3
初めて女子トイレに入ったのは東京に出てきてから3ヶ月ほど経った頃だった。
その頃は既に室内だけの女装には満足できず、外に出歩くようになっていた。
街を女装の姿で歩いてもすれ違う人は僕の正体には気がつかなかった。
僕は一人の女性として街に溶け込んでいた。
その自惚れもあったのだろう。
女装を始める際に自分に課した、「犯罪行為はしない」という誓いを僕は破ってしまった。
休日のファッションビルには若い女性で溢れていた。
そこは1階から6階までの全てのフロアが女性向けの洋服や化粧品、小物などを扱うお店で占められていた。
そこはまるで男が死滅してしまった世界のようだった。
聞こえてくる声は全てがキャピキャピとした高い音だ。
僕はエスカレータを4階で降りると、頭上の案内板を見ながら建物の奥へと向かった。
奥に設置されたトイレは女性トイレだけしかなく、障害者用のトイレすらなかった。
お店の角を曲がると、トイレまでの10メートルほどの距離には何一つお店はなかった。
そしてトイレのドア付近には監視カメラがあった。
(どうしよう。止めるか。)
僕は前を歩く足を止めようとした。
だが、背後から二人組の女性が歩いてきてしまった。
ここで引き返したら彼女らに怪しまれる。
僕は手に汗を浮かべながら、前へと進んだ。
心臓はバクバクとして、今でも腰が抜けて崩れ落ちそうだった。
トイレのドアを開けると、パッとピンク色が目に入った。
次に感じたのは視覚よりも先に嗅覚だった。
別に香水のような甘い匂いでもなければ、汚いトイレに漂う悪臭といったものでもなかった。
独特な匂い僕の鼻に伝わってきた。
それを良い匂いと思ってしまったのはきっと忍び込んでいるという現状に興奮した変態男ならではの思考だったかもしれない。
でも間違いなく僕はその匂いにも興奮していた。
もちろんトイレに小便用の便器はなかった。
洗面台は男子トイレの倍以上あり、個室と同じくらいの数があった。
何人もの若い女性が鏡の前で化粧直しをしていた。
僕はついに男子禁制の空間に入ってしまったのだ。
(やばい!)
興奮で勃起をしてしまったのだが、面積の狭い女性もののショーツでは抑えきれなかった。
スカートで良かったと心から思った。
ズボンだったら股間はパンパンに膨れ上がり、それだけで男だとすぐにばれていた。
個室は空いていないばかりか、一人の女性が入り口付近で開くのを待っていた。
僕はその女性の背後に立った。
僕が並ぶと同時に個室のドアが開き、前に並んでいた女性はスタスタと入って行った。
先頭になった僕はギュッと目をつぶった。
「ガチャ」
その個室のドアが開く音が聞こえるまでの時間は、数秒だったのか数十秒だったのだろうか。
でも僕には何十分のようにも感じられたし、それでいて待っている時間など考えさせる間もないくらいに短くも思えた。
目を閉じていた間は何も考えられなかった。
個室から出てきたのは、ベージュのニットワンピースにグレーのコートを合わせた20代後半くらいの女性だった。
(うわっ、足が細い。)
黒いタイツに包まれた脚は腕の太さ程しかなく折れそうなくらい細かった。
小柄の彼女は茶髪の長髪を右手で押えながら洗面台に向かって歩いて行った。
僕の心臓は明らかに活動限界を超えていた。
まさに口から心臓が飛び出してきそうだった。
僕は個室に入り鍵を閉めると、すぐに便座に自分の頬をつけた。
(ああ、さっきまであの女の人がここに座っていたんだ。)
そう思うともう抑えきれなかった。
急いでバッグからポケットテッシュを取り出した。
そして一分もしない内にテッシュはグチョッと濡れた。
自慰が終わるとスッと気持ちが覚めてしまった。
(ああ、何を僕はやってるんだ。)
女子トイレに入った最初の思い出はこうして終わった。