10 故障ワードプロセッサー
そんなことがあって翌日。自宅のベッドでゴロゴロしながら小説を読んでいたら、携帯に着信があった。
表示された発信人は夜舞さんだった。なんの用だろうか。結婚のお知らせだったらめんどくさいな、って思ったけど、そもそもあの人には相手が居なかった。
「もしもし」
通信ボタンをタップして耳に当てる。
『もしもし? あんたんとこにカフカ来てない?』
「え?」
開口一番の質問に僕の意識は一瞬飛んだ。
「どういうこと?」
『いるの? いないの? それだけ答えて』
「いないけど、なんかあったんですか?」
『いないならいいの。もし万が一来たら連絡して。じゃ』
乱暴に切られる。
どういうことだよ、と暗くなった画面に一人ごちる。
ツーツーツー、と通話遮断された音のみが響いた。
カフカは病室から消えたということだろうか。
あんな一辺倒な質問じゃ気になって仕方がない。
見てくれるかわからないが、夜舞さんに『なにがあったの?』とメールを送り、外着に着替えた。小説もちょうどキリの良いところだったし、散歩に出ることにした。寒すぎて準備が億劫だったが、家に引き込もってばかりだと体に悪い。
外套を羽織ったところで、返信があった。
『今日大事な検診なのに姿が見えないの。もし見つけたらすぐに戻るように伝えて』
とのことだ、なるほど。
当然のことながらカフカの居場所なんて知らない。なぜならそれほど仲良くないからだ。
でも人情くらいはある。
僕は先日交換したナツメの連絡先に電話した。
無料通話アプリの微妙な回線ののち、通話が繋がる。
『うっすー。昨日ぶりっす。早速電話だなんて意外と手が早いんすね』
「そんなんじゃない」
繋がると同時にマシンガントークの雨を食らった。
なんとか自分の要件を伝えてカフカの行き先で思い当たる場所を尋ねた。
『んー、そっすね。うーむ、先生、執筆活動始めると集中で周りが見えなくなるって言ってたから、静かな場所なのは間違いないと思うんすけど……』
「静かな場所……」
『あとは、そうっすね。資料がたくさんあるところとか。……物語の背景をきっかり埋めるタイプの作家さんすからね』
一つ思い付いた。
僕はナツメにお礼を言って、図書館へ足を向ける。
年末年始は閉館予定なので、今日が年内最期の営業日でもある。
本来ならば入院患者は立ち入り禁止だが、そこまでセキュリティが高いわけじゃない。ホームレスが暖を取りに来ることもしばしばだ。
図書館はいつもより閑散としていた。年配の男性が雑誌コーナーで新聞を捲る音が空虚に響いている。
奥の机のある自習スペースに、本の塔を作って、ガリガリとカフカはペンを動かしていた。
鬼気迫る表情で、文字通り、命を削っているようだった。
積み上げた本を時おりパラ見するくらいで、その他の時間はすべてノートと向き合っていた。
どうやらコレが蟹チャーハン先生の執筆スタイルらしい。
「おい」
「……」
声をかけた。
無視だ。集中すると周りが見えなくなるタイプなのは間違いないらしい。僕の呼び掛けに関係のない隣の席の大学生風の男性がぴくりと肩を震わせた
「おい、ってば」
華奢な肩に手をやる。
「……」
尚も無視だ。
感触すら忘れてしまったというのだろうか。
「このっ!」
「あっ」
資料確認のスキをついて、ペンとノートを取り上げる。
「なにすんのよ!」
怒りに顔を歪ませるカフカが、僕を正面からはっきりと見つめ「あ」と、目と口を丸くした。
「なんでここにいるの?」
「図書館は来るものを拒まないからね」
「あっそ。それよりノートを返してくれないかしら」
「それはできない。君に用があるんだ」
「なんの?」
不機嫌そうに唇を尖らせる。
「用件なら手短に言って。忙しいのよ。これでも」
「検診サボったろ。病院の人が探してるぞ」
「……なにを言ってるの。検診は午後二時よ。まだ午前中でしょ?」
「……」
重症だ。
僕はスマホを取り出して、画面を表示させた。
バックライトに照らされた文字は現在時刻。
十五時。
「うそ! もうそんな時間!?」
彼女は顔を青くすると、慌てて片付けの準備を始めた。
薄手のトートバックに彼女は筆記用具やら資料やらをつめていく。
「わざわざ報せに来てくれたのね。ありがとう」
短くお礼を言ってから、椅子をしまい、鞄を肩に背負った。
机の上には沢山の本が残っている。館内閲覧のみの資料も多数ある。
すべてをもとの場所に戻すのは時間がかかりそうだ。
「本なら僕が片しておくから、早く病院に戻りなよ」
「いいの? でも場所わからないでしょ」
「こう見えても十進分類コードをマスターしてるんだ」
「そうなの。じゃあ、お願いするわね」
ちょっとした冗談を真顔で受け止め、カフカは足早に去っていた。
あとには僕と沢山の本が残される。
こんなに引っ張り出したって、見るのは一部だろうに。
浅くため息をついて資料を両手で持つ。軽く十冊はあったが、すべて海洋生物や海についての本だったので、片付けるのは楽だった。
海底二万マイルでも書こうとしてるのだろうか。
十進分類コードというのは日本で使われている図書分類法のことで、ジャンルごとに本を分ける方法のことだ。背表紙に貼ってあるシールと棚番号が一致するようになっていて、司書さんとかはそれを目印に本を棚に戻すらしい。
本をしまっていって、どうしても棚に収めることができない一冊があった。シールが貼ってないのだ。
茶色い革表紙のハードカバーでタイトルはない。
僕はその一冊を開いて中身を見てみることにした。
『十二月二十六日 男の人が日記を開こうとしていた。どうやら中は見られていないようだ。少しきつい聞き方で確かめてしまったので、彼には悪いことをしてしまった』
記された文章は端正な筆致だが、印刷されたものではない。
たまたま開いたページは僕の記憶にもある出来事だった。
「これは」
日記のようだ。
罪悪感はあったが、怖いもの見たさというやつだ。なんとなしに一頁目を開けて読んでみる。
『今日から日記をつけることにする。死ぬまでにいくつ新しい出来事に出会えるかわからないからだ。いつか大人になったときに読み返せることを祈って。』
閉じる。
これ以上は読んではいけない気がした。
日記を持って、図書館を出た。返さなくては。
冬の弱い日差しが町に降り注いでいた。吐き出す息を白く染まって、すぐに北風にさらわれていった。




