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終わりなき物語と語り部の夢  作者: 上葵
続かない小説家はかく語りき
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1 気胸アクシデント


 本来なら、あくびを噛み殺しながらだだっ広い体育館で終業式を受けている時間帯、僕は脇腹に穴を開けた。


 遡ること数日前。

 息を大きく吸うと肋骨が圧迫されるような違和感があり、いつしか痛みを感じるようになったので、ついに堪らなくなって病院に行ったところ、肺に穴が空いていると診断された。

 肺気胸というらしい。

 中途半端な地方都市の汚れない空気を吸っていたはずなのに、僕の肺はあっさりとパンクしてしまったのだ。


 気胸はやせ形で長身の男性に起こりやすいという。

 僕の背は高くはないので、なにかの間違いじゃないかと思ったが、レントゲンに写り込んだ心霊写真のようなポッチは確かに存在しているらしい。

 手術した方がいいと強く勧められたので、入院することになった。

 脇腹を切開され変なチューブを突っ込まれたときはこの世の終わりを感じたが、術後の経過は良いらしく、予定通りの日数で退院できると宣言され、なんとか大晦日は家でゆっくりできると喜んだ。

 チューブがはずされ、激しい運動は禁止されているものの、ほぼほぼ健康体の僕は、暇潰しの本を買いに行くことにした。


 エントランス近くのコンビニのラックには、いくつかの文庫本が並べて置いてあり、品数はけっこう豊富だった。有名作家の新作を購入し、病院内を散歩する。

 脇に挟んだ本のタイトルは『歴史論者』。帯に『あの蟹チャーハン先生の最新作』と銘打たれていたので、どちらの蟹チャーハンかは存じ上げなかったが、つい気になって購入してしまった。作者名が出落ちで無いことを祈ろう。

 あてがわれた病室に戻ろうかとも思ったが、同室の大学生のお見舞いがうるさくてたまらないので、一番空いている待合室で読書に興じることにした。

 ここもなかなか騒がしいが、あの動物園の檻の中のような環境よりは百倍ましだ。

 本を開いて活字に目を通すが、数分読んで、物語にのめり込むことができず、この小説はつまらないと判断した。

 目元をマッサージする。いつもなら我慢して面白くなるまで読み進めるが、なんだか今日は気分が乗らない。

 これならテレビカードでも買って民放をぼーと眺めている方がましだ。

 僕は本を閉じ、なんとなしに辺りを見渡して見た。

 病院の待合室は騒がしい。

 名前を呼ばれた人が、入れ代わり立ち代わり問診室に入っていく。ふと、隣を見ると座席に一冊のハードカバーが置いてあった。

 誰かの忘れ物だろうか。

 本に手を伸ばす。

 別に中身が気になったとかではない。

 ただ、そこにある茶色い表紙の本が、他の書籍とは違った雰囲気を醸し出していたのだ。

 手に持つと、ハードカバー特有の重みがずっしりと右手にかかった。

 表紙を眺めるがタイトルは書かれていなかった。

 ページをめくろうと指をかける。

「ちょっと」

 声をかけられた。顔を向けると正面に気の強そうな少女が立っていた。ピンク色の入院着を着て、手に別の文庫本を持っている。

「それは私の物よ」

「ああ。すみません、忘れ物かと」

 ハードカバーを反転させるようにして,少女に差し出す。

 肌は一度も日光を浴びたことが無いんじゃないかと思うくらい白い華奢な女の子だった。

「……辺りをキョロキョロしながら財布を拾った人間が泥棒じゃないと言い切れると思うのかしら?」

 金銭的価値があるものならまだしも本を盗む泥棒なんてそうそういない、と思ったが口には出さなかった。

 少女は本を受けとると何も言わず、じっと僕のことを見つめてきた。

 ガンつけられる覚えはないが、争いは何も生まない。僕は肩竦めて謝罪した。

「勝手に読もうとしたのは謝るよ。でも、詳細を知らないと落とし主がわからないじゃないか」

「本に名前を書くのは小学生までだわ」

 鼻をすんと鳴らして少女は僕の隣に腰かけた。

 気まずいから遠くに行ってほしいと思ったが、ここで逃げたら僕の負けみたいな気分になるので、我慢だ。

 その場を誤魔化すために、僕は閉じていた文庫本を開いた。

「あっ」

「ん?」

「……なんでもないわ」

 僕の持つ本をみて少女が声をあげたので、首を捻ると、そっぽを向かれた。おかしな子だ。ここは内科の待合室だが、受診すべきは心療内科に違いない。

「その本、面白い?」

 少女は窓の外に目をやりながら聞いてきた。雑談を楽しむタイプに見えなかったが、突然なんだろうか。

「んー、まだわかんないや。序盤だからね」

「そう」

「ただ正直言うのなら駄作だと思うよ。面白くなる要素がないもん。今のところ」

「……そう」

 本当は「物凄くつまらない」と答えてあげたかったが、もし、少女が蟹チャーハン先生のファンだとしたら余計に気まずいので、精一杯のリップサービスをしてあげる。

「ところで」

 くるりと少女がこっちを向いた。くりくりとしたボタンのような瞳が僕を写す。

「この本のタイトルはなんだと思う?」

 と聞いてきた。突然なんだろうか。

 彼女は先程僕が開こうとしたハードカバーを軽く持ち上げ、唇隠してイタズラっ子めいた瞳で僕を見てきた。

「さあ。検討もつかない。ネクロノミコンとか? 」

「……残念ハズレ。正解は人間失格」

 少女がにたりと笑った瞬間、

「望月さーん」

 と看護師が柔らかい声で患者の名前を呼んだ。

 少女はやおら立ち上がり、僕の方を向いた。どうやら望月さんというらしい。

「あなたにぴったりのタイトルだわ」

 別れ際にぼそりと囁かれたので、僕は反射的に彼女の細腕を掴んでしまった。青白い血管が浮いている。

「離してよ。言い逃げが出来ないじゃない」

 呆れたようにため息をつかれたが、逃亡を阻止するためにしたのだから、当然だ。

「失礼なやつだな、君は。他人を煽るのやめときなよ」

「あら、そう。ごめんなさい。怒らせたのなら謝るわ。これからの人生頑張って」

 少女は短くそう言うと、僕の手を振りほどいて、受け付けに小走りで向かっていった。



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