻に涙を溜めていた。
「退院?」
そんなことがあり得るのだろうか。
部屋は彼女の私物で溢れている。検査結果がいくらよくても当日中に退院が確定することなんてあるはずがない。
十中八九嘘だろう。
僕の見ている前で彼女はみるみる着替えを終えて、いつのまにか町中にいそうな女の子になっていた。
入院着より、よっぽど似合っている。ファッション誌から抜け出してきたみたいだ。
「服どうかしら」
珍しいことに感想を求めてきたので、改めて少女の服装に目を通す。
白いニット帽にマキシ丈のプリーツスカートを履いていた。どこにしまっていたのだろう。
「に、似合ってるよ」
「ありがと」
「ねぇ、君は……」
吹けば消えてしまいそうなほどの儚い笑顔を浮かべる少女の存在感を確かなものにするため、僕は質問した。
「いったいどうしたんだ?」
「空しくなっただけよ」
「空しい? 虚無感ってこと?」
「取り繕ってる生きるなんて私にはできない。かといって家族がいるから死ぬにも死ねない。だから私は旅に出たいの」
「ちょっと、意味が……」
「ねぇ、いつかの願い事を今叶えてもらってもいい?」
「え?」
なんの話かわからなかったが、少し考えて思い出した。
名前あてゲームのことだ。
「構わないけど……」
「よかった。それじゃあ願い事を言うわね。お金かしてちょうだい」
「……やだよ」
「なんでよ。約束が違うじゃない」
膨れっ面で僕を睨み付ける。いくらなんでも金銭のやりとりはしたくなかった。
「仮にいくら借りる気なんだ?」
「そうねぇ。えーと、とりあえず十万くらいかな」
「無理だよ」
バイトもしていない高校一年生に不可能な金額だ。
「……なによそれ」
「無い袖はふれないんだ」
「わかった。それなら、別のお願いにする」
人差し指を下唇にあてて、媚びるような目付きで彼女は言った。
「私を海に連れていって」




